花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「キプロス」「マルタ」の旅(9)

2015年12月08日 | 海外旅行「地中海地域」キプロス、マルタ

≪「マルタ」という国≫ 

6日目は「マルタ」の主な3つの町(スリーシティーズ)の観光だったが、その前に「マルタ共和国」について触れたい。(ガイドブックを参照した)

4つの島からなり、総面積は316k㎡(淡路島の約2/3)人口は41万人の国だ。
「マルタ共和国」はイタリアの「シチリア島」の南80kmに位置し、西には「チュニジア」南には「リビア」がある。
首都はマルタ本島の北北東に位置する「ヴァレッタ」だ。
民族は「北アフリカ系」「中近東系」「ヨーロッパ系」の「マルタ人」で、宗教は「カトリック」だ。
気候は温暖で雨が少なく乾燥していて、夏の最高気温は30度、冬の最低気温は10度程度と過し易い。面白い事に川が無い国なのだ。

「マルタ」には、紀元前8000~5000年という「エジプト」よりも古い歴史があり、「地中海文明の源」の地だと考えられている。
各地に巨大な巨石を積み上げた神殿が残されているが、高度な文明を築き上げたその人達は姿を消してしまったのだ。

  (「ゴゾ島」の「ジュガンティヤ遺跡」)

その後、周辺の国々から海を越えて多くの民族が「マルタ島」にやって来た。
近代では1113年にキリスト教徒の巡礼者の救済と異教徒との戦いを目的に「パレスチナ」に創設された「聖ヨハネ騎士団」が、1291年に激戦の結果イスラム教徒に滅ぼされると、ギリシャの島々に移りながらも復活していたが、1522年にオスマン帝国によって滅ぼされると、地中海の島々を転々と移住しながら、最終的に「マルタ島」に拠点を見出し、「神聖ローマ帝国」から島を貰い受けたのだった。

1565年巨大な船団を率いてトルコ軍がやって来て3ヶ月にも及ぶ戦いが続いたが、マルタの騎士団はシチリアの援助を得ながら攻撃に耐え勝利した。
この時の騎士団長「ヴァレット」は、岬に「要塞都市」の建設を実行し、町の名を「バレッタ」と名づけた。
その後、再び攻撃に備えた都市づくりを続行し、経済的にも発展した。

       
         (今の「バレッタ」) 

しかし、1798年、総勢6万人弱の艦隊を率いた「ナポレオン軍」がやって来て、「食糧と水の補給」を口実に寄航した際、「マルタ騎士団」は無抵抗に降伏した。それによって「マルタ」はフランスの属領となった。

1800年、イギリス総督に援助を要請し、「マルタ」はイギリスの植民地となった。
1964年にイギリスから独立1974年に「共和国憲法」を発布して「マルタ共和国」となった。今から41年前の事である。

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