ハヤカワ文庫の「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」上下、上巻の途中まで読んでいるところだ。
「何でもないことを長々と書くのがいい小説だ」とはショーペンハウアーがトリストラム・シャンディーを評した言葉だが、そんな感じ。
若干ショウペンハウアーの言葉を補足すると、読者に困難、退屈を感じさせずにそうするということだ。何でもないことを長々と書いてある小説は大量にあるが、さいごまで楽々と読ませるものはごくわずかだ。
少なくとも提灯屋亀吉、亀子(出版社お抱えの評論家諸氏諸嬢という意味)が必死になってヨイショする最近のアメリカのクライムノヴェルよりははるかにいい。訳者もいいようだ。
なぜ、一部を読んだだけで断定するか、だって??
それは映画「ドラゴン・タトゥーの女」を見たからだ。もし、結末が映画と同じなら、そこまでどうもっていくか、が興味の中心になる。映画でもオチは大したことはないんだが(というよりか肩すかしだ)、何箇所かフォトジェニックな箇所があり、原作ではどうなっているかな、という興味から買ったのだ。
上巻を読めば、結末への伏線がどう張ってあるか、分かる。どの程度の技、力量か判断できるというものである。
それにしても、北欧系の名前は区別できないね。ロシアの小説も最初はどうにも誰が誰だか区別出来ないものだが、やはり慣れかな、スウェーデン人の名前は皆同じに見えるのには弱ったよ。
ついでにいえば、こんなに登場人物を増やす必要はなかった。なにか別の目的で書いた原稿をそのまま生かして流用したせいだろうか。
ペースについて;映画に比べてゆっくりと地味に流れる。メディアの違いで当然と言えばそうだが。