≪「シンガポール」の歴史概略≫
ガイドブック「地球の歩き方ーシンガポール」に略年譜が載っていた。それによると、
14世紀 港町トゥマセクが史料に登場
14世紀末 トゥマセク、シンガポールと改称
1613年 シンガプーラ、ポルトガルに焼打ちされ壊滅
1819年 ラッフルズ、シンガポールにイギリス東インド会社の中継港建設開始
1832年 ペナン、マラッカと合わせたイギリスの海峡植民地の首都になる
1858年 海峡植民地がイギリス政府の直轄となる
1942年 日本軍、シンガポールを占領
1945年 日本敗戦、シンガポール再度イギリス直轄領となる
1955年 選挙でイギリスからの部分自治政府成立。
将来の独立に向け、英語の他に中国語、マレー語、タミール語を公用語にし、それまで民族毎に経営していた学校を全て平等に扱う事にする
1957年 シンガポール市民権法制定
1959年 総選挙で完全自治に移行。人民行動党(PAP)のリー・クアンユーが首相に
1963年 マラヤと合併し、マレーシアの一州となる
1965年 マレーシアがら独立、シンガポール共和国成立 1967年 5カ国で「ASEAN」(東南アジア諸国連合)結成
1990年 リー・クアンユー、31年間の首相職辞任
日本軍が占領していた3年半、シンガポールは「昭南島」と呼ばれ、貿易の停滞によって、職業、食糧、物資の不足、インフレが進行して住民は苦しんだという。また、民族を平等に扱わなかったため、民族対立もふかまったらしい。
1955年に部分自治政府ができると、国民統合の政策を進めた。
1965年、「バンコク宣言」で、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピンの5カ国が「ASEAN」を結成した。1984年、ブルネイが加盟した後、カンボジャ、ベトナム、ミャンマー、ラオスも加盟を果たして、現在は10カ国になった。
ガイドブックによると、独立当時、最大の課題だった失業率の高さは、外国企業の投資と誘致を進めて乗り切り、1972年頃には解消。その後、経済発展に伴って労働力不足が起きたが、外国人労働者で補い、驚異的な経済発展を実現した。この間、日本の企業進出も進んだ。
また政府は、それまで民族毎に居住区が異なる「カンボン」(集落)に住んでいた住民を、1970年頃からは高層の公団住宅を建て、そこで色々な民族出身の家族が混ざって住む政策を推進し、民族の融和を図った。
さらに英語教育が普及するに伴い、他の民族の言語を教える学校が少なくなって行ったという。近年は民族文化の伝統を守る意味で、他民族の言語教育も復活させているらしい。
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