カントは純粋理性批判では物自体といっていたが、後年、自由、倫理道徳、美学、判断力問題に手を広げると「物自体」で押し通すのはアンバイが悪いと思ったのだろう。
判断力批判あたりでは「超感性的基体」という言葉をひねり出した。同じ概念であることは明らかであろう。
それも「我々の外にも内にもある」超感性的基体といった言い方をする。純粋理性批判では悟性、感覚の枠組みで捉えられない外界の自然が念頭にあったことは明らかであった。
しかも、この物自体に人間の方から働きかけることが出来るというアクロバティックな(コペルニクス的な)離れ業を見せている。つまり理性はこの超感性的基体に知性的能力により規定的可能性を提供するというわけである。カントも変幻自在なものだと感心する。