2010,7,25放送
ソングライター=現代の詩人
ポップソングは時代の表現であり
時代を超えたポエトリー
ワークショップ
アジアン・カンフー・ジェネレーションのニューアルバムからの楽曲「さよならロストジェネレーション」の歌詞の一部
「2010は僕たちを一体何処へ連れて行くの?」
この問いから触発されるあなたの回答を、4行の詩にしてください。
眼差しを未来に向けたときの、希望、不安、葛藤、社会や私達のありさま、などが、発想のヒントになるじゃないかな?
後藤正文も同様に作詞
早稲田の学生の詩を佐野元春が読み、本人にきく。
世代交代 適当につまみ食いした世界 飽きて回した世界 リボンをかけて手渡されて私達は上手く笑えてますか?
学生:渡される世界に対して、今から来ることにあまり希望は持てないけれど、それでも何かかえる力を持って生きたい、笑って生きたい、上の世代のたちから見て私達の笑いというのはどういうふうに写ってますか?
後藤:
みんな一行目から自分のことから書き始める人が多い
そうじゃない人がいてその中で、「風の中で」というタイトルで
一行目に「オレンジに変わる初夏の夕景」というのがあって、それが良かった。
「オレンジに変わる初夏の夕景 南風に膨らむ入道雲 それでも僕らは迷わず傘を持たず駆け出していくよ」
最初の二行は景色に言及していて、その後心象風景になって場面が変わるのが良いなって思って、
一つの景色にしてしまうと、ちょっと窮屈になってしまうというか。でも風景描写から入ることによって、言葉にできてない感覚みたいなものが伝わってくる感じがした。
読まれた早稲田の学生:
アジカンのファンで後藤さんに読まれるかもしれないと思って、2010よりも読まれたいという思いが強かったんですね。でもそれを出来るだけ抑えて2010ということで書いてみました。
立教大学「傍観」
「僕たちは濃紺の丸いゼリーの中を 白に向かって歩いていく 2010はそれを見ている」
時が具体化されたら、連れて行ってくれるというよりも、私達人間がやっているのをあきれてみているような気がして書きました。
今の世の中を言葉にできるのは本当に苦しい人ではなくて、私達みたいに普通に生活できている人で
だから黒ではなくて、でも明るくはないから紺ぐらいじゃないかって思いました。その中で一番はえるのは白じゃないかなって思いました。
佐野:
後藤さんは、このライン 未来を肯定したものなのでしょうか、それとも否定したものなのでしょうか
後藤:
これに関しては、多少のシニカルな言い回しというのがあると思っていて、自分達の上の世代の権力的めいたものに対する皮肉半分、何か少しだけワクワクする気持ちもあるという。でも2010年というと、僕らミュージシャンからすると、音楽は10年単位で語られるから、まあディケイドって言うんですけど、物凄くね気分的には新しい気持ちになれるんですよね。
80年代、90年代・・・・って10年単位で語られてきているから、何か新しいことができるんじゃないかなって気持ちで
このような表現をしている人が多くいたので、ああ被ったと思ったんで、恥ずかしかった。
後藤が自分で書いたもの
「君が夜と呼ぶのなら」
君が闇と言うのならば此処は闇
君が夜と現在を呼べば此処は夜
星になって 暗闇だって青に染まる
気にだって 夜を越えて朝が来る
どうしても歌にすることを考えてしまうんで、韻をたくさん踏んでいる・・・
佐野:
そこに機械があるけれど、それは何?
後藤:
それで実際にこれを歌ってみようかなって
(席を立って乗り出してくる佐野さん)
あと一個よいのがあったので、足せたら足すといいなあって
早稲田の政経学部のひぐちこうよう君の「太陽の呼び声」
これ僕のが「朝が来る」で終わっているので、太陽の呼び声というのが、その後の景色を歌っているような気がしたので、足せたら足そうと思っています。できるかなあ?
読んでみましょう。
「太陽の呼び声」
雨ざらしの昨日でも 目隠しの下でも 見たいんだきっと 好きになるエンド
このデモで雨ざらしと目隠しで韻を踏んでいるし、
デモとでもでも韻を踏んでいるし
きっとも お行で縛ってあって
好きになるエンドも多分合わしたんですけど、終わりがエンドなのはちょっと悲しいよね、そこはあんまりグッとことなかったんだけど。最後の一行だけは。
最初の昨日でも目隠しの下でも
っていうビジュアル的にも気に入りました。
今日一番、緊張してます。とおもむろに機械を操作し始める後藤正文
自分と学生が作った詞を後藤正文が即興で曲を考えて演奏しながら歌う。
はにかんで合唱して終わる後藤
佐野:
素晴らしい、素晴らしい!
後藤:
これ、三日前に買ったばかりなんで、ボリュームサイズを最後に落とすやり方がわからなくて、終わり方がダサかった。
佐野:
いやー、みなさんこれって即興だって思える?言葉があって、そして彼の中で音楽がクリエートされる瞬間を目撃した。これは素晴らしいことだと思いませんか?みなさん。
後藤:
いつもはこれをまた整えて、歌ってみて、良いか悪いかっていうのを考えて、だんだんこう口に出しながらスタジオでカタチを作ってますね。
佐野:
そして言葉に韻律を感じながら、よりいっそうにリズム、ハーモニー、メロディーにアジャストしていくという作業がこの後続けられていくってことですよね
後藤:
そうです。
佐野:
ああ、素晴らしい。
歌詞の一部を歌にしてもらった学生の感想
シニカルな詩が歌でポジティブさが出てた。
立教大学の学生の感想
詩をメロディーになる前に後藤さんの中に一度落としこんで、そこで広がったものをまたメロディーにすることで出てくるのかな。凄い変化があるんだなって思い感動しました。
後藤:
歌ってしまうと、何か言葉が足りないって感じるんですよ。
染まるよって歌ってしまったりとか、今のは即興で出てきたんで、自分でも説明はつかないんですけど、
割とそういうものを拾います。作っている時に。歌を作っている時に。そういうものって音楽で美しいと思っていて。音楽というのは、つまりは即興だと思っているんですよね。即興的に鳴らしたものの中で、響きが良かったりするものとか、間違っていたんだけど、何か愛おしいって感じたりするものを僕たちがそういうものをかき集めてきて何か一つの形にしていくってのをやっていて、言葉も似たようなところもあるような気がしていて、そうしないと速度が遅い、やっぱり。
今僕が歌ったけど、一番良かったところどこかって、自分では最後の
おおー
というところが、一番みんな、ああって思ったと思うんだよね。
それはどうしてかって言うと、音楽の速度が速いからで
僕たちソングライターは、それを追いかけてるんですよ言葉で
ただ歌っている時に出てくる言葉って速度が速いんですよ。はあーふうーってやっている間に言葉が自然に出てきちゃったり。
僕の中では それを採用というか、それがキーワードだったり。
自分的には、あんまり詩から書かないですよ。だから、今、やったことないことをやってみて心臓がバクバクだったんです。
(学生からの質問)
○アルバムを聴いていて、初期の頃から何か変化したことってありますか?
昔の歌詞とかを読んでいるとボキャブラリーが無かったので、敢えて自分の中でも小難しい歌詞で書いているので、ちょっと重いなってものがあります。
最近のは、なるべく平たい言葉を選んで歌詞を書くようにしているんですけれど、それは、その方が難しいからなんですけど。
シンプルに短い言葉で言いたい事を言うということが一番難しいんで。
でも、昔の詩は昔の詩で良さがあるんですよね。何かもう景色がぶっ壊れちゃってるんですよ。色んな所にポンポン飛んでいく。それはシュールリアリズム的な表現。だから僕は昔の詩は昔の詩で物凄くアブストラクトで面白いって思っているんですけど。でもね、あれは狙ったって出来ない。今は割りと意識的に詩であることを意識しています。思い入れのある詩だと思っています。昔は歌詞だと思って、もう詩のことは言うなよって曲聴いてよ みたいな、気持ちが半分以上ありましたね。でも、今も両方聴いて欲しいですけどね。
○日本語の歌詞ですが、自分の中では英語は使わないぞというのはあるんですか?
これは、語尾だけ英語っていうのはずるいなって思うんです。選択肢が広がるので、
僕も使ってないわけではなくて。最初に歌詞を書き始める時に自分で決めたのは、
カタカナにして意味が伝わらない英語、センテンスとかは辞めようと思ったんですよね。それは何か、その当時の既存の所謂J-POPと呼ばれるものの歌いまわしとかに対するちょっと反抗心があるというか。
何でこんな語尾にみんな、サビだけならもう半分くらい英語になっちゃった
ナンでなんだろう?って思ってたんですよね。でも当時、僕ね最初に歌詞を書き始めたときは英語だったんですよ。何でかって言ったら、言いたいことなんて何一つ無かったんですよ。メッセージも無かったし、でもある日、日本語でやろうと思ってからは、どうせ日本語でやるんだったら、徹底的に日本語で書きたいと思って書いてみようって。それは特に、だからと言って言いたいことが増えた訳ではないんだけど・・・
○自分から何もつくり出せないとか音楽を辞めたいと思ったことはあったか?そういうことがあったのなら、どうやって乗り越えてきましたか?
サラリーマンをやっていた頃はバンドがうまくいってないってこともあって、もう辞めて実家に帰ったりしようかなってよく思ったりしましたけど、僕の場合、辞めない方が良いって言ってくれる人が回りによくいたんですよ。なんかね、それでやってこれたってのもあって、不思議なものですけど。当時は評価されないことはおろか、デビューすら出来なかったんで、もう才能は無いんじゃないか、みたいな。って思ったんですけど、今はある程度認められたってことを差し置いても才能があるか無いかってことで、辞める辞めないということにならないっていうか、例えば、自分はジョン・レノンになれないことにはガッカリ来ているんです。それって凄い頭おかしいって思うでしょ?でもジョン・レノンのやったこと作ったものを知って悔しいって思うんですよ。だから救われた瞬間ってのは、友だちとか身近な人たちが自分の作品の素晴らしさを認めてくれて、褒め続けてくれたってことが僕の支えになってますけど、すごい。
佐野:
今日は即興で作品が創られるという素晴らしい体験ができました。協力してくれたみなさん有難う。
終わって
近藤・・・緊張しましたねー ライブをやっていたんで、初めてやって
ああゆう僕の揺らぎであったりすることも含めて楽しんでもらえたらよかったかなって思います。
佐野:
元々彼の作る詩というのはロックの詩ですね。あらかじめビートがあり、そして韻律を伴った詩で、
彼はよくロック音楽というのは比較的よく知ってますから、メロディーを外したり、リズムを外したりしても十分、ロックぽいものとして成立している。今日、後藤さんのお話をお伺いしながら、やはりそうだったのかっていう思いをしました。
後藤正文 第1回は
こちら