存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

FM COCOLO 2011,2,12 佐野元春

2011-02-12 10:11:32 | 佐野元春
本日19時~20時 30周年 第二回
【Today's MENU】 
●テーマ…RECORDING 
●コメントゲスト…山下久美子

1 JUJU

Q佐野さんがレコーディングを行う時最も拘ることは?
佐野
良いレコードを作るということはレコーディングするそのサウンド作りですね。ここにお金と時間をかけるということになると思います。特に80年代は日本のレコーディング環境が満足できないものだったので、僕は海外でレコーディングする機会が多かったですね。それはNYであったり、ロンドンであったり、そしてロックンロールの歴史の古い街でレコーディングする機会が多かった。まあ、自分から求めて行ったんですけどね。まあ、そこで出会うエンジニア、レコーディング・プロデューサー、ミュージシャン達。やっぱりロックンロールの歴史を深く刻んでいる連中ですから、彼等の仕事の仕方から色んなことを学びました。それが現在の自分に役立っていると思います。日本でのレコーディングの仕事と一番違うところは、やはり音楽に向かうその姿勢ですね。ロックンロール音楽をいかにリスペクトしているか。いかに愛しているか、そしてレコーディングに対する愛情だけではなく、知識ですね、そうしたものがやはり歴史を深く刻んでいる彼らの方が深かった、これは言うまでもないですよね。僕もそうした彼等の音楽に向かい合う姿勢や精神、技術ですね。そういったものを具体的に学びたかった。それでNY、ロンドンに行って来ました。

Qそんなレコーディングの中で感じる音楽の力とは何ですか?
佐野
80年代の海外レコーディングを例にとると、文化の違う人間が一同に集まり、ロックンロールというものを通じてやはり一つになれるということですね。文化や性別や世代を超えて音楽というのは物事を一つにまとめていく力があると、これは何度か経験しました。

2 アンジェリーナ

佐野
アンジェリーナは僕が1980年『バックストリート』というデビューアルバムに収録した曲であり、僕の最初のシングルカット曲ですね。僕が聴いてきた中で言うと、それまでの日本語の曲で言うと、3分間の中で文字量でするとまあ全体を10とすると文字の量が6ぐらいに聴こえた。僕はアンジェリーナという曲でもってその文字の量を倍に増やしたかったんですよね。というのは僕の上のジェネレーションが感じる情報処理能力よりも若い方が当然情報処理能力が高いわけで、えー3分間ウダウダ同じようなことを歌ってられてもツマンナイナって話があって、それだったならば、聴き手が追いついていけないほど情報量がいっぱい詰まった詩を書きたい。でーロックンロールのビートに乗せて、それを上手く歌いたい。その辺のことを考えて作ったのがアンジェリーナです。

Q今まで最も印象深いレコーディングスタジオはどこですか?
佐野
まあ印象的なレコーディングスタジオ、そうですね、一つ例に挙げるとするならロンドンのオリンピック・スタジオ、このスタジオは歴史的にUKロックバンドが名盤を作ってきたレコーディングスタジオとして良く知られていました。ですので、雰囲気がありますよね。えー自分がレコーディングしている時もポール・マッカートニーや・・・(聞き取れず)といったミュージシャン達が二階でレコーディングしていたり、一番印象的だったのはクィーンが二階でレコーディングしていたことですね。フレーでリー・マーキュリーがまだ生きていた頃ですね。朝早く僕はスタジオに行って、アシスタントエンジニアに頼んでクィーンのレコーディング現場を見たいって見せてくれて、まだクィーンのメンバーが来ていないうちにですね。二階に連れて行って見せてもらって、大体このレコーディングの全体的なレギュレーションを自分なりに見学したんですけれど、こんな風にしてあのギターサウンドは録音するんだなって、こんな風にしてドラムサウンドは録るんだなって、随分参考になりました。

Q1983年新しい刺激を求めてNYに渡りましたが、そんなNYに求めたものは何だったんですか?
佐野

1980年代中盤に僕は日本のキャリアを一旦横に置いて、NYにかなり長い間住むことになるんですね。そこで誰もやったことのないサウンドを作り出したい。というのが僕の希望としてあった。レコーディングの方法も日本に居る限り日本でのやり方でしかないですから、やはりNYに行って、インターナショナルな世界基準のスキルを身につけたい。こういうのがあったんですね。えー当時最も僕の心を捉えたのは、ストリートレベルで炸裂していたヒップポップカルチャーの炸裂ですよね。えー僕と同じ年恰好の若い連中達がみんなマンハッタンに入ってきていました。西ドイツから東アジアからフランスからカナダから、みんな集まっていた。そういう連中たちはみんな母国語でヒップポップ、ラップ音楽をやっているのを見て、面白いなと思い、僕はFAR EASTから来ましたので、日本語を使ってのラップ音楽。これを作ってみんなのことをビックリさせようと、そんな所からNYでのレコーディングはヒップポップ傾向の強いアルバムになりましたね。それが『VISITORS』です。

Qその当時佐野さんが感じたヒップポップの魅力とはナンだったんですか?
佐野
ヒップポップだか何だか、そんな名前なんてどうでも良かったんですよね。僕は鼻ッから言葉と音楽ということに興味を持っていたし、特に60年代ボブ・ディランの楽曲を聴くと、例えばSubterranean Homesick Bluesなどは今聴いても、その言葉が中心となったスキルフル・ビートのロックンロールそれをヒップポップラップの様式に変えてやろうとすれば出来なくはないと思うんですよね。僕が興味があるのはヒップポップとかロックンロールとかそうした様式ではなく、そこで何が歌われているのか、それと言葉とビートの関係はご機嫌なのかどうか。そこが僕の一番の関心事です。

3 NEW AGE

これは『VISITORS』に収録した曲ですよね。当時はまだインターネットというものがなかったんですが、80年代半ば頃のはずですから、ただ社会学者とかがものを言い始めていて、所謂産業が中心の世界から情報が中心の世界へと変わろうとしているなんてことを予見している社会学者なんかも出てきていたと思うんですよね。僕も当時は20代にあって、これからの世界をどうように捉えようかなって物凄く興味があって、地球というものがね神経細胞的な広がりを持って、それが後のインターネットなんて言われることになるんですけれども、そして国境を超えて時間を越えて人々が結びつき会う。そんな世界がもう直ぐ来てるんじゃないかなっていう予感がこうあり、で、それに伴う痛みとかね。それに伴う喜びとか。それらをロックンロールに出来ないかなって作ったのがこのNEW AGEです。

4 奇妙な日々 STRANGE DAY

Q佐野さんがレコーディングする中で大切にしていることって何ですか?
佐野
レコーディングスタジオの中では大切にしているのは何はともあれ偶然ですよね。物事をこう理詰めで進めていって、コンセプチュアルに進めていって得られる結果というのも判るんですけれども、それらの結果というのは予想される結果なんです。しかし音楽を創作する現場で一番大事にしなきゃいけないのは1+1が3にもなり4にもなり5にもなるという、この公式ですよね。そのためには、やはりレコーディングへの取り組みは柔軟でなければならないし、子どものような心、子どものような目を持って音楽に接しないとそうした素晴らしい偶然というのは出てこない。なのでよくバンドのメンバーとかと馬鹿話をしながら、そうした馬鹿話から瓢箪から駒で良いアイディアが生まれて来たり、ということが往々にしてあるんですね。言ってみれば遊びですよね。レコーディングスタジオの中で僕が大切にしているのはそうした遊びの精神です。

Qでは曲が出来てレコーディングに臨むその間のプロセスはどうなっているんですか。
佐野
詩・曲は自分のテープレコーダーに、昔はよくテープレコーダー、今であればデジタルレコーダー、そうしたところに記録としておいて、他のミュージシャンと緻密にコミュニケーションが必要なものはデモテープを作り、こんな感じになるんだよってことを示しながらやりますけれども、その必要が無い、直感的にこれはジャムセッションでよい曲が得られると思ったものに関しては全部頭ん中で組み立てて頭の中に組んであったものをリハーサルスタジオに行き、バンドにフレザントしてサンプルを聴きながら段々纏め上げていく。クラッシック音楽で言うと指揮者の役割ですね。

5 水上バスに乗って

90年代にリリースした『フルーツ』というアルバムに収録した曲「水上バスに乗って」
レコーディングには10年くらい年の違うPLAGUES(プレイグス)というバンドがありました。深沼元昭 後に僕のサードバンドのギターリストとしてセッションしてくれるんですけれども、その彼のバンドPLAGUESをバックに歌った曲ですね。それまで僕は十数年来エックスバンドであるハートランドをバックにとって来た訳ですけど、ハートランド以外のバンドで演奏してレコーディングするのがこれが初めてでした。

Qライブではレコーディングされたものとは違ったアレンジで演奏されるものがありますが、それは何故ですか?
佐野
よく80年代90年代とレコードにした曲をライブでは大幅にアレンジを変えて披露することも多かったですね。それは何故かというと演奏を楽しみたかったからです。でー長い長いツアー同じ曲を同じ型で何回も演奏すると飽きてしまいますから、そうすると演奏スリルというものが無くなってきて、そうするとライブに活気がなくなってくるんですよね。僕自身もバンドメンバーも常にその楽曲に新しい新鮮な気持ちで付き合いたかったので、どんどんツアーの中でアレンジを変えていくという結果になりました。

6 この街の何処かで

僕は2004年に自分のレーベルを設立します。デイジー・ミュージック・レーベルですね。そのデイジー・ミュージック・レーベルから第一弾アルバムが『THE SUN』、それに続く二倍目のアルバムが『COYOTE』ですね。これまでのホーボーキングバンドではなく、新しいバンドを持ってきて、まあ僕よりずっとキャリアの若いドラム、ベース、ギターを集めてのレコーディングとなりました。何を歌いたいかって明確な時でしたから、コヨーテというアルバムは自分のキャリアの中でも凄く上手くいった良いアルバムになりましたね。

7 ヤング・フォレバー

ゲスト山下久美子からのメッセージ
山下
佐野くん元気ですか?30周年おめでとうございます。私は何しろ80年同じデビューということで80年代は特に色んな場面で御一緒させて頂くことが沢山あったから今でも思い出すことが物凄くあって、なかなか短い時間では語りつくせなかったりするというそれくらい物凄く胸に溢れているという感じで、困ってしまうんですけれど、今回30周年を迎えたということで今もなお佐野君が物凄く元気でキラキラ輝いて活躍しているってことがすっごく嬉しいです。そしてこれかも勿論素敵に思い描いていることを色んな形にしていくんだろうなってことを思うと楽しみでしょうがないっていう。丁度20周年の時、佐野君とお会いして、これは僕にとって通過点だって語っていたのが すっごい印象に残ってますね。だから今もそういう大きな通過点に遭遇しているんだろうなって勝手に想像しています。余談ですが、その頃うちの娘が下の娘が丁度一歳になったばかりの娘を連れて佐野君のコンサート、渋谷公会堂もうCCレモンホールっていう名称になってるけど、渋谷公会堂、我々にとってもとても思い入れ深い場所にて佐野君のコンサートを見に行ったことを今も私達には宝のような思い出になって残っているんですけれど、娘が凄い興味を持ってコンサートを最初から最後までニコニコで見ながら見ていた姿がなんかとっても微笑ましいというのか、凄く一緒に過ごせた、同じ空間とか時間を共有できたことが、とっても私誇らしくて、ナンと言っても彼女にとっての初めてのコンサートが佐野元春よっていつか誰かに語ることが私は何か楽しくて仕様がありません。そういうことなんかも含めていろんな場面で、いつも私は佐野君から力を貰っているような気がしています。是非これからも益々輝いて益々真のアーティストとして色々な思いを貫いて欲しいなって思います。今度3月6日の大阪城ホールでのコンサートを楽しみにしています。10年ぶりでしょうか一緒に歌えるのは、本当に楽しみにしています。これからも是非頑張って下さい。山下久美子でした。

佐野
3月6日僕のファイナルの一つである大阪城ホール、山下久美子さんも出演してくれるということです。嬉しいですね。みなさんも楽しみにしていて下さい。
ではここで「月と専制君主」から、オリジナルは1984年VISITOROSです。

8 日曜日の朝の憂鬱

来週は「バンド」というテーマでお話を伺います。

佐野
今夜も聴いてくれて有難う。

9 シュガー・タイム


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ヴァレリオ・ベッルーティ展 KIZUNA

2011-02-11 11:57:42 | 坂本龍一
ヴァレリオ・ベッルーティ展 こちら
教授がオリジナル曲をアニメ作品に書いたようです。
視聴できず・・・

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Slow Songs / 佐野元春

2011-02-11 10:03:20 | 佐野元春
mfさんのblogのコメントでこのアルバムのことを思い出し、久しぶりにステレオで聴いている。
1991年8月28日発売 EPIC SONY
佐野さん本人としてはレコード会社の要請で作ったとのこと。
「情けない週末」と「バッドガール」の2曲は、前田憲男のアレンジ&指揮によるフル・オーケストラ・ヴァージョンとして、リメイクされている。
そしてジャケットを久しぶりに開けると山本容子の細い線で描いたグラフィック
確か読んだことがあったなと読み返した小川洋子の文章。小説かな。
そうか、小川さんこれにも書いてたんだと再確認した。



1. 恋する男
2. こんな素敵な日には
3. 情けない週末(フル・オーケストラ・ヴァージョン)
4. ふたりの理由
5. 真夜中に清めて
6. バルセロナの夜(リミックス・ヴァージョン)
7. 週末の恋人たち(同)
8. バッドガール(フル・オーケストラ・ヴァージョン)
9. 彼女(リトラック1991)
10. 君を待っている
11. 雪~あぁ世界は美しい
12. グッドバイからはじめよう


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元春レイディオショー 2011,2,8

2011-02-08 23:01:11 | 佐野元春
3PICKS
アメリカ ジョージア州出身のヒップポップアーティスト 現在33歳
2004年に最初のレコードを出して、以降5枚のアルバムをリリース
My Beautiful Dark Twisted Fantasy - Kanye West
僕の心の中にあるネジレタ幻想の美しき闇
っていう意味になるでしょうか。ちょっと皮肉ったタイトルです。
兎に角、このニューアルバムは色々な方面で高く評価されているようです。曲のアイディアとか・・僕のコンテンポラリーということです。アルバムジャケットのアートワークも含めて、とてもアーティスティックな作品になっています。
普段ヒップポップを聴かない人も楽しめるんじゃないかって思います。
カニエ・ウェストというと、ゴシップネタが多い人でもあります。
あるポップ音楽のアワーの席上で酔っ払って、今人気絶好調のシンガー、テイラー・スウィフト(Taylor Swift)のいる所に乱入して場内からブーイングを受けるというハプニングがあったということ。ファンにとったら堪らなく楽しいキャラクターなんじゃないかなって思います。

1 POWER / Kanye West
キング・クリムゾンの曲をサンプリングしてコラージュした曲
俺達は21世紀を生きているんだ
そんなリリックが印象的です。

2 Lost In The World /Kanye West & Bon Iver
現代のアメリカを皮肉っぽくスケッチした。
(音が面白く良いグルーブがある。)

後藤:
アルバムが非常に評判が良いのですが
佐野:
有難うございます
後藤:
NHKのテレビのsongsで演奏されましたが、まずこの曲を聴いてください

3 JUJU

後藤:
アルバムに関してファンメール。最初、セルフカバーの構想をきいた時、焼き直しの加工品と思っていて、あまり期待していませんでしたが、新鮮で高品質でビックリしました。過去の楽曲が昇華して輝いています。これから末永く聴けるアルバムとして重宝させて頂きます。10代で手にしたアルバムsomedayのように。
佐野:
ああ、それはとても嬉しいですね。
たぶん、何回も聴いても問題ないアルバム。後藤
アルバムの中で僕はJUJUがあんまりイメージが変わらなかったんですが、まあそれでもオリジナルとは全然違うんですよね。
佐野
そうリズムアレンジは、これはもう、もろモータウン丸出しにした演出ね。モータウンの初期のサウンドプロダクションを司った
モータウンレーベルへの敬意を持って自分なりに現してみたんですけれど。
後藤
今日は聴きたいなって思って用意してきた質問がありまして、
セルフカバーをするってことは、佐野元春というアーティストを佐野元春という本人がもう一回検証するわけじゃないですか。ちょっと硬くなっちゃたんですが、改めてそのアーティストを見てみてソングライターとしてどう思います?
佐野
うーん、その自問自答が常にあるんですよね。ソングライターというのはどこか傲慢なところがあって、自分が過去に作った曲でさえも、今に鳴り響くはずだ。どこか自分が作った曲には普遍性が宿っていて欲しい。と願っている、まあ我儘なんでしょうけれど。果たしてそれが本当かどうかは聴き手が判断することですから、こうして「月と専制君主」のように
自分なりに本当に時代を超えるのかっていうのを実験してみてで、みんなに聞いてもらって、みんなが良いよって評価されたら嬉しいんですけどね。
後藤
時代によってソングライティングのメソッドというか、方法論っていうか、やり方っていうのはあるんですか。
佐野
それはねソングライターそれぞれのメソッドを持っていると思うんですよね。ただそれぞれの時代によってメソッドを変えるってことはあんまりないんじゃないかなって。
後藤
今回歌詞がちょっとずつ変わってたりとか。イントネーションがより響くように改良されたりしているんですけど
歌詞の持っているグルーブとかニュアンスとかが本当に変わっていないんですよね。そこが何か新鮮に聴こえたんですよね
佐野
歌詞を書いたのも僕、曲を書いたのも僕、サウンドデザインしたのも僕、だからそれを壊して、それを作り変える自由がこう僕にあるということですよね。これ人の曲をそんな壊して作り変えたりしたら失礼ですけれど、自分で作ってきたので作り変えるのも自由、その自由さがこう最大に利用して、楽しんで作れたんです。
後藤
なるほど。JUJUを今聴いて思ったんですけど、サウンド的にですね。やっぱりアナログ感が凄くあるんですよね。その先週も掛けさせてもらったマスタニング・エンジニアのGavin Lurssenの仕事をもうちょっと紹介してもらいたいんですけど、
佐野
今回はアナログ的なサウンドを響かせたいというのが、サウンドの視点ではありました。
アナログ的なサウンドを奏でるべく、レコーディングの方法もとったし、そのアナログサウンドを熟知しているエンジニアと一緒に仕事をしたし、マスタニアエンジニアもGavin Lurssenという米国で比較的アナログ的サウンドを作るには一番長けた優れたエンジニアと一緒に仕事をしたんですね。先週は彼が手がけたレコードの中からトム・ウェイツとか、ジョー・ヘンリーのレコードをかけましたけれども。今日はね彼の手がけたものを幾つか持って来ました。一つ面白いなっと思ったんですけれども、今日持ってきたこの2曲、2アーティスツなんですけれど、プロデューサーが同一なんですよね。T・ボーン・ バーネット。この元春レイディオショーでもよくかかる頻度がけっこう多いですよね。
後藤
特集さしてもらったんですけれど、エルビス・コステロとか、ロバート・ランドルフとか、エルトン・ジョンとレオン・ラッセルのデュエット・アルバムもT・ボーン・バーネットでしたよね。
佐野
一風変わった世界観を持ったシンガーソングライターが好んでますよね。
後藤
それでは聴いてもらいたいんですけれど、3PICKSでも取り上げた
4 I Lost You /Elvis Costello

後藤
これは佐野さんの「月と専制君主」のマスタリングを行ったGavin Lurssenの仕事なんですけど、まあプロデューサーのT・ボーン・バーネットも素晴らしいんですが、この音を作るのは、やっぱりチームなんですよね。
佐野
そうだと思います。ジョーヘンリーとかT・ボーン・バーネット、その音楽に詳しい方ですと、彼らがどれくらい優秀なプロデューサーか知っていると思うんですが、T・ボーン・バーネットとかジョーヘンリーと一緒に組んでいるのが、このマスタリング・エンジニアのGavin Lurssenですよね。そしてプロデューサーに好まれているということだと思うですよね。アナログ的な、そして自然なサウンドを作るんだったら彼だっていうことだと思うんですね。
後藤
佐野さんって80年代にNYに行って、まあもっと前からそうなんかもしれないんですけれど、色んな優秀なエンジニアとかスタッフとかと一緒に仕事をして、紹介してますよね日本のミュージックシーンに対して
佐野
うーん紹介しているというかは僕のファンに良いサウンドを届けたい。そういう気持ちです。
後藤
勿論そうだとは思うんですけど、企業秘密って無いタイプですか?
佐野
(笑)何を企業秘密とするか。人によって違うと思うんですけど、良いものはみんなでシェアしようという、そういう感じだから、自分がやった良い成果のものはみんなも使ってみたらどう?
後藤
そうですね、決して、なんとか賞をとったからとか、何百万枚売ったからとか、そういうのでは選んでないですよね。
佐野
そりゃあまあ僕にも好みがありますから、やっぱり自分の好みに沿って、そのサウンドのね。表現したい傾向のミュージシャン、それから技術者、ってのは選びますよね。
後藤
先週も同じ事を言ったんですけど、決して肩書きとか評判とかではなく、耳で選んでいるわけですよね3PICKSは我々はね。
佐野
はい。勿論です。
後藤
やはりそれはこれからもそうしていくべきですよね。
佐野
そうですね。良い楽曲の基準というのは、人それぞれ違うと思うんですけれど、音楽番組をやらしてもらって思うのは、僕の個性というか、僕の耳で聴いたgood musicは何かってことを披露するしかないわけですから、そこの軸というのはずらす訳にはいかないです。
後藤
次の曲はですね、結果としてはグラミーを取ったんですが、日本では、ほとんど評価されてなかったのにもかかわらず、アメリカではジワジワジワと売れて何年か前にグラミーをとった曲なんですけど。これもT・ボーン・バーネットとGavin Lurssenの
佐野
チームで作られた。ロバート・プラント、知っている人は知っていると思いますけど、英国レッドツェッペリンのボーカリスト、彼はアメリカに渡って、アメリカのルーツ音楽にとても興味を持ち、アメリカのブルーグラス界の第一人者と言われている。アリソン・クラウスと組んで一枚のアルバムを作った。このアルバムもなかなか素晴らしいアルバムでしたよね。調べてみるとやっぱりT・ボーン・ バーネットとAlison Krauss。これも驚きでしたね。

5  Stick With Me Baby /Robert Plant & Alison Krauss
この曲も「月と専制君主」のアルバムを手がけたGavin Lurssenの仕事だったんですけど、聴いてみてどうですか
佐野
やっぱり同じエリアのサウンド、サウンドトーンとマナーは同じ領域だなって思いました。
佐野(ビートの旅人 さんからのメール)
新しいアルバム「月と専制君主」を聴きました。どうもありがとう。歌の中の君ということばを色々と置き換えながら聴くとはっとするようなメッセージを感じました。
後藤
ビートの旅人さんから素敵なメッセージを頂いたんですが、君というキーワード に関して、佐野さんどう思われました?
佐野
歌詞の中で、語りかける対象として 君 として表現していることが多いんですけれど。確かに曲を書いていて、その君という対象が明確な時もあれば、自分でも曖昧な時もあるんですよね。ただ、詩というのは、論文ではないですから、曖昧ながらねこうライティングが進んでいってもこう構わないんじゃないかって思ってます。というのは、いずれこのしにリズムが付き、ハーモニーが付きメロディーが付き立体化されるわけです。あとは、作品が聴き手に届いた時に、聴き手がどんな思いを浮かべてくれるか、どんな景色を思い描いてくれるか、ここが大事だと思っています、ですので、平たく言うと詩を書く、その詩を書くときに、ここを見ようとするのは、映像が思い浮かび易い詩を書きたいということですよね。聴いてくれる人が自分の映画をつむいでくれるような。そういう詩だと良いのではないかなと思います。
後藤
映画といえば、堤幸彦監督がCOYOTEというアルバムにインスパイアされて、出来た「コヨーテ、海へ」という作品がありましたが、あれは、佐野さん御本人から見てどうですか
佐野
嬉しいことですよ。映画というのは互層的な表現だと思うんですよね。スケッチがあり、役者の演技があり、映像があり、音楽があって、一つのトータルアートだと思うんですよね。監督が僕の音楽に刺激を受けて、そしてストーリーを紡いでくれたというのは、凄い本当、とても光栄なことだなって思いました。
後藤
そんな言葉と映像のコラボレーションに関してもう少し詳しく
佐野
僕は言葉と映像のコラボレーションは表現の可能性ということで見てみると、限りないものがあると思いますね。80年代からミュージッククリップで3分か4分かの宣伝用の映像を作るのが一般化しましたけれども、ああした表現を超えて、やっぱり今後、映像作家と自分の音楽とコラボレーションを続けていきたいってのがありますね。
後藤
次の曲はGavin Lurssenの関った曲をいきたいんですが、僕はこの人の曲も情景が浮かんでくるような感じがするんですよね。
佐野
ジャンルで言えばジャズということになるんでしょうが、とても優れたシンガーソングライターだと思っています。これはジョーヘンリーがプロデュースしてマスタリングがGavin Lurssenですね。僕は昔からこのシンガーの曲は大好きで、やっぱり自分の好きなシンガーから好きなプロデューサー、好きなエンジニアでね仕事してたりすると、やっぱなーって気持ちになりますよね。
6 The Way of the World /Mose Allison

後藤
今、ツアー中ですよね。どんなふうに盛り上がってますかね?
佐野
順調ですよね。久しぶりのホーボーキングバンドのメンバーとのライブですから、やっていて楽しいし、集まってきてくれているオーディエンスの皆さんも楽しんでくれていると思います。二時間四十分以上ぶっ続けで、殆どMCなしで演奏しまくっている感じです。
後藤
ファイナルは来月あるわけですけど、何かもう企画はあるんですか?
佐野
ファイナルのことを考えると僕も鼻血が出ちゃいそうなくらいなんですよね。30周年のファイナルでしょ。大阪と東京とあるんですが、大阪はもう既に色々なゲストが来てくれるってことで、一体どうなっちゃうんだろうって。また東京は東京で少し違う内容を演奏しますけれどもね。僕も凄く楽しみにしています。3月12日、13日ってあるんですけど、13日は自分の誕生日なんで、いったいどうなっちゃうんだろう?今からワクワクしています。
後藤
今言える範囲でゲストとかって
佐野
大阪はゲスト沢山居るんで僕もよく判らない。何かものすごい大きなパーティーになるような感じです。
後藤
改めてハートランドとホーボーキングバンドの合体バンドで作った「月と専制君主」ですが、どうでしたか?
佐野
先月でしたっけ?みんなでこのスタジオに集まってくれて楽しい話ができましたよね。
何よりも僕、30年振り返って誇りに思っているのは、優れたミュージシャン達と出会えたってことですよね。ハートランドしかりホーボーキングバンドしかり、メンバーが演奏家として優れているということ、それだけじゃなくってね、彼らと付き合って本当によくわかることはソングライターである自分の詩、言葉をとても大事にしてくれることですよね。言葉を大事にして演奏してくれる。これがソングライターでありシンガーである僕には有難いことですよね。というのは、やはり、ハートランドのメンバーしかり、ホーボーキングバンドのメンバーしかり、彼らは基本的には器楽のプレーヤーであるんだけれども、自分で曲を書いたり自分で詩を書いたり、自分で歌を歌ったりしている人たちも多いので、僕のようなシンガーの気持ちも分かるというかね。その上でのプレーという。そうしたミュージシャンと過去30年間出会ってきた、そして今でもサポートしてくれている。ということが僕に取ってはとても嬉しいことですよね。でまあ活動30年目を迎えたということでハートランドから古田たかしや長田進が集まり、Dr.kYonや井上富雄や山本拓夫のホーボーキングバンドのメンバーがジョイントする。レコーディングもし、そのメンバーと一緒にまたロードに出たり、ここは僕にとってとても大きな大きな喜びがあるんですよね。
ともすると30年もキャリアを積むとね、過去に一緒にやってきたミュージシャンたちと解散したり、もう会わなくなっちゃったなあみたいなことって多いですよね。でも僕らは違う。みんなそれぞれ良い仕事をしつつ、再会するとまた良い音を奏で、そういうことが出来るということが素晴らしいなって思います。そうしたことを考えるとね、僕らハートランド、ホーボーキングバンド本当小さなライブハウスから大きな球場クラスのコンサートまで共有してきた。色々な感動の場面を僕たちは分かち合ってきた仲、といえるんですよね。そして互いが互いのミュージシャンとしての立場をリスペクトしてきた。それがよく判るんですよね。同じ釜の飯を食った仲っていう表現があるけれども、そうして長きに渡って経験を共有してきたもの同士だからこそ奏でられる特別な表現というのが僕はあると思う。「月と専制君主」はそういう特別な長い付き合いの中から出てきた特別なサウンドだと僕は感じて居ます。
後藤
ツアーのファイナル楽しみですね。「月と専制君主」の中から「日曜の朝の憂鬱」を紹介してもらいたいんですけど、今書かれた曲のように聴こえたんですよね。それはサウンドのこともそうなんですけど、曲の持ってるイメージはそれほど変わってはないんですけれど、優しさ的なものは、よりこう前面に出てきている感じがして、曲が自然に入ってきた監事がするんですけどね。僕は当時VISITORSというアルバムを買いまして、本当によく聴いたんですけど、ヒップポップを取り入れたラップ的な楽曲が多いアルバムの中で、最も美しいバラード曲だったわけですよね。先週の「カフェ・ボヘミア」の中の「月と専制君主」はパリで書かれたということでしたけれども、この曲はやっぱりNYで書いたんですよね。
佐野
アルバム「VISITORS」に収録したサンデーモーニングブルー、今回は日曜の朝の憂鬱としていますけどね。この曲は80年代終盤、NYに滞在していた時に書いた曲ですね。セントラルパークとかよく行ったんですけど、セントラルパークを歩きながら、この曲の詩の断片が出てきたのを覚えています。汚れたベンチですとか、そこに散乱している新聞とか。そうした景色というのはセントラルパークの景色ですね
後藤
今回のバージョンで気がついたことなんですけど、歌詞を部分的なんですけど、英語を書かれた部分が日本語に置き換えられているんですけど、これはどういう意図でっていうか
佐野
特別にこうだからっていう理由はないんですけれども、新しい表現をするときに、その言葉の部分も見直そうということで、後藤君が指摘してくれた通り、オリジナルのサンデー・モーニング・ブルーではSWEET LITTLEGIRLを今回のバージョンでは小さな娘、sometimesって歌っているところを今回 時々 って日本語に開いて歌ってみたんですね。聴き手にとって、この曲をよく聴いてくれた人にとって違和感があったら嫌だなって思ってたんですけど、自分で聴いてみてもこれぐらいだったら許される範囲かなって思って、オリジナル英語の部分を日本語で開いたってのはあります。当然リスナーにとっては英語よりも日本語で歌った方がリアリティーを感じてもらえるはずなんですよね。やっぱり80年代という時代に書いて、考えたり、またその当時20代だった自分の若さにも多少の気取りがあったり、80年代の当時は僕も含めて日本が外へ外へって視点が向かっている時期で、奇跡的に景気が良くなりましたから、外からの文化に輸入していくっていうのは激しくありましたよね。それと同時に僕を含む新しい世代が外へ外へと日本の外へと視点を向かったので、ポップ音楽の中の言語についても日本語に拘る必要はないよ。響きっていうものを重視して、英語がこようがフランス語がこようが良いじゃないかっていう、そういう雰囲気がありましたよね。しかし、ソングライターの視点で見て、冷静にもう一度この歌を捉えなおした時に、この部分は日本語に置き換えて歌った方が良いんじゃないかと、今のリスナーまた新しい世代のリスナーによりリアリティーを持つ響きになるんじゃないかなって思いがあって、今回そうやってみました。聴いた人がどう思ったのか是非きいてみたいです。
後藤
この曲、間奏のところで凄くふわっとしたハーモニカが入って来るんですけど
佐野
ああ、良く聴いてくれているね。僕です。
後藤
あ、そうなんですか。僕、昔から佐野さんの吹くハーモニカって好きなんですが
佐野
ライブでは時々ね思いに任せてハーモニカを吹くんですけれどね。レコードでは、そうですね、スターダスト・キッズとか、そんなに多くないですね。でも今回「日曜の朝の憂鬱」は僕のラインナップに加わりました。

7 日曜日の朝の憂鬱 /佐野元春


コメント (2)
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ボクらの時代 小泉今日子×永瀬正敏×古田新太

2011-02-06 07:35:37 | TV番組
45歳 寄る年の三人

古田
加齢で老いを感じること増えてきたよね
小泉
この前、老眼の話をしていたけれど、その後、すぐに老眼鏡を買いに行った。

老いを愉しむ
若いときの残像を持っているみんなにショックを与えたい。
若いと思われたくない。
45年も生きてんだよ!
古田
キョンキョンはアイドルで売れていたから、この世界での演技のきっかけ
小泉
でも いつも現状に満足できず、不満足のアイドル時代だった、もっと
大人の雰囲気の女性に憧れていて、いつか向田邦子さんの作品の いしだあゆみ さんとか なりたいって。でも年齢的に10代では無理だしね。
古田
永瀬くんは?
永瀬
僕は宮崎の小さな町の出身で、ちょっとだけ進学校に行って、それに合ってなくて、その時に非暴力的に反抗したくなって、オーディションで「セーラー服と機関銃」にうかって、殆ど勘当で東京に。それがきっかけかな。相米監督は厳しく何も教えてくれないし、ナンだこのやろうとか思っていた。
古田
ボクは舞台俳優に憧れた少年時代。高校の文化祭みたいなのに始まり。中学に演劇部とか無かった。
早く大人になりたいって思っていた。
小泉
今でも早く大人になりたいと思っている。人より先を見ていたいとか思う。
古田
ピーターパンシンドロームとか言われていたけれど
小泉
まったく思ったことがない。
古田
年金のこととか、舞台の世界って、そういうのって気にかける世界ではないというか。でも先のこと・・
小泉
私もけっこうそういう感じですよ。
永瀬
小泉さんも早熟でしょ。ちょっと一緒にいた時期があったじゃない。誰に言われる訳でもなく、みんなより先にちょっと行ってたりするんですよ。
小泉
社会に興味がある。
今までやって来たことが

演劇人も若い人たちは飲まなくなった。テレビ業界で売れている人たちは、連れて行くと付いてくるね。若造たちが物凄い熱く話をするんだよ。今度映画を撮るよ、また教えて下さいみたいな。
小泉
この世代は
古田
子ども時代に白黒からカラーテレビに、
小泉
カラーテレビが来た日も覚えているし、全自動洗濯機とか、電話でも大人になってから携帯電話だったし、テレフォンカードとかでもビックリするでしょう?
40代でもblogやtwitterとかやっている人多いでしょう。
私全くやらない興味ない。豆じゃないと出来ない。
やらないでしょう?
永瀬
うん、やらない。
古田
居酒屋とかで携帯とかで何かやっている。写真を撮ったり
小泉
私は写真にのっかるのとかは好きだけど、面倒くさい。携帯もメールとか返事がこないので有名なの私。
メールとかで連絡するキャンペーンみたいなのはもう終わっている女性の世界なので、必要な時は連絡をしてくれるという信頼があるのかな?全くしません。携帯も持っているのが嫌なんだけれど、持っていると便利な場合もあるのね。

小泉
(「毎日かあさん」でアル中の役をした永瀬は)お酒全くだめなんですよ。
永瀬
場の雰囲気は好きなんだよ。アル中の役をやったけれど、どの程度かなというのが判らないので、中村君と一緒に飲みに行って、観察させて貰った。あーこういうのねーって。
小泉
浅野君も全然飲めないので、でも演技は上手くて、私はうまく出来なくて。
古田
酔っ払っている人ってよく見るけど、ドリフの話みたいに、電柱に誤る人とかいっぱいいるからね。
小泉
私は一人で飲むのが凄く好きで、よく一人で飲んで帰って来た。一度玄関でブーツを履いたまま寝ていて、何してんの?って言われたことがあった。
永瀬
女友達と一緒に呑んで帰って来たことがあって、リビングで寝かせていたんだよね。僕が起きてリビングに入ると、あれ?今日子なんだか大きくなったって、でも違う?とか(笑)

二人で一緒にご飯を食べに行って、きちんとネクタイとか締めて行く店で、
そしたら螺旋階段をどどどどっておちてきて
小泉
全然酔ってなかったよ。でも、酔ったらそういうことしちゃったりするのね。
古田
2時3時で渋谷とかでキョンキョンに会うとそんな感じ。
小泉
もう(笑)。古田さんは、あんまり変わらないですよね
古田
あんまり変わらないね。この年になると、割り勘とか言いにくい。
小泉
そう割り勘とか言いにくいよね。誰か間に入ってくれたら有難い。
古田
大人は5000で子どもは3000でーとか誰か言ってくれたら、大大人は1万でーとか言い易いんだけどね。

来週もこの三人で死生観・親子なども含めて鼎談する。

コメント (8)
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