サラリーマン時代は30年以上も毎朝ジョギングを欠かさなかったので足腰は鍛えられていた。
しかし、就農後は歩くことはあっても走る機会は全く無くなった。
走らなくなって既に10年以上も経過すると流石に貯金も食い潰され弱った足は思うように
動かなくなっている。
バド仲間から「足を動かして!」としばしば叱咤されるが、その「温かい激励(?)」にも応え
られなくなっている。
ケームの合間に「軽く走ろう」と思っても膝がガクガクするような気がしていた。
それでも練習メニューのひとつとして「ランニングも入れるべき」と最近思うようになった。
50代前半のKさんが体育館の中で黙々と走っている姿を見て触発されたのかもしれない。

「年寄りの冷や水」と揶揄されながらもバドの現役に拘るのは「楽しいから」だけではない。
「もう歳だから・・・」と言ってバドを諦めたら早晩「百姓もリタイヤ」となるような気が
するからだった。
足が動かなくなったのなら「何とか動かす工夫をしてでも続けたい」と欲する背景にはそんな
切実な事情が潜んでいる。
しかし、就農後は歩くことはあっても走る機会は全く無くなった。
走らなくなって既に10年以上も経過すると流石に貯金も食い潰され弱った足は思うように
動かなくなっている。
バド仲間から「足を動かして!」としばしば叱咤されるが、その「温かい激励(?)」にも応え
られなくなっている。
ケームの合間に「軽く走ろう」と思っても膝がガクガクするような気がしていた。
それでも練習メニューのひとつとして「ランニングも入れるべき」と最近思うようになった。
50代前半のKさんが体育館の中で黙々と走っている姿を見て触発されたのかもしれない。

「年寄りの冷や水」と揶揄されながらもバドの現役に拘るのは「楽しいから」だけではない。
「もう歳だから・・・」と言ってバドを諦めたら早晩「百姓もリタイヤ」となるような気が
するからだった。
足が動かなくなったのなら「何とか動かす工夫をしてでも続けたい」と欲する背景にはそんな
切実な事情が潜んでいる。