たまたま手に取ったのが熊野氏の翻訳だったので不運と思って諦めて欲しい。
「判断力批判」の第一序論で「理説」という言葉が何回か出てくる。食べている食物になにか硬い異物が入っている様に感じる。
理論説明の略なのかね。ちなみに岩波文庫の篠田氏の訳では「積極的,主張的理論」となっている。これなら分かる。日本語である。単語としての意味は明快だし、前後の文脈の中にもしっくりなじんでいる。
もともとカントには適切な単語をピックアップするセンスがないから時々戸惑うが、翻訳ではカントの意を汲んで意訳でもいいから適切な訳語を選んで欲しい。
念のためにシナの古典籍に根拠があるかと思って漢和辞典を引いてみたがこういう熟語はないようだ。勿論広辞苑にはない。
明治時代の西洋哲学移植者にはみなシナ古典の教養があったから、造成した熟語も様(サマ)になっていたが、現代の大学人にはそのような教養がないから時々妙な言葉に出会う。新しい造語には「出典、典拠なからざるべからず」である。