存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

MUSIC LOVERS / 元ちとせ

2008-08-31 23:44:00 | TV番組
阿部耕作
佐橋佳幸
井上富雄
Dr.kyOn
というメンバーを従えて元ちとせが「ワダツミの木」を歌っていました。

更に松任谷正隆のプロデュース曲「春のかたみ」を松任谷さんのピアノ弾き語りで初共演

元さんは、福耳の活動も含めて、教授や様々なアーティストと一緒に活動しているし、今後も広がりや、新たな世界観を構築しそうで、楽しみです。

子育てに必要なのはちゃんと目を見ていること。という話をしていました。



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ウィリアム・ユージン・スミス展

2008-08-30 21:40:14 | 写真
京都国立近代美術館
にウィリアム・ユージン・スミス展を観に行ってきました。













































ウィリアム・ユージン・スミス
(1918年12月30日アメリカ合衆国カンザス州生まれ
1978年10月15日アリゾナ州ツーソンで死去)










今回の展示は没後30周年という企画でした。展示作品は170作品。
取材パートナーとして水俣公害の実態を共に記録し報道してきた、彼の伴侶でもあったアイリーン・美緒子・スミスが厳選して手元に保管してきたものらしいです。

水俣病の取材をしたことで有名ですが、彼が父親を自殺で失っていたこと。
「LIFE」と契約して
報道写真家としてサイパン、硫黄島、沖縄の最前線に行ったこと。
沖縄戦で負傷して聴覚障害を抱えたこと。

シュヴァイツァーの活動も取材していたこと。
「LIFE」編集部と対立して契約を切ったこと。
チャップリンの休憩シーンやペットの鼠と遊ぶ娘やペットが死んで悲しむ娘も印象的でした。

全ての写真をじっくりと見てきました。
彼が亡くなっても、彼の撮影した写真にまつわる事件は、今もなお解決しない問題として継続しています。

これは一つのきっかけだ。


後で調べてみると、彼はNATIVE AMERICANの血も引き継いでいること。水俣でチッソが雇った暴力団に暴行されて大怪我をしていたこと。


別の階では「没後10年 下村良之介展」をやっていました。
自画像の作品が印象的ですが、紙粘土などで作った作品も印象的でした。僕の趣味には合いませんでしたけどね

コメント (2)
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サマーロックトークセッション/坂本龍一

2008-08-30 11:23:55 | 坂本龍一
                        渋谷 陽一(以下S)
                    【ゲスト】坂本 龍一(以下R) 2008,8,27

S:久しぶりに日本の夏を体験するとこんなに暑かったのか
R:蒸し暑いですよね。湿度が高いですよね。今年はNYも暑いですよ、そんな変わんない。
S:東南アジアの国の人がこないだテレビで言ってましたけど、インドネシアより日本の方が暑いと言ってました。
R:そうかもしれないね。
S:長く居るとこんなもんかなと思っても、今年の夏は暑いなってかんじなんですが、いきなりおじさんの季節ばなし
R:時候の挨拶(笑)

S:近々の活動としてHASYMOの「THE CITY OF LIGHT」を聴こうと思うのですが、HASYMOの活動というのが世間的には坂本龍一さんの一番目に付く活動という感じなんですけど、これは、坂本さん的にはどういうモードで?
R:僕はというか三人の合体した名前なんですけど、去年の12月に日本に居たときにYMOの三人でスタジオに入って、何も決めないで、しかも生楽器で何かやろうよっていう、まあ、随分前から10年くらい前からそういうことを言っていた。前に再生した時に既に言っていて、でも実際やりはじめたらコンピュータとかシンセとかを使ってしまったんだけども、今回初めて本当に生だけで、しかも曲もなくてセッション。
S:似合わない~
R:原点みたいな話。高校生みたいな感じですけど、幸宏は生ドラムで細野さんはエレキベースで、僕は生ピアノだけで結局回しっぱなしで二時間半ぐらいで出来たかな。二時間半分くらいの曲の要素はあるんだけど、そこから面白いところを切り取ってきたのが、一つが「THE CITY OF LIGHT」になって、また違う部分を切り取って、色々ごちゃごちゃ弄ったのがカップリングになっている「TOKYO TOWN PAGES」っていう曲になったんです。まだなってない使えるところも沢山あるんだけど、まだ曲になってない。という感じなんです。
S:久しぶりにそういう生セッションをやって、どうでした?ミュージシャン坂本龍一としては盛り上がったのか、新鮮だったのか、何やってんだか俺はって。
R:あの人たちとそういうことをするというのは、あんまりないことなので新鮮でしたね。二人とも本当に上手いからね。最近ライブもけっこう多いんですよね。去年5月に横浜でやったり、7月に京都でやったり、今年の6月に何と28年ぶりにロンドンでYMOとしてやって、けっこうライブが続いていて、だんだんそのライブバンドっぽくなってきているんですよ。(笑)この年になって、やっと。かつてはライブとかツアーとか三人とも大嫌いだとか言って嫌々やってたんですが、最近は何だか楽しくなってきちゃって、そういうノリになってきた所で偶然にも、そういう依頼が来るんですよね。ロンドンからも、スペインからもそうだし楽しかったです。またやろうなんて言ってるんだけど。
S:それはバンド小僧的な楽しみ?ライブって良いなーっていうの。それともまた違うレベルで?
R:あの三人のライブというのは、初期の頃は幸宏がライブでドラムを叩いたりとかはやっていたんですが、あんまりライブを楽しむとか、そういう気持ちはなく、義務的にやってた。一応コンピュータが主役でっていう意識があったんですけど、最近は、違いますね。別にコンピュータがなくても完全生でもOKっていうノリに変わってきたんですよ。
S:肉体的なライブに変わってきた。
R:そう、細野さんも62だけど、ライブになるとノリノリになって、え、男っぽいなって一緒にやってて思わず見とれちゃうというか、本番の時はベースを凄く大きくして聴いているんですけど、惚れ惚れしちゃうんですよ。昔から上手いけど、そこに男らしさみたいなのが加わってきたんですよ、最近。
S:皆それぐらいにキャリアと年齢を重ねて違うモードになってきて、それでまた三人がそうやってやっているというのも面白いね。
R:初期のYMOの人間的なライブ性のようなもの、あるいはパフォーマンス、演奏、人間だからこそできる演奏は否定的するモードっていうかな。否定するのがコンピュータ。だから僕らはコンピュータの奴隷の役割を敢えてやっていた。それがもう完全に無くなっちゃて、コンピュータとの付き合いも長くなって、コンピュータ使い方も解ってきて、必ずしも絶対必要ということはなくなってきた。凄く楽になってきてますね。
S:あの時代だからYMOが出していた肉体性の否定みたいなものは、それはそれなりにラジカルなコンセプトであったし、メッセージだったから、ただ今はもうそれを必要とされていない。そこまでやる必要はないという形になってきた。時代の変化の中でYMOも変わってきたということで。

「THE CITY OF LIGHT」(HASYMO) (4分25秒)

S:続いてはRYDEENをリメイクしたのを聴くんですが、YMOもHASYMOも同じといえば同じなんだけど、79と07ではこれだけ時間差があるわけだから、バンド内的なグルーブとかバンド内的なコミュニケーションとか、あるいは世界観、音楽的な世界観は今聞いてきて全然変わってきたみたいんだけど、人間関係とか人付き合いとか喋る内容とか
R:それは全然変わりましたよね。ここ4年くらいは割りと仲良くなってきたんですよね。その前は仲良くなくて殴りあいの喧嘩ですよ。まあそれは嘘ですけど冗談ですが、だって仲良くないから解散したんだから、91年だかに再生と称してやった時もやっぱり仲良くなかったんで、すぐにやめちゃったんですよね。3ヶ月ぐらいでやめちゃたじゃん一枚作って、それからまた随分時間が経ってんだよね。それからまた十何年経って、最近みんな年取ったせいかね、皆緩くなってきてね。一応まだ自我の残りカスみたいなものはあるんだけど。
今更ねガツガツぶつかってもしょうがないよってみたいな感じで、四年位前にじゃあYMOっていう名前で飯でも食おうか、飯を食う会を作ってさ、たまに飯でも食おうよYMOと称して、それが始まりかな。昔は喧嘩してたよねーって。
S:喧嘩いわゆる、それは昔話?懐かしい話?
R:そうだよね。
S:じゃあバンドの空気感も全然違うわけ?
R:ああもう全然違いますよね。
S:そんな仲悪けりゃ生楽器でセッションって言ったってね。無理ですよね。楽器でのコミュニケーション以前に言葉でのコミュニケーションがないんだったら(笑)
R:初期のYMOの頃は僕は顔を見たくないから日をずらして行ってた。スタジオに。レコーディングする時に。酷いでしょう?
S:原因が坂本龍一なんじゃないの?(声を堪えてあはは)
R:らしいね(笑)どうもそうらしい。(笑)最近気がついた。
S:可笑しい。絶対坂本だよって二人に言われていたんだ。
R:そうみたいよ。
S:そうみたいよって(あはは)。でもそうしてYMOと称して食事会をというのは、それでイキナリそういう和みムードに入ってった。
R:そうですね
S:楽しかったですか?
R:うん。今でもレコーディング終わったら楽しく、今日はどこで食べる?なんて、まるで友だち同士みたいな感じで。友だちなんだけどさ(笑)なんかプライベートな相談まで受けちゃって。なんか最近人が良いと思われているのかどうなのかわらないけど、その話を聞いてくれモードなんだよね、人が。僕はただ聴いているだけで、それはあのーとか言っているだけなんだけどさ。それって人が良い人の象徴みたいじゃないですか。
S:あれーでも坂本龍一って別にそんな悪い人じゃないし、
R:悪くはないけどね(笑)
S:もともと何か割りと親切な、どちらかと言うと、距離感はきっちり取るけれども、みたいな。
R:カリカリしてましたよね。今から考えても。物凄く、特にレコーディングの現場ではね。本当に針で裂くような、スネアーの4Kの4000ヘルツぐらいのデシベルが2.5か2.2かという0.3くらいの違いで、こんなことでもう口も利かない。みたいな、それくらいもう、そんな感じよ。ナンだったんだろうねアレは。
S:現場はそうだったんだ。
R:うん。でもさ、想像するにさ、村上春樹と村上龍と吉本ばななをホテルの一部屋に押し込んで、はい今から小説かけ、三人でって、もう大喧嘩でしょう。
S:そうだけど、だけどバンドだからさ、世の中そういうものじゃん。
R:もともとでもほら、一人で自己完結型で音楽を作ってた三人が集まったら、最初からバンドで零から音楽を作ってた人たちとちょっと違うでしょう?それが大きいかもしれない。
S:まあ、ミックとキースはずっと殴り合いの喧嘩をしながら何十年やってるからね。
R:あ、そうなんですか?今でも仲悪いのかしら?
S:そうそそ、今ではあれかもしれないけど、ずっとずっーとそういう関係性みたいで。その緊張感があれなのかもしれないけど、でもまあ仲良くなるという。だからもう一度RYDEENをやるという発想は、そういう人間関係がない限り、なかなかないかなーと思ったけどね。
R:あとさあ、当時はYMOという名前がね。重たくて、やっている本人達が一番重たく感じるわけ。周りよりも、もううんざりって感じで、もう辞めてよって、五年で辞めて、解放されて、気持ちいいんだけど、時間も経ったし、歳もとってきちゃったから、別にそんなにもう重たくも感じず、よき思い出ですから、YMOとの付き合い方が緩くなったと。
S:昔はYMO=自分だったんだけど、今はYMOというものがあって、自分もあってという
R:そうそう。
S:YMOを見てるって感じ。
R:そうそうそうそう。
S:という時間と距離感が生んだRYDEENの最新版を聴いて下さい。

「RYDEEN・79/07」(YMO)   (5分16秒)

S:もうやっぱりこのメロディは不変的で、例えばRYDEENにしろTONG POOにしろ、所謂YMOのインターナショナルなスタンダード・メロディーみたいなものがあって、それを担ってきた訳ですけど坂本龍一は。だから、それを今また弾く時のモードというのは、もう抵抗感がないのか、またこれか?みたいな。
R:だから、どうせ弾くんなら あんまり抵抗感もしたくないから、今の感覚で作ったトラックですよねこれは。今やっても懐メロにならないように、懐メロじゃやる気ない訳ですから。だから、割と凝ったトラックではありますけど
S:そんな中で流している自分は全然OK?
R:ただ、これを作った時点と今ではまた、その後何回もライブでやったりしているので、ちょっと気分も違ってきて、これよりかは遥かにもっとライブっぽいグルーブがありますね。
S:へーそうですか、それはまた面白い。

 続いてはですね。まあ坂本龍一、所謂ソロという形では、2004年に発表された「CHASM」という、これは私は、大変大変好きなアルバムで、

R:有難うございます。もう四年前か、四年もほったらかし
S:そうですよ。早く作ってよ。こういう続きをー。これ最高だったよー
R:今作ってるんですよ。
S:本当に?大丈夫?
R:来年の頭には次のが出る予定で
S:それは素晴らしい。「CHASM」というのは、所謂坂本龍一の持っている、凄くすごくこう何というのかな、こう音をどこまでも、どこまでも追い詰めてキッチリ繊細に作る そういうアーティストとしての側面と、それからまあロックミュージシャンとしてのそれなりのグルーブ?下手なロックミュージシャンよりも誰よりも破壊的なキャラクターですからね坂本龍一は、そういうものと、メロディーメーカーとしての素晴らしいポップなメロディーを書く坂本龍一そういうものが全て合体したものが坂本龍一だと思っているのですが、それを中々出してくれないですけど、このおじさんは。
R:有難うございます(照れ笑い)
S:ようやくやってくれたーという感動的な作品だったんですが、何でこんなインターバルがあいたんですか?
R:まあ、そのこのYMOがあったりとか、沢山やることあるんですよ。COMMMOSっていうのを立ち上げたりとか、あとで話にも出てきて欲しいなあと思うんですけど音楽以外にもMORE TREEというね植林活動をやったりとかね。もう大変ですよ。
S:四年は長すぎですよ。
R:そうですか?はい。(笑)
S:CHASMみたいな非常にトータリティの高いああゆうものを作っていくというのは、やっぱり坂本龍一的にもかなりな労働量になるんですか?
R:そうですね、かなり集中した時間が必要ですよね。半年とかね。だから、自分がそのモードになるのも、なかなか大変なことでね。ちょっと、どっかから飛び降りる位の、気持ちに高まらないと、そういう時間を取れないしね、この間ずっとほっておいた訳ではなくで、CHASMⅡを作ろうと思って、色んなトラックとかを作って溜めてはいたんですが、Ⅱを作る前に何か音楽的な趣向が僕の中で変わってきてしまってですね。幻のCHASMⅡになってしまう恐れもありますね。
S:ダメです。早くやって下さい。
R:あっそうですか(笑)今だから、やってるところなんですよね、遅くても三月まで出すと思います。
S:皆聴きましたよね?ここで証拠として残りますからね。三月ってはっきり言いましたから。スタッフの顔を見てますけど坂本龍一は。

「アンダークールド」             (坂本 龍一) (4分30秒)

S:格好良いね。
R:けっこういいじゃん。(笑)
S:貴方が作ったものですから。
R:聴いてない。
S:聴いてない!?聴いてよ。
R:忘れちゃいますね
S:04だけども、この時代的にまだ。まだ早すぎるぐらいの温度で鳴ってるって凄いなあ。
R:シンプルだけどグルーブもあるし
S:何、人ごとみたいに言ってるんですか?
R:乱暴さと繊細さと切なさと郷愁みたいなものがあるし、なかなかいいじゃん。
S:もう情けなくなってくる話。どうして、その他人事感がねえ。でも本当、最高だと思う。これねえ正に坂本龍一だと思うんだよね。
R:こうやって並べて聴くとYMOとも随分違う。
S:違うんだよ。坂本龍一が坂本龍一たるところは、やっぱりこのCHASMの中にあって。元々評論家なんで、そういう判断だけで
R:見えてるね。さすがだね。
S:そうなんだよ。これ出来た時に、凄い凄いって言ったじゃん。
R:言ってたね
S:漸く作ってくれたあー
R:その前からそういうのを作れって十年以上言ってるよね。怒られたりしたもん。会うの嫌だったもん怒られるから。でもやっとCHASMを作って、渋谷ちゃんが言ってた意味が解りましたけどね、でも解ったのに直ぐ忘れちゃうんですよ四年ぐらいで。思い出さないとな。たまには渋谷ちゃんに会わないとね。
S:会ってくださいよ、宜しくお願いします。

「ワールド・シチズン-
アイ・ウォント・ビー・ディサポインテッド:ループド・ピアノ」
                       (坂本 龍一)(6分01秒)
S:凄い。
R:凝ってるねえ。
S:これだけど、今、独りでやるんだからって、言ってたけど、全て本当自分でやるかけだからねえ。
R:時間がかかるというか、神経が磨り減るというか。くたびれる。
S:今聴いてて改めて思ったけど、坂本龍一以外にこういうものって存在していないから。
R:そうかな?
S:そう思う。類似品が何にもないという。正に、坂本龍一って人は非常に変わった人じゃないですか、音楽的に。その何かアイデンティティレスっていうか、そういうものがアイデンティティになっている不思議な人だから、だから皆ミュージシャンというのはアイデンティティが全て、アイデンティティになる訳じゃないですか。
R:そうですね。
S:そこに居ない人だから、そうすると作られる音楽というのも、全然違ってて、何とも言えぬこう、どこにも属さない感というか、凄いよなあ。
R:まあ普通のロックとかポップスとかを考えると、先ず声が中心ということもあって、その声がキャラクターでありアイデンティティだから、その音楽のね。もう嫌がおうにもそこで決まっちゃったりすることってあるでしょう?勿論メロディーラインとか言葉とかありますけど、声がその殆どを占めちゃうという。僕は殆ど自分の声を使わないから、ね、そこでもなかなか難しい訳ですよね。
S:でも声がないのにも、物凄く声が聴こえる。坂本龍一の声しか聴こえてないってところが凄いですよね。
R:嬉しいですね。

S:次はクリスチャン・フェネスとのコラボといか、何人かとそういう仕事をしていて、これはこれでまた実に坂本龍一的な音楽表現のスタイルで、
R:そうです。
S:ラップトップミュージシャンであるクリスチャン・フェネスのベーシックなものに坂本龍一が乗ってですね、気持ちよく浮遊するという。これひょっとすると楽しいでしょう?
R:これは楽よ!楽で楽しくて、それなりに、その世界が直ぐ出来ちゃうし、早いよこれは、CHASMは大変だけど、本当に何て言うか全ての要素を細部に渡ってやっていくでしょう、CHASMの世界は。これは本当にポンって弾いて終わりだから、
S:その辺が楽しいんだろうな。でもここにはここの坂本龍一の世界があって楽しいですよ。
R:まあむしろでも、自由に何の操作もなく自然な自分が出ているものですよこれは。                       

「モノ」               (フェネス+サカモト)(3分55秒)
                       
S:この一連のプロジェクトは、これは聴き手のためというよりは、坂本龍一自身のためにあると位置づけているんですよ。
R:まあ、そっかなあ、どうなんだろう?自分が一番楽しいのかもしれないですよね。この間ね、6月にYMOでロンドンでの公演をやった後にもう、あ、そのYMOの公演に僕のリクエストでフェネスが入ったんですよ。YMO+フェネスand高田漣なんですよ。
S:凄いじゃん。
R:でね、一人代わるだけで、随分変わるね。前はコーネリアスがよく一緒にやっていたんだけど、コーネリアスも凄く良かったんだけど、フェネスも大人な感じになるね。ふっと。もう好きにノイズ出して良いからねって言ってたら、ガリガリってやってたけどね、良かった。YMOの後に、僕とフェネスが残ってイタリアの中の小さなツアーをやってたんですよ。
S:そう。ライブ見てるとねフェネス・坂本の時が一番楽しそうなんだよね。
R:楽、何も考えなくて良いのは楽ですよ。
S:だからこそ坂本龍一の一番リリカルなところがパアーっと出るともいえますよね。
R:フェネスもラップトップ系の音響系だけどもかなりロマンティックなリリカルな部分彼の中にもあって、それがうまく合体できて、まあ末永く付き合っていくんだろうなって思いますね。

S:続いてはですね。個人名義では2008年の最新作

「ココ」                   (坂本 龍一)(4分00秒)
                       
S:ピアノ一台でこれだけっていう求心力は凄いですよね。
R:そうですか?自分ではどうなのかよく解らないんだけど。
S:いちいち他人事なんだけど坂本龍一って。
R:クラッシクの曲でもポップスの曲でもないし、何か変なもんだよね。
S:だからそれは坂本龍一の一貫したそういうポジションで。クラッシックの中においても異邦人だし、ポップミュージックの中でも異邦人であるという居心地の悪さみたいなものこそが、聴く側にとってみれば居心地の良さで。それが面白いんじゃない。本人的にはとても大変なんだろうけど、どこにいても楽が出来ない。
R:そうですよね。

S:こうやってみると、色んなアウトプットがあって、凄いですよね。自分の中では、どう統一されているんですか?
R:統一されてないですね。もうちょっと統一した方が良いとさえ思っていますよ、その辺は。二つぐらいでも良いのかもしれないしね。出し方としてはですね。
S:その中には必ずCHASMを入れておいて下さいね。
R:はい。わかりましたでございます。
S:来年の三月って一応言ってくれたので、来年の三月までに今度CHASMで色々の話をして頂けると思って良いのでしょうか?
R:CHASMでしょうか。どうなんでしょうか?これから今年の後半ググッと詰めていきますんで
S:スタジオに篭ってっていう?
R:そうですね。ずっとNYに篭ってやるつもりなんで。
S:たまにメールをCHASM CHASM CHASMって
R:ああーうまいんだー
S:送ろうかなって。面白いですね坂本龍一って。
R:面白いって思ってくれるのは嬉しいんですけど、ストレートなロック漬けでしょう?本来は渋谷さんは。そういう人間じゃないからね僕は。
S:でもロックですよね。坂本龍一は非常にロックですね。
R:それを聞くのが面白くてね、僕は自分のことが解らないから。

「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」 (坂本 龍一)(4分40秒)




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サマーロックトークセッション / 佐野元春

2008-08-27 23:00:19 | 佐野元春
S(渋谷陽一)
M(佐野元春)

S:佐野さんはこの時期はどういう時期なんですか?
M:ツアーも終わって、自由気ままに生きている。音楽以外のこともやってるんです。新聞コラムや大学に講義に行ったり。そうしながら次の作品の構想を練ったりしています。
S:充電期間ですね。どう感じですか、そういう時期は?
M:楽しいです。自由に時間を使えるのと、それからレコーディングに入る、ツアーが予定されているとなると、そういうのにプレッシャーを感じるだよね。 20代からそれでずっとやってきて大変ということではないけど、気が休まらない。本当にこういう時に自由に翼を広げて遊ぶ、色んな人と会う。
S:仕事モードじゃないですね
M:全然仕事モードじゃないですけど、呼ばれちゃったんですよね、今夜。
S:こういう時には意外な発言がとれるかもしれませんね。

「アンジェリーナ」♪20周年アニバーサリー・バージョン

S: 佐野さんはキャリア長いし、どこをとってもドラマチックで語ることはいっぱいあるんですが、それについて僕らはそれについて何十年にもわたって語り続けてきた訳ですが、
一番新しいアルバム「コヨーテ」という作品。これは僕的も気に入っている作品だし、ファンの間でも評価の高い作品だし、佐野さん自身も割りと達成感のある作品でしょ。
M:そうですね。作っているときから凄くこう言いたいこともサウンドもデザインもフォーカスが合っていて、迷わず出来たアルバム。発表してからも多くの広いジェネレーションに聴いてもらって、達成感のあるアルバムでしたね。
S:コヨーテというキャラが設定されていて、彼の物語みたいな。これも佐野元春だなあっという感じなんだけれども、このアイデアを思いついた時はやったなーって感じでしたか?
M:苦肉の策でした。佐野元春っていうと若いジェネレーションからすると、ちょっと年上のアーティストなんじゃないかという、それだけで敬遠されてしまう。でも僕が携わったロックンロールなので、10代20代の若い彼らにも聴いてもらいたい、すると佐野元春が歌っているというか、コヨーテと呼ばれる一人の男が織り成す、ひとつの映画の音楽のようなって設定すると、映画と言うと監督が60歳でも瑞々しい10代の映画を作ったりするでしょう。そのアプローチでアルバムを作ってみました。
S:作ってみてどうでしたか?
M:僕はソングライターなんで、アルバム作って自分で満足して前進したという実感がないと、コヨーテはソングライターとしてのスキルが一つ前進したかなという実感がありましたね。そういう意味でも充実感があったし、何よりもそういう自分の実験を含めたアプローチがこれまでのファン、新しいファンにも受け入れられたという喜びですかね。
S:僕なんかはインタビューなんかを聞いていると、メロディーがポップになっていく、すごく親しみやすい楽曲がドンドンできあがっていく。この辺のメカニズムがわからないんだけど、キャッチーなメロディーがこのアルバムになるとドンドンと生まれてきたのか?
M:どのアルバムでも皆が口ずさみやすいキャッチーなメロディーを心がけているんだけれども、もし違いがあるとすれば、これまで十数年間、ホーボーキングバンドというベテランミュージシャンを集めてやってきたんですけど、このコヨーテは自分より10歳年下のドラム・ベース・ギターを集めて、で仮のバンドを作って、レコーディングに臨んだんですよね。これが良かったのかなあと思ってるんですよね。
S:若いエネルギーを吸い取った
M:いやいやそういう感じじゃないんだけど、10歳年下というと大抵、彼らは僕の80年代90年代の音楽を多感な頃に聴いて
S:所謂佐野元春ファンですよね
M:そうですね。なので、僕よりよりかも良いところを知っていて、そしてダメなところも知っている、僕がスタジオ入って、僕がダメなことをやると、それ佐野元春らしくないって言わてしました。ああそうか、じゃあ作り直そうって
S:それ良いね、健全なモードになれますね。昔の佐野元春だと、そう言われると怒っちゃっいましたけど
M:そうね、これが俺の今の新しいやり方なんだからついて来いよって。
S:今は人の話を聞くと
M:ということになりました。
S:大人にならない佐野元春では僕は散々苦労してきましたからね。

「君が気高い孤独なら」♪

S:これ歌ってても楽しそうですね。
M:うん、夏の曲としてね。それからKでKIみがKEだかいKOどくならって頭で韻を踏んでるんですよね。ちょうど、大学でも詞と音楽という18歳から22歳までのヤングジェネレーションにお話してるんですけど。
S:大学の先生だよね講師。すごいキャラじゃないって感じなんだけど。だいたい大学に行ってなかったんじゃないの?
M:行ってませんでした(笑)
S:それが今 教えてるって、なんだろうか。それで、詞の作り方とかいろいろ言うの?
M:そうですねライブで韻を踏む、実際、彼らに詞を書かせて、詩を朗読させて、その先にどうゆう曲が生まれるかっていう実践ですよね。クリエイティブ・ライティングですよね。
S:でも佐野元春が教えてくれるんだからね、そりゃ生徒は盛り上がるよね。
M:どよめきますよね。何かと。楽しかった。でもアカデミーワークは大学はずっと続けて欲しいと言われているので、まあ時間が空いて居ればこれから先も続けてやっていきたい。
S:自分でやってみて、若い世代にそういう形で自分のしみついた詞についての考え方を話すと、何か自分に返ってくるものがある?
M:ありますね。何故詞を書くのかという、大学の授業なので、本質的な問いを生徒達に投げつけて、詞とは何か、何故僕らは詞を書くのかという、ヤングジェネレーションとのディスカッションは凄く役に立ちますね。でまた彼らの世代意識みたいなものも判るし、彼らがどんな音楽に接しているのかっていうのがよく。
S:じゃあ本当に自分にとっても意味のある凄く意義のある仕事ですよね。
どうせ佐野元春の授業を聴こうという人たちだから熱くて真っ直ぐな人たちが多いでしょうから
M:そうですね、ソングライター志望の人たちとか、文学部の講座なんで言葉に興味を持っている凄く好い
S:授業の後とか飲みに行くとか
M:僕は一応けじめをつけてる
S:やらなさそうだよなー(笑)僕は帰りますからって、いやー佐野さん行きましょう、ではさようならって言いそうだよな(笑)
「コヨーテ」「ザ・サン」とこのアルバム2枚は今、所謂インディペンデントなレコードアーティストで所謂大手のメーカーに所属しないという形で、かなり独自の活動をしているんですけれども、日本でもアマチュアバンドからインディーレーベル活動して自分の結果すごく大きくなってとして活躍している人たちもいるんですが、佐野さんのように大手レコード会社に所属して、別に大手レーベルから契約を切られるという立場ではなく、それなりのセールススケールもちゃんと維持しながら、それでいて自分のレーベルを作ってしまうというかなりユニークな存在なんですけど
M:そうですね、デイジー・ミュージックというレーベルを4年前に立ち上げて、そっから「THE SUN」「COYOTE」という2枚のアルバムを出したわけなんですけど、まあ4年前デイジー・ミュージックというレーベルを立てた時に思ったは、これまでのメジャーなレーベルの役割はもう終わっているかなあと。この先同じ事をやっていっても もう未来はない。僕が過ごしてきた70年代80年代のレコード会社の形態と随分変わってきたので、だったらば、自分が思っているようなレコードメーカー、レーベルを自分でやった方が楽しいのかな。と思ったのが最初ですかね。
S:でも、所謂レコード会社の社長をやるわけじゃないですか。
M:社長って意識はないけどね(笑)
S:でも仕事は社長じゃない?向かないと思うんだような佐野元春は社長に。
M:僕は社長業務やってないですよ。ミュージシャン分野になりますから。
S:でも、それにしても色んなマネージメントとか考えなきゃいけないし、その他、アーティストとしてのクリエイティブだけに専念するって訳にもいかない訳じゃないですか。それなりにビジネスとしてどう成立させていくかとか考えなくちゃいけない訳じゃないですか。やり手じゃないですか
M:そんなことないよ。
S:そうだよ
M:まあでも自分の作った作品のライツ 権利が発生している。ちゃんと自分でライツを管理しているというのはごく健全な考え方だし、新しいクリエイターたちも是非、自分の作品をライツを自分で管理して、そっからビジネスを始めていく。それね当たり前の世界に入ったことですよね。これはインターネットからリリースされて大きく僕らの世の中が変わったんじゃないかって思っているんですね。自分で作り、自分でその楽曲をアピールし、ライブもやり、長い間 自分の音楽生活を続けられる基盤を作る。これが新しい時代の新しいアーティストの形かなって思う。
S:佐野元春というのは所謂クリエイターとして若いミュージシャンの規範となっている部分も大きいけれども、そのあり方としてアーティストとしてのあり方としても規範となってきたわけで、これだけのキャリアを重ねながらも、また別の また全く白紙の荒野にけっこう乱暴なことばかりやってきたアーティストの・・・
M:規範というかね、いつも自分をカウンターの位置に置くというの。そうするとやる気が出るというの。
S:なるほど主流になると、何か居心地が悪くなってきちゃうっていうのがあるの?
M:主流も良いんですけどね。主流も凄く楽しいんだけれども。カウンターでいると常にエネルギッシュでいられるという。いつも批評していられるのが何かロックンロールの感じなんだ。
S:今言われて初めて思ったけれど、それこそ佐野元春はそのまま時代だと言われていた時期があって、佐野元春的なアーティストが山のように出てきて、佐野さん佐野さんと呼ばれて、正に時代は佐野元春だった時に、何かとても居心地が悪そうだったよね。
M:モジモジしちゃってね。俺そうじゃないんだよ なんつってね。
S:慕われたミュージシャンに佐野さん佐野さんって言われて、けっこう怒ってたりして、そういうのじゃないんだ俺はって、いいじゃないかって私なんかは思ってたんだけど、あれは居心地が悪い状態だったの?
M:徒党を組むのが まず苦手で、慕われても何もする事ができないし。
S:カウンターでいたいというそういう思い。自分でレーベル活動してレコード会社を運営することは、かなり大変なことで、それこそ色々な逆境に立たざるを得ない。それでむしろ、それは佐野元春にとって心地の良いこと。
M:時代に関っているという実感もありますし、それから自分の音楽がどうやって皆に聴かれているのかを実感を得たいんですよね、流通して、沢山売れて満足というのではなく、どういう風に自分の音楽は聴かれているのかなって。

「黄金色の天使」♪

S:続いて取り上げたいのは「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」1989年の作品がリイシューされた。佐野元春が自らというのではなく、ファンからもう一度、違う形で世に問いたいということで三枚組みの作品が発表された。佐野元春の特徴としては、やっぱり佐野元春のファンは凄く熱い。「もとはる~(男性の声援)」っていう 昔はお兄ちゃん、今はけっこう大人な人たちが熱気が、彼らはただ単に佐野元春を支持するだけではなく、佐野元春を研究し、解体し、下手をすれば佐野元春にそれは佐野元春じゃないと余計なことまで佐野元春に言ういう。
M:僕のファンは本当に批評精神が豊かですよね。本当に音楽を楽しんで聴いているって気がしますよね。
S:本当にマニアックだよね。
M:うん。でも、最近のファンは僕よりも偉くなっちゃて、医者とかさ弁護士とかさ政治家とか、そういう人たちにも助けられているんですよ、今。
S:ファンは大切ですよね。そういう人たちが佐野元春をもう一度解釈し、「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」これは凄いだろうと。この時代にこういう作品が出来たということは凄いことだから、やっぱり世に問いたい、アーティスト以上に作品を愛してくれている。本当に凄いことだよね。
M:89年を振り返ってみると、発表しないトラックとか未発表のものとか、それは音楽に限らず映像とか沢山あるんですよ。僕もそういうのがあるっていうことは知ってるんですよ。ファンからしてみたら、それを全部見たり聴いたりしてみたいっていうのも当然でね。だったらレコード会社の倉庫に行って、全部見たり聴いたりして編集して、ファンに全て還元したい。そういう気持ちで出しました。
S:ファンにここまでされて嬉しいですか?それとも、そこまで批評されて、そこまではって感じですか?どうなんですか?
M:僕はね批評されるのが無くなったらつまらなくなる。文化は衰退する。僕に対する批評は興味深い。本当にピント外れのものもあるし、ここだけは言って欲しくなかったって指摘されるのもあるし、またやったぞっていうのが良かったねってのもあるし。
僕は個人的には批評っていうのが好きで、しかもそれが本当に僕の音楽を愛してくれるファンが批評してくれるというのは本当に光栄なことですよね。

S:「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」をファンが選ぶ、批評眼の鋭さというのもありますよね。
M:もちろん、彼らが多感な頃にオリジナルを聴いて、それから約20年経つ、自分も客観的に見ることが出来るし、ファンも大人になった視点から多感な頃をの作品を振り返って批評するというのは凄く良いこと。
S:これはイギリスのミュージシャンと作った佐野元春にとっての一つの大きな重要な作品じゃないですか。当時は全体像を掴みきれないほどのアルバムだった。時代を超えた要素をもう一度振り返って見つめなおそうというファンの視点は有難いですよね。
M:そうですね。このアルバムの持っている言葉、音楽的センス どこが先進的だったのか。当時のミュージックシーンの中に置いて突出していたのかという研究は時間が経ってからでないと判らないですよね。それをファンがやってくれるというのは非常に嬉しいことだと思います。

「約束の橋」♪

S:一時期このアレンジではなくて、かなり変わったアレンジで当時やってましたよね。
M:そうね、これ説明が必要なんだけど、このアルバムからのシングルカットされて、89年、ベスト20ヒットくらいだったんですよね。それから二年ほど経ってテレビドラマの主題歌になって取り上げられたんだよね。二年後にまたベスト10ヒットなって、本当に嬉しかった。その間、「ナポレオンフィッシュ」のオリジナルを出した時に、何でこんな良い曲が売れないんだって、アレンジ変えちゃうぞ。好きなウッドストック・バージョンにしてハーフテンポにして全然アレンジに変えてファンのことをぜんぜん考えずに。それでね、その違うバージョンでツアーをやってたんです。そうするとレコード会社の人たちがやって来て、お願いですから佐野さんオリジナルバージョンに戻して下さい。今ヒットしかけてますからって。しょうがない。
S:しょうがないじゃない。どうして、そう拗ねますかね(笑)
M:最初からオリジナルでやるべきですよね。
S:そうです。時々そういう困ったことをしますね、佐野さんも。
M:なんかね、いつも格好良く言うとクリエイティブでいたいというか(笑)
S:まあ、そこはファンに取っては可愛いというか、佐野元春が佐野元春であるというところというか、現状に甘んじないというか、そういうところだと
M:たぶんヒットしたらちゃんとオリジナルで歌い続けてました。
S:でも良かったですね。この「約束の橋」はねえだろうって客席で思ってた一人でしたからね。
そして、今回のアルバムには1989年に行われた横浜スタジアムのライブDVD。
M:32歳、若いですねー、ちょっとドッキリします自分で見ても。こいつは何だ!
S:こいつは何だ!って佐野元春ですよ。
M:というかこの映像が残されてたこと自体を知らなかった。よく発掘してきたな。
S:残されてるも何も凄くちゃんとスイッチングされた立派なライブDVDとして成立している凄く良い映像じゃないですか。
M:ええ、これ横浜スタジアムの後ろのお客さんが見えやすいように左右のビジョンで写したスイッチングなんですよね。バンドの動きをよく捉えているし、当時撮ってくれたキャメラの人たちに感謝しています。音も凄く良い。
S:凄いタイトで凄い攻撃的なやんちゃな顔をしていますね。ニコリともしてない。
M:ショーの中で笑ったの一番最後だけ。というか怒りというか。89年怒ってるんだよね。その前に天安門事件があったりとか凄い時代だったんです。
S:そういう時代の思いが爆発するDVDの映像の最初のほうで「若」と思わず叫んでしまうほどだったんですけど、こういうの自分でまた見るのも不思議な感じでしょうね。
M:色んなことを思い出します。映像を見るとね、音を聴くと思い出さないけど、やはり映像の力は大きいですね。
S:けっこう飛び上がったりしてますよね。
M:今でも時々飛び上がってますよ。
S:失礼しました(笑)。

  また改めてレアトラック集を入れていくというのは面白いですよね。
M:オリジナルは皆良く聴いているので、その周辺でやったライブの音とか一寸変わったバンドの演奏したのとか表現が違うんですよね。今改めて聴いてファンの人も喜んでくれて嬉しいです。

「ジュジュ」アンプラグド、スタジオ・ミックス・バージョン♪

S:やっぱりアンプラグドになるとちょっと変わりますね。
M:優しくなりますね。これはデビューから16年一緒にやったハートランドというバンドの演奏で、聴くと判りますね、一人ずつのミュージシャンの音だってことが
S:それぞれ色々な状況やその時代を頭にパッと思い浮かべます?
M:はい。(佐野元春の「はい」は歯切れよく、時にはそっけなくきこえる)

S:佐野元春をラジオで語らせると面白いぞというところで。実際二枚のアルバムだけなんだけど語るべきことは、とても多くて、一作一作物語がありますよね。
M:振り返ってみると一作にかけるエネルギーは尋常じゃないですよね。本当、尋常じゃない。
S:凄い力を入れて言ってますが、本当よく判りますよね。実際に一作に人生かけている場合も多いしね。
M:伸るか反るか(笑)
S:伸るか反るかの人生ですよね。
M:スリリングな人生ですよね。もう再来年デビュー30年です。今年はサザンオールスターズが今年30周年、桑田君が僕と同級で、サザンが2年ほど早くデビューした。
人はアニバーサリーイヤーとかは言ってくれるんだけど、みんなから祝福されるかと思ってたんですが、アニバーサリーイヤーは大変です。新しいアルバムを出したり、ベスト盤を出したり、ライヴをやったりして、広く動かなきゃいけないから凄く忙しくて大変です。
S:祝福してもらうために準備を本人がやらなきゃいけないというのは大変ですよね。でも30年というキャリアを記念できるというのは幸福なことですよね。
具体的に色んなことをやる訳なんですか?
M:30周年に至るまでライヴ・ツアーを2~3回、アニバーサリーイヤーはそれなりの規模のコンサートを展開したいし、新しいレコード、自分の過去の作品をまとめたベスト盤のようなもの、書籍とか、イベントと、ファンにこれまでの支援に感謝して楽しみを還元する年にしたい
S:佐野元春の活動は所謂世間で言うところのレコードを作るだけではなく、ポエトリーリーディングをやったり、出版活動をやったり、大学で教えていたり、凄く沢山のことをやってきていて、ライブにおいても実験的なことをやってきているわけで、そういうものをもう一度見直すチャンスを30周年で我々自身が持つというのは意義のあることだ。
M:自分でも忘れちゃてます。作りっぱなしですから。先のことしか考えてない。「ナポレオンフィッシュ」もファンが先導してくれて、それを見るとね、それなりのことをやったのかなってちょっと思います。
S:過去を評価されても、これはちょっとやめてくれっていうのは、そうないでしょ?それはそれなりに自信の在るものばかりだし、堂々と世に問うぜ俺はって
M:当時はコンセプトワークというものに拘ったので、ちょっと外れたものはアウトテイクとかにした訳ですけれど、今は全てファンに還元したい。当時の僕の仕事をみんな、皆に見てもらいたい。という開いた気持ちになりました。
S:ライブに行くとファンが熱いですもんねー。
M:そうですね、僕らミュージシャンはレコードを作るよりもライブが基本ですから、ライブが出来るようになったら、ミュージシャンはライブを基本とスベキだし、その合間にレコードを作る。これが一番健全だと思うんですよね。

S:次の作品は?
M:ツアーが終わって遊んでいるんだけど、次の作品の構成を考えている。
愛について歌いたい。
僕の年齢で考えるところも色々あるし、大きなテーマだし。ポップミュージック、ポップソングにとっても永遠の命題ともいえる。敢えてメロディ、そしてテーマは愛、そうしたところにいどんでみようかなって気持ちになってますね。何故か何故か何故か。上手くまとまると良いんですけどね。
S:それは素晴らしいことだと思う。佐野元春は時代と呼吸しながら自分自身の中で時代を感じ取りながら作品を作ってきたことが伝わってくる。今この時代に愛というメッセージが絶対に必要であることを佐野元春も感じているんじゃないかな。凄くそういう時代と呼吸する佐野元春を感じました。
M:振り返ってみると自分の出してきたアルバムを、言ってみれば、その時に僕が編集した新聞のような ちょっとジャーナリズム性があったりして、僕もソングライターとして時代に生きながら言葉を書いてメロディーを紡いで、特に僕はその傾向が強いと思います。
なので次に出てくるオリジナル作品は自分自身でも楽しみですね。
S:楽しみですねー、いつも心配させつつ、喜ばしてくれるという。僕も佐野元春ウォッチャーとして長いですからねー、自分で日本の多くの雑誌を創刊した時に、創刊号で佐野元春に登場してもらいたくて
M:光栄でしたよ
S:あれはやっぱり嬉しかったですね。佐野元春によってスタートした雑誌であるというのは凄く嬉しいです。今日も色々お話を聞けて有難うございました。次回は新作でインタビューを。

最後は代表曲であり、日本のポップミュージックの一つのスタンダードである「SOMEDAY」、こういう曲があるというのも幸せだよね。
M:ファンが価値を発見してくれたんですよね。

SOMEDAY♪

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サマー・ロックトークセッション/浜田省吾

2008-08-26 21:38:35 | 浜田省吾
DJ: 渋谷陽一(以下S)
ゲスト:浜田省吾(以下H)

S:毎日豪華なゲストをお迎えしておりますが、今夜は浜田省吾さんです。本来的にはオフの時期なのに、  すいません、貴重なラジオのお話が聞けると思って楽しみにしています。
H:マブだちが来いって言ったら来ざるを得ないでしょう。
S:そういう人間関係で呼んじゃったところがあるんですが…かなり浜田省吾については我々語りつくしてきましたが、今回は基本的には最近のツアーのMY FIRST LOVEがらみの話をメインにいきたいと思います。
H:わかりました。
S:全てライブテイクで行きたいと思います。いつも言ってるんですが、浜田省吾の曲の中でも かなり好きなナンバーなんで「終わりなき疾走」♪

S:今回のツアーから「終わりなき疾走」でした。いやーこの曲をやってくれて有難う。
H:埼玉の最初のほうのテイクですよね。
S:home boundってアルバム好きなんだけど、ロックだよね。
H:ちょうど6作目かな。80年 ちょうどポップな浜田からロックな方に戻っていって、ファーストアルバムはもともとロックなアルバムで、70年代は試行錯誤があって、それはそれなりに楽しい試行錯誤ではあったんだけど、80年になってロックに戻って行った最初のアルバムが「終わりなき疾走」が入っているhome boundでしたね。
S:MY FIRST LOVEは本当に長いツアーだったよね。
H:2005年秋から2007年の冬にしたツアーなので3年くらいですかね。
S:長いですよね
H:長いですね。その前のツアーが4年やってましたからね。
S:凄いよね。
H:やっている間にそれくらい時間が経っていく感じなんですけどね。
S:だからと言って、月に一本という訳じゃなく、けっこうぎっしりと詰まってるじゃないですか。
H:そうですね。沢山やりましたね。
S:体力管理大変だよね
H:体力よりも気持ちですよね。気持ちが いつもがっちりあるかどうか。
S:お客のパワーに負けちゃうよね。
H:そうですね。今回バンドが凄くよくて、ミュージシャンとしても人間としても素晴らしいし、周りのスタッフも技術も心も素晴らしくて、そういう意味では疲れなかったですね。楽しかったです。
前回のON THE ROAD2001の時はけっこう病気したりとか風邪引いたりとか、脹脛の筋肉を切ったりとかしたので、そのときの学習があったので、今回は準備もちゃんとやったし、自分の思うこととやれることのギャップを気をつけながら、今回の方が飛んだり走ったりしていた。
S:今回けっこう動いてたので、心配しちゃった。
H:全然そんなことないですよ。全く無理をしてない。無理をしないようにしてましたね。前回の方が無理してましたよね。
S:浜田省吾はツアーをやって、そこでコミュニケーションをとってキャリアを積み上げてきたのはすごく素晴らしい。でももう何十年もじゃないですか。そろそろCDが売れなくなったとか、コンサート動員が落ちたとかいう話がある中で、毎回毎回動員が増え続けているって凄いよね。
H:そうですね。それはもう、恵まれていると感謝しています。
S:お客さんの信頼感も強くなってるし、数も増えているし。
H:今回のツアーが一番熱かったですね。俺たちの方が煽られました。

S:「路地裏の少年」はナレーション付きでちょっと芝居がかった感じでやるじゃないですか。
H:今回ホールツアーで
S:鞄持ってやってきて、浜田省吾がまだギター一つでスナックとか居酒屋とか浜田省吾目当てではないお客さんの前でこういう歌を歌ってきたんですよっていう、ちょっとお芝居をする訳なんですけど、あれは、浜田省吾自身のアイデアだったの?
H:そうですね。2006年にホールツアーが秋に始まって、丁度デビュー30周年だったので、「路地裏の少年」を当時やってたみたいにやろう、どうせやるなら当時のようなステージの上で酒場の70年代の雰囲気にして
S:みんな年齢的にも70年代だし
H:ステージの上で酒や煙草を呑んだりした。それだけじゃなくて飲んでるだけじゃ面白くないだろうってカードゲームもやってて、ポーカーやってたりしてた。ツアーが終わって初めて知ったんだけど、カードをしながら後ろで煽って盛り上げてくれてんだと思っていたら、あれはゲームの罰ゲームだったようで、何だよ!っていう裏話もあるんですけど。長いキャリアの中でステージの上で飲んだのは初めてだったけど、あんな服来て、あんな感じでギターを持ってやってたんですよね。

S:「路地裏の少年」♪

S:こういう風に歌っていると浜田省吾も当時のことを走馬灯のように駆け巡っているって感じで、でも実際は 何だあのPAどうなってんだっ! ていうのかリアルですか?
H:意外と今回は振り返ったりしましたよ。例えば神戸行った時は、神戸初めて行ったのはどこだったけっけな?とか商船大学だった、そうだ、あん時は中島みゆきと一緒だったな。そう言えば、あん時 彼女は「時代」がヒットしていたなーとか、あん時、俺は無名だったなー、その差は今も埋まってないなあか考えながら・・・って感じで、それはMCの中にも出てくるんですけどね。30周年っていうのがあったんで振り返ってしまいましたけどね、まあそれは悪いことではなかったですけどね。

S:ライブに行った人しかわからないんだけど、I AM FATHERがお客さんに盛り上がる。お客さんもちゃんと耳持ってるなあ。浜田省吾としてはとても幸せな状況だね。
H:アルバムを光のサイドと影のサイドと分けて作ったんですが、周りがFATHERばかりなので、この曲は絶対良いからシングルにしようと。俺は他に良い曲があるんだけどなあと思っていましたが、実際にライブやると、とても盛り上がってくれるので。嬉しいなって感じですよね。
S:浜田省吾はお父さんじゃないのに歌っているのが良いんですよね。
H:そうかもしれないですよね。
S:僕は父親だけど、自分が父親で父親の歌を歌うともっと暗くなる。もっと色んなことを言いたくなる。それがなくて ある意味ドライ、それでもって愛情を持って父親という事実が歌われる。
H:口下手なお父さんの為に書いたんですよ。家族でドライブしている時にさり気なくお父さんがかけて、家族にこういう気持ちなんだよって、こうなってないけどって。家族にアルバムを聞かせながら車でドライブするイメージを持って作ったんですけどね。
S:ちょっと関係ないんだけどなあ(笑)
H:あ、そうですか(笑)「花火」の方にいっちゃって、家族がみんな心配になっちゃったりして
S:でもあれ本当に良い歌だよね。みんなお父さんになってきているし、母親をテーマにした歌は多いけど、父親をテーマにした歌は少ない。浜田省吾には父親というのは大きなテーマにですよね。
H:そうですね、男であるから父親っていうのは自ずからそうなってきますよね。父親である男と男である父親とこの二つのバランスをなかなかとれない男達がテーマでもあるんですよね。
S:周りから盛り上がったナンバーだけど、支持されているということで。
「I AM FATHER」♪

S:ライブでいると親父が涙ぐみながら盛り上がっている姿を見るの好きです。ステージの上からもわかるでしょう。
H:そうですね。愛されているなって感じがしますよね。歌がね。それはソングライターとしては最高に幸せな瞬間です。
S:GREENDAYのサウンドで父親の歌を歌おうという
H:そうですね、サウンドのコンセプトは親父の歌を、若者のサウンドで、GREENDAYのエンジニアで、そのまんまのサウンドで

S:ライブが長いんですよ。曲を選ぶの大変でしょう。
H:そうですね。コンサートは構成によって勝敗が決まるみたいのがあって。最初の構成の部分がすごく大切なんですよ。
S:それは大変な作業なんですか、楽しい作業なんですか?
H:楽しい作業ですね。落とし穴を作って綺麗に隠して皆が落ちるのを待っている、そんな感じ。料理をコツコツ作って、綺麗に持ってテーブルに出して、うまそうな顔で食うかな?落とし穴っていうのはビックリする何かしかけがあるっていうことですね。それが楽しみです。
S:やってみて驚かなかったことってある?
H:しょっちゅうです。何だよ。落ちなかった。しかけが悪かったのかな?って治しにいったら自分が落ちちゃったなっていうのがありますけどね。
S:今回のツアーでやっぱりセンターステージが印象的だった。よく浜田君がやるようなアリーナクラスのステージをやる人はよくセンターステージを使うことが多いんですけど、でもあんなに長くいたのは初めて見ました。今回はセンターステージにいた時間が長かったよね。
H:そうですね1時間4、50分はしてたんじゃないですか。それもアンコールですから、あれはアンコールとは言わないですよね、第三部ですね。前回のツアーの時には30分程度だったんだけど、今回は楽しかったんでもっと長くやろうってことでやったわけです。
S:まだやるんだー。最近の若いバンドはだいたい1時間程度なんだよね。知ってます?
H:知らないです。
S:浜田さんはアンコールのセンターステージだけで1時間もあるという。
H:アリーナでやるときはスケール感とかあるけれども、逆に客席が遠い、ホールだと身近だけどスケール感がない。その二つをアリーナで再現するにはメインステージでアリーナのスケール感の映像を使ったり照明を使ったり。真ん中のステージでシンプルにホールの臨場感を出すという目的でやってる。そのルーツはビートルズが初めてアメリカに行った時にワシントンD.C.でセンターステージでやってるんですよね。あれがやっぱりルーツだったのかな。最近はストーンズもやりますが、2、3曲ですよね。
S:そうですよね。何で2,3曲かというと、ミュージシャンに言うのも何ですが、大変だからだと思うんです。
H:そうですね。
S:2、3曲がいっぱいいっぱいだと思うんですが。何ていう曲やってるんですか?
H:覚えてないです。
S:あれは普通あり得ないんですが、だってあれは裸の状態じゃないですか。360度見られていて、すごくやりにくくないんですか?
H:全く違う頭の切り替わるメインステージに行ったら、ライブハウスでやっている感覚で
S:だってお客さん2万人近くいるじゃないですか。
H:でも客が近いと自然にそういう風になるんですね。
S:やっぱり、キャリアとスキルですね。
H:自分ではわからない。自然に切り替わる。センターステージに立ったらそうなるわけではなく、きちんとショーアップされたものがあって、第三部でやるからこそ、そうした風になると思うんですけどね。
S:センターステージで歌う曲ではなかったんだけど「J・BOY」、代表曲じゃないですかみんなが聴きたい楽曲で、こういう楽曲への思い、こういう楽曲をどこに置くのか。というのはかなり重要なんじゃないですか?
H:非常にいい質問ですね。これも感覚的なものなんですよね、この辺でやろうとか。イーグルスが「ホテルカリフォルニア」を一曲目にやるというのはかなり意識的なものなんですよね。でも普通で考えたら、一曲目に「ホテルカリフォルニア」をすべきじゃないですよね。お客さんからの気持ちで考えると。 俺はオーディエンスであることも凄く好きだし、そっちの方からの立場で考える事前の場所に置くんだと思うんですよね。一曲目から「ホテルカリフォルニア」というのはある種のバンドエゴだと思います。それはそれでありだとは思います。
S:でも、やっぱりこれは流れると当たり前のように盛り上がるんですけど
H:やってる方も何故か何度やっていても盛り上がるんです、コードは四つしかなくて、ずーと繰り返しなんですけど、たぶん音楽の何かがあるんですよね。同じ四つのコードを延々同じリズムで繰り返していた時のカタルシスっていうか。メロディーでは変わっているけれど、コードは全く変わってないです、ほとんど 
S:演奏している本人としても けっこう
H:だんだん熱くなっていくような作りになっているんですよね。このテンポとコードの流れとかが
S:それはミュージシャンとしても曲にとっても幸福なことですよね。キースリチャードも言ってましたけどね「ストリート・ファイティング」あれをやって興奮しないわけがないだろうミュージシャンがって という楽曲を持てることは幸せだと重います。

「J・BOY」♪
S:幸福な形でミュージシャンとしてのキャリアを積んでいるんだと僕なんか思うわけですよ。こういう風にきっちりお客さんと向き合ったライブ活動をやって、それが4年のツアーだったり、3年のツアーだったりというのをちゃんと自分の中できっちり完結させて、そしてツアーの度に動員が上がっていくという、それ凄いと思うけれども、最新の楽曲はお客さんの間で一番受けている。自分の中で凄く手ごたえがあるでしょう。
H:他にやり方を知らないからやってきた結果がこうなってきたというだけなんですけどね。それが一緒にやってきたバンドやミュージシャンやスタッフがやってきた結果がこうだったという。最初からメディア戦略がなくて、とかじゃなくて最初からタイアップもなくて、冠の企業でお金があって保障されてやるわけじゃなくて、俺たちみたいな小さな事務所があるお金を出して失敗したら皆がはぐれるしかないという状況の中でコンサートをやる訳ですよね。だからやっぱりライブに対する気合も切迫感というか、ツアーの間も病気にもなれないぞ、風邪も引けないぞという緊張感をみんな高く持ってやったというのがありますね。
S:健康管理法は?
H:みんなボーカリストはそうだと思いますが、ハチャメチャなロックンローラーのイメージとは違って、非常にアスリートみたいな生活ですよね。規則正しく寝る、食べること、オフの日の運動も大切ですし、一日だけのライブでは何とかなりますが、二年三年続くものはきちんとしてないと無理ですよね。30代は無茶苦茶してましたけど、
S:かなり無理が効いた?
H:30代の頃は無理が効きましたし、ステージのクオリティも今ほど高くなかったですね(笑)
S:そんなこと言っていいんですか?
H:そう思いますね。だんだんクオリティを高くするためには、自分の体力落ちてくる訳ですから、それなりのことをやんないといけないなって感じですよね。
S:自分にけっこう厳しいですよね。
H:自分が一番好きなのは歌を書くことなんですよね。職業欄とかに書かなきゃいけない時はソングライターって書くんですね。ミュージシャンとか歌手とかではなく、ソングライターと書きます。自分のネックはソングライターだと思っているので、新しい歌があるからライブもやれる、それがいつまで続くかわからないですけれども、今もそういう風に思っていますし、アルバムはというか歌は作っていきたいです。好きで書いています。
S:もう曲が書けなくなるんじゃないのかって思ったりしないんですか?
H:思います。いつもそう思っています。これが最後だって。誰でも最後の作品があるわけで、それがいつなのか誰もわからないですよね。自分でやめたって言わない限りは。
S:滅多にラジオにも出ないので、ファンのために聞かないといけないんですが、今後どうなるんですか?
H:まだ、休みが来たって感じなんで、体力じゃないんですよね。気持ちが大切で、溜めて溜めて溜めて、自分がやりたいという瞬間を大切だと思う。自分がやりたいという強い気持ちがないとダメですよね。そういうのを溜めないとダメですよね。
S:ファンは許してくれると思います。
H:サボっているとは言わないだろうね。まあ55歳なんですけれども、父が最初の警察官の仕事を退職したのが55歳なんですよ。それまで34、5年働いてきて、俺もそれくらいはやってきているので、ちょっとここらで、しばらくノンビリしても良いんじゃないじゃないかなって、まだリタイヤしたいとは思っていません。
S:最後に、「MY FIRST LOVE」という曲はイメージ的に「路地裏の少年」とワンセットになっている感じがする。これに初恋って良いタイトルつけたよね。
H:凄く単純な理由で、俺の初恋って誰だろう?って女の子の顔を色々と思い浮かべても
S:沢山いたよね(笑)
H:ロック聴いてた時ほどドキドキした女の子っていなかったよなー、俺の初恋ってロックミュージックだったんだというすごくシンプルなところから出てきタイトルなんです。
S:具体的なバンドやミュージシャンが沢山でてきているんですが、こういうのを選ぶのって大変じゃなかったですか?
H:いやあもう楽しくて楽しくて、色んなミュージシャンの名前には仕掛けが沢山あって、フレーズに対する音も被っているし、全部言える人は、もう渋谷さんくらいにしか判らないんじゃないかな?どれくらい判るんだろう?やっててみんな大笑いしながら、ここまで判るかな?って
S:凄く楽しかった。じゃあこのアルバム、ツアーの一つの原点。落とし穴の原点ですよね。
H:そうですね。サウンドもアルバム全体で遊んでいるんですよね。「J BOY」「FATHER’S SON」の頃って、どんな頑張って働いて物を作っても文化勲章なんて貰えないジャンルじゃないじゃないですかロックって根がないもんだから。アイデンティティとか色々と言ってたんだけど、好きになった子がこの子だったから仕方が無いって言い放った方が勝ちだ、俺はロックンロールが初恋だったって しょうがないじゃないかって
S:55になり、ツアータイトルになり、アルバムタイトルになり幸せじゃないですか
H:はい。ゼロにして、これからまた山があれば、登ってみたいって感じですね。
S:聞きましたか?みなさん、登るって言いましたよ浜田省吾は。
H:はい。まだまだ登りたいと思っています。
S:そのためには、暫く休んで頂いてですね、また活動やってくれるのを待っていたいと思います。

「初恋」♪
2008,8,25(月)NHK FM


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