気が付いたらひと月ほどアップしていない。忘れられないように書くと言っても又チャンドラーのことになるのだが。先月最後のアップもチャンドラーだった。
新しいものを読まなければ、というので翻訳を含めて、たまに本屋で買うのだが少し読んで腹の立ってくるものばかりにしか当たらない。で暇で困るときにはチャンドラーを拾い読みとなる。
村上春樹訳の「さよなら、愛しい人」だが、29章、30章あたりによくわからない文章が沢山出てくる。それで原文を見てみたのだが、英文でも意味がはっきりしない。もっともペンギン版なので村上氏が依拠したヴィンテージ版で別の文章になっているのかもしれない。そこで古典的?な清水俊二氏の訳を引っ張り出してみた。問題の個所はすべてすっ飛ばしている。清水氏がどの版によったかは明記していないが、これも一つの見識だろう。読者が疑問に思うところは省略するというのは一つの方針だ。
いっぽう、村上春樹氏のほうも方針に基づいているらしい。どこかのあとがきで、そういうところもなるだけ原文に沿って訳していると書いていたと記憶している。
私は村上春樹氏がどういう小説を書いているのかと思ったのは、彼のチャンドラーの翻訳を読んだ後であった。彼のほかの翻訳は知らないが、チャンドラーの翻訳と彼自身の創作の文章はまったく違う印象だ。たくさん読んだわけではないが、私はチャンドラーの翻訳のほうが好きだな。
クラッシクの演奏家が気分転換にジャズを演奏することがあるが、チャンドラーは彼にとってそのようなものなのだろう。