門口の蝋梅が先日から花を付けている。
手入が行き届かないためか年々花の数が少なくなっているようだ。
薪の裁断に日数を要してしまったが、何とか明日の午前中に終える見通しとなった。
最初は、太い木と同じように一本ずつ裁断していたが、それでは途方もなく時間が
掛かるので、途中から長さがマチマチとなることを覚悟の上で数本分をまとめて裁断する
ことに改めたところ、作業能率は格段に向上した。
また、心配された収納場所も何とか既存の薪小屋に収まる見込みとなった。
門口の蝋梅が先日から花を付けている。
手入が行き届かないためか年々花の数が少なくなっているようだ。
薪の裁断に日数を要してしまったが、何とか明日の午前中に終える見通しとなった。
最初は、太い木と同じように一本ずつ裁断していたが、それでは途方もなく時間が
掛かるので、途中から長さがマチマチとなることを覚悟の上で数本分をまとめて裁断する
ことに改めたところ、作業能率は格段に向上した。
また、心配された収納場所も何とか既存の薪小屋に収まる見込みとなった。
桜前線は例年よりも一週間ほど早いとのこと。
東京に住む娘が駒場公園で「桜の精」のように佇む孫娘の写真をFBに掲載していた
ので借用した。
雨が降った後なので先日の土曜か日曜の写真かと思われる。
以前、当ブログに孫娘の顔写真を掲載し、娘からレッドカードを突き付けられたことが
あり、その後「触らぬ神に祟りなし」を決め込んでいたが後ろ姿なら許されるに違いない。
コロナ騒ぎで孫娘とは二年以上もご無沙汰となっていて、週一程度のTV電話やラインで
送られて来る動画で寂しさを紛らわせている。
二日ほど前は、子供広場にあるトランポリンで跳躍を愉しむ活発な孫娘の動画が送られ
て来て、「本当に愉しそう」とバアバは繰り返し観ていたが、足腰の衰えた我が身を忘れ
一緒に跳躍しているつもりかもしれない。
家の前の畑でジャガイモの種芋を植え終えた。
そこまでは順調だったが、その後にイノシシ対策の電気柵を設置するのに手間取った。
多賀城の叔父が言い残して行った「撤収は設営の始まり」の訓えが守られていなかった
ため、電気柵本体や通電状況をチェックするテスターを探したりするのに時間を要し、
ようやく畑に設置した時は既に周辺は暗くなっていた。
結局、テスターは最後まで見つけることが出来なかった。
いずれ出て来るものと思われるが、二台あった方が便利なことから、もう一台注文する
ことで当面を凌ぐことにした。
子供の頃、プロパンガスが家庭燃料の主役となる以前は、晩秋や早春に山から運んで来た
柴木が台所の唯一の燃料だった。
多分、山の所有者が伐採した際に、残した細い枝を貰い受けたものと思われる。
小さい背中に柴木を背負って細く長い山道を下り、麓に置いたリヤカーに載せて帰るのが
年中行事となっていた。
そして、その柴木を釜で燃やし易いように鉈で短く裁断するのも日課となっていた。
耕作放棄地から持ち帰った大量の細い枝の処分に困りながら、そんな昔を思い出した。
昔の柴木と較べたら立派な薪と言える太さだが、置く場所も確保出来ず来年まで残す
と朽ち果てる可能性もある。
そのため、可能な限り今シーズン中に母屋のストーブで燃やすことに方針を変更した。
一本ずつ手を掛けていたら大変なので、裁断した際にダンボール箱に入れて持ち運び
易いように改めた。
そして、早速、使ってみたところ、燃えやすく熱量も高い優れものであることが分った。
昨日までの邪魔者が、一工夫で今日から主役に躍り出たことに驚いている。
昼寝が出来るのは「春の彼岸から秋の彼岸まで」というのが家訓だった。
「秋の彼岸から春の彼岸まで」は夜明けが遅く日没が早いためが、昼寝をしていた
のでは外で働く時間が無くなるための訓えだった。
昼寝の習慣の無いサラリーマン人生が長かったことも有り、就農当初は家族が昼寝を
している間はデスクワーク等に充てていた。
しかし、次第に昼寝をしないと夕方まで体力が持たなくなり昼寝をするようになった。
老化の進展は加速度的で、近年は午前の疲労回復を図るために「昼寝が不可欠」となり、
更に、今年に入ったら昼食後の昼寝を愉しみに午前の仕事に励むようになってしまった。
そんな訳で、昼寝は「彼岸から彼岸まで」などという家訓は既に死語となり、時間の長短は
あるもののオールシーズン昼寝を満喫している。
お陰で、昼寝後は心身ともにスッキリ状態で午後の仕事に臨むことが出来ている。