花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「キプロス」「マルタ」の旅(11)

2015年12月09日 | 海外旅行「地中海地域」キプロス、マルタ

≪「マルタ観光」一日目≫(2)

②「スリーシティズ」ー「日本軍人墓地」他

現地ガイドの提案で観光予定になかった「旧日本海軍戦没者墓地」に立ち寄った。
その墓地は、「マルタ」のカルカラにある「イギリス人共同墓地」の奥の一角に立っていた。
第一次世界大戦の時、マルタはドイツ帝国に海上封鎖され、物資が不足する事態になった。当時マルタを支配していたイギリスは、1917年、日英同盟によってチャーチルが日本に援軍を要請した。日本は巡洋艦「明石」他8隻の艦隊を出動させて戦ったが、1917年6月、駆逐艦「榊」が敵の魚雷を受け、59名が戦死したという。
墓には「大日本帝国特務艦隊戦死者の墓」と大きく刻まれていた。
当時の国民は、この事を知らされたのだろうかと疑問に思った。

 

昼は最大の漁村だという「マルサシュロック」のレストランに行った。「黒マグロ」がメインディッシュで、ぶつ切りの焼いたマグロが出て来たが、マグロはそもそも油が少ないから焼いたらますますパサついて、今ひとつ美味しいとは言えなかった。バターでソテイにしたら美味しいのかも知れないのに。
「マルサシュロック」の湾には、小さなボートの様な小船が沢山停泊していた。その船の舳先に安全祈願だという目が小さく描いてあった。対岸には葡萄の段々畑が広がっていた。

 

③古都「イムディーナ」観光

遅い昼食を終えてから「マルタ島」のほぼ中央部の丘の上にある16世紀の首都だった「イムディーナ」に向かった。
ここも堅牢な城壁に囲まれた町で、「メインゲート」から中に入ると狭い路地の両側にマルタストーンの石灰岩で建てられた家々が建ち並び、大聖堂や古い貴族の館などがあった。観光客用の馬車が数台、客を運んでいた。



 

 

      





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