その年、小学生を対象にした初めての全国大会「ライオンカップ」が企画され、その県予選が6月末に開催された。
当時は、ラリーポイント制ではなく一セット15点先取だったが、宮城県内では「大和町の落合」が長年ダントツの
強さを誇っていて、仙台のチームが束になってかかっても1点も取れないような悲惨な状況が続いていた。
噂には聞いていたが、対戦するのは勿論のこと見るのも初めての強豪チームと準々決勝で対戦することになった。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と知りつつも、短期間でのチーム作りが精一杯で(その時点で「チームの
完成度」は未だ4割程度だった)、敵情視察の余裕など全く無かった。
強豪との「力の差」は歴然としていて、「負けた」のは当然の結果だった。
それでも、セットの前半で競り合う場面があって、相手がタイムを取ったことと各セットで10点近くまで得点出来た
ことが、せめてもの「勲章」になった。
(「麦刈り適期」を迎えているが、雨がそれを拒んでいる。)
予想外だったのは、敗戦が決まると同時にベンチも含めて子供達全員が「悔し泣き」を始めたことだった。
子供達の予期せぬリアクションに、私は大きな衝撃を受けた。
当然のことながら「敗戦の全責任」は指導者にある。
それまでも、決して甘いものでは無かったはずだが、自分自身に「更なる奮起」を決意させた「涙」だった。