カントの命題(要するに結論或は逆に分析を許さない第一原理)には明晰な表現があることもある。といっても論証部分が混乱していることが多いので(私の主観的判断である)、その正否はにわかに判断をくだせない。
一例を挙げる。今回は熊野純彦氏訳である。なにしろ8200円も払ったのだからたまには活用しないといけない。
「$11 趣味判断は云々(143、144頁)」
“この快は趣味判断を通じて同時にあらゆるひとに対して妥当するものと宣言される“
いっていることは明晰である。ただし内容については直ちに同意出来ない。しかしカントの基本主張だから当然の主張である。しかし論証はなされていない。或は私の読み方が悪いのか。そもそも、論証不能だから超越論的(アプリオリ)な真理(主張)ということだろう。一種の記述上のパラドックスだ。
いわば純粋理性批判におけるカテゴリーのような「主観側の絶対的真理で万人共通」の前提のようなものだろう。
カントの読み方としては命題部分だけ拾って、うんそうだ、とかいや違う、と言う風に読めば良いのかも知れない。なかなかうがった表現の命題も多いから。つまりモンテーニュのエセーを読む様にだ。