2021,3,27土曜日放送
吉増 剛造(よします ごうぞう)
東京出身、福生市
1939年(昭和14年)2月22日 生まれ
吉増剛造の手に20205月号の群像があった。付箋、蛍光ペンでマークされた「佐野元春インタビュー」
僕も書庫から取り出した。
この雑誌がきっかけとなって吉増が知人を通じて佐野へ送った一通4枚の手紙をきっかけに始まった。
佐野は手紙以上のメッセージを受け取り、手紙を一つの作品として残し、擦り切れたりしないように、自分でタイプアップして書き出して何度も読み返して、返信を書いた。
東京から三浦半島へのロードムービー。大型バスの中、太平洋を望む海岸、そして海辺の一軒家。
佐野元春が夏に滞在して詩を書いたり創作する場所へご案内します。
おじ・おばがこの近くに住んでいるのでと愛犬ゾーイを連れて歩く佐野元春と吉増剛造
「2日間にわたるダイアローグは、佐野が自らの音楽を分析する言葉の旅となった。」
とHPにあるように、この番組の内容は深く単純に反応したり理解したりするには時間がかかるかもしれない。
コロナ禍でミュージシャンとしてのパフォーマンスなどが出来なくなってしまった。条件があることで本質が見えてくるようになった。
一大事が起きたから反応するのではなく、普段からある種の危機感を持ってやってきたが、ライヴパフォーマンスをすることが出来ない。だから作曲をしよう、構えてするのではなく、むしろ淡々といつもの自分の姿勢を変えずに淡々と詩を紡ぐ、曲を紡ぐ、逆にそのような心境になりました。2020年12月に感染対策をしてライヴを複数個所で行った。観客とのコール&レスポンスなどが出来なくなった分、自分の表現するペースで表現に集中して見えてくるものがありました。
吉増は今、非常に重要なキーワードが出てきました。ここ十何年かのThe Coyote Bandとの作品を聴いてみて、ギターが二本、ベース、ドラムス、キーボードというメンバーが演奏しており、時折、佐野さんの後ろからヴォーカルとして入ってくるあの微妙な表現の層が危機感を持ってるような緊張感を持ってくるような時があるんじゃないか
佐野は嬉しそうに笑いながら、コヨーテバンドのメンバーはそれぞれがシンガーソングライターですから、僕の書いたリリックを聞いて、それに楽器でどう反応しようか、こういうような現象が起こるわけですよね。
それまでは、メロディーが先で言葉が追随していくという曲の作り方をしていたのですが、コヨーテバンドと一緒にやるようになってからはまず言葉が先で、ビートとメロディーが出てくるようになった。初期の頃とは真逆になってしまったんですね。
佐野が高校時代に吉増剛造の詩を読んで、さっぱり理解できない。
そこで、韻律に絞って、心の中で読むのではなく、語ってみた。
そうすると非常に音楽的だという発見があった。
ビルドアップして大きなダイナミズムを生んでいく
詩の中にビート、僕なりの表現をさせてもらえるなら、ロックンロールがあった。
詩の中に意味性を超えて巻き込まれていく感じですよね。
心の中で読むことで得られた経験です。
佐野が吉増の「失踪詩篇」1970年を朗読
確かに、韻律、ビート、音楽的な要素、波、海のうねりへ
発展していく感覚がった。
ビート・ジェネレーションの話
1980年代半ば、吉増は何度もアーウィン・アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg, 1926年6月3日 - 1997年4月5日)と対談していたし、佐野元春も雑誌「This」の取材でアレン・ギンズバーグに会っている。
佐野はジャック・ケアルックジャック・ケルアック(Jack Kerouac、1922年3月12日 - 1969年10月21日)の「ON THE ROAD」を日本語のものを読んでみた。でも、散文詩的であったので、原文を取り寄せて英語で読んでみた。すると韻の嵐だった。
ON THE ROADに影響されて散文詩を書いてみたいと思うようになった。
「エーテルの月はダイヤモンドに溶けて」という散文詩を書き始めた。
朗読「エーテルの月はダイヤモンドに溶けて」「こんな夜には」
映画「幻を見るひと」京都の吉増剛造
の映像が流れる。最近の教授のような物をぶつけて音を鳴らしたり、絵の具を垂らしたりする光景も。
佐野:現在の危機に、現代において詩はそれを乗り越える、打ち勝つ力をまだ持っているのか?ということをお聞きしたい。
吉増:これまであった短歌、和歌、俳句、小説あらゆる芸能も含めて、あらゆる価値あるものを、もう滅びたことにしないといけない。そういうものに自分の魂を傾けるわけにはいかない、そういう風に決断して
ヘボ道でも良い、読者がいなくても良い、誰も聞いてなくても良い、それでも表現の未知の大陸に向かって歩み出そう、形もない途方もない表現の大陸がある。アメリカと言うのはこの大陸のことかもしれない。人が生きて行って良い大きな大きな未完成の未知といって良い。これがギンズバーグの「ハウル(吠える)」が与えてくれたビートが与えてくれた根幹みたいなもんですよ。
私がしようとしていることは、そうした形あるものを全く拒絶して、拒否してそしてその形あるものの取り残して来たような断絶だとか亀裂とか空白とか沈黙とか、そこに目を向け、その中で大変な苦労をしなければいけないけれども、見つけてくるものを何とかして提示していかなければならない。それは提示ができないから提示の手前で終わってしまっていることかもしれないけれど、やろうとしたのが私の50~60年の貧しい道でした。そうしたことに本当に読者も要らない、解ってもらえなくても良い。新聞などのジャーナリズム文化に毒されないような、更に深い未知の声の根幹があるかもしれない。そういうものを時たま縷々、命綱のようにして見つけながら、それをお話していくだから、昨日・今日のお話はその一つの例ですけどね。そんな風です。
佐野:先生がヘボ道と仰ってますが、若い僕から見ると、T.S.エリオットが提示した「荒地」その荒地の先を面々とつながる詩人たちの努力。挑戦といったものが先生もその一員として荒地を(僕のイメージですよ)、その荒地を生き残りをかけて強くサヴァイヴァルの意識を持ってここまで歩んでこられている。決してヘボ道とは僕には見えないです。この勇敢さに本当に僕は感銘もします。
「幻を見ること」の映像
吉増が tongue of waterの tongue を何度も繰り返して言っていたことについて
吉増:tongue 英語に慣れた人でも発音が難しい。最後に u ユー と言っちゃうあれですが、
tongue , tongue で言葉が要らない盲腸を引っ張てるような、そういうこところがある。そうするとこれを捉えた佐野元春の直観というものは凄く深いものがあるなと思ったのは、それがジェームズ・ジョイスという人の詩
難解を極める詩の中で英語がどんどん解体されていく。英語の中の tell me tell me tell me elm これ少し韻を踏んでるんだな。英語を解体して波のように、また波であり、川であり海でもあるんですが、最後にnight 、Night! って最後に言うんですよね。
「聞こえないghが聞こえる」
ような気がしますね。英語の根源的な所に妖精のように存在しているこのNight , tongue はサイレントなんですよね。私が英語を習う時にナイトって書くときに無くても良いと思えるghが入ってる、サイレントが入ってる。これがジョイスの口から聞こえてくるような感じがする。
そういったところへ佐野さんの「コヨーテ、海へ」なんかの佐野さん自身も恐らく勇気をもって詩作(思索)の中で傍を通る力を利用して書かれたでしょうけれど
そこから先は勝利ある 勝利ある 勝利あるのみ show real
こうした普通、散文的な説明できちゃうことを説明しないで歌の中でこういう風にぶつけてくることは、そのtougue ,tougueという語感とそういう海へと引きずられて、そういうことを言うところまでやってきました。
佐野:いやー凄く面白いお話ですね。
吉増:歌が降りてくるとき、詩が降りてくる時 佐野さんにとって、どういう風ですか?
佐野:ここは凄く難しいですね。自分の傍にいる大事な人が語った一言であったり、時折、自分の詩が時事性を帯びることがあるんですけれども、しかし、それは自分がどうにか3分間、4分間、限られた時間の中で気の利いたイメージ、気の利いた表現を人々に出されなければならない。単純に出てきたものをそのまま出すのではなく、まるで文脈のない、幾つかの全く違ったもの、それはお菓子で言いますと、ミルフィーユのように、そのパイ生地が幾重にも重なるように、まるで文脈のないのが幾層にも幾層にも重なり、しかし、最終的にはどんな人にも受け取ってもらえる美味しい形をしたミルフィーユ パイとして仕上げる。
あとは聴き手の皆さんの経験や感覚でどう理解して頂いても構いません。このミルフィーユの3番目の層に反応して頂いても良いですし、5番目の層に反応して頂いても良い。
ですので、自分が書くとき、歌の中での詩というのは、自分の中で決して完結するのではなく、聴き手に、非常に卑怯なやり方かもしれませんんが、聴き手に頼る。聴き手の経験とコラボレーションする。そうすることによって自分の詩がその先に成り立ってくるのかなと。このような気持ちですね。このようなやり方ですね。
吉増:一生懸命聴きながら、佐野さんが一曲ずつ書かれた回想。 回想と名付けられた非常にユニークな佐野さんならではのその時その時の曲に向けられたラブコールのようなそういう言葉ですよね。これ自体が詩のようなね。
たった今、気が付きましたけれど、この回想の中で「コヨーテ、海へ」はたった二行なんですよ。
「自分が愛する日本語から計り知れないほどの多くの美しい可能性を引き出すために。」
たったこれだけなんだよね(とスタッフに向かって語りかける)
回想が・・そういう意味ではミルフィーユから外れた刃(やいば)の輝きみたいなものまでここに入ってるね。
しかし、「コヨーテ、海へ」は
宇宙は歪んだ卵 歌いたいような気がしてきたな(僕はここで泣けて来ました)
世界中に知らせてやれ
って「コヨーテ、海へ」これは傑作ですけれども
これについて、この回想の言葉・・・その中には
(佐野元春も吉増に言葉を重ねて)
ビートも成熟したものも入ってるし、メロディー、ハーモニーも
時々口ごもったような聞こえない GH が入っている
佐野:迷った時は(左胸を右手で抑えながら)自分の鼓動感をこうして1分間ぐらいは感じるんですけれど、ここを拠り所としてやっていけば良いのかなあ。僕の願いは自分を超えるのであれば自律的でありたい。
私が超えたいという欲望が非常に強い。
ですので、まだテクノロジー、デジタルイクイップメント(=デジタル機器)を使って自分の身体を自分自身を乗り越えよとしている発想しているうちは、まだまだダメだなと。そういう風に率直に思ってます。自分自身で乗り越えたい、その先に詩人たちの人間的な魂を今まで人々が見たことのないような感じで表出させることが、もしかしたら可能かもしれないと
今、ふと直感でそう思いました。
吉増:テクノロジーというのは、実体を追っかけますから、まだ空白のところは追っかけないから、まだそこまで行ってないから、だから寧ろその都度その都度テクノロジーをあるいは科学が取り残していくような凸凹のそこの空白みたいなものを絶えず触っていくみたいなことが必要なのかもしれないですね。今、佐野さんの話を聞きながら、急にこんな話をしました。へへへへ(笑)
朗読「こんな夜には」佐野元春
朗読「燃えるモーツァルトの手を」吉増剛造(1970年)
朗読「世界劇場」佐野元春