穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

チャンドラーの自己評価は正しい

2019-04-18 07:56:00 | 妊娠五か月

 さて、前回に続き「リトル・シスター」であるが、91ページまで読んで挫折してしまった。後を続けて読む根気が出てこない。村上春樹氏のあとがきを読むと、この作品の世評は低いうえにチャンドラー自身の評価も低いそうである。

 翻訳者としては訳書の悪口を書くわけにもいかないので、美点を探しているわけだが、女性の描き方がこれまでよりいいという。女性は沢山出てくるが、彼の言っているのはオマフェイという若い女性依頼人のことだろう。冒頭を読んだところでは確かに言えている。しかし、これはチャンドラーの筆力があがったというより、前回書いたように依頼人の描写に力が入るのは当然だからだろう。

 彼の長編処女作「大いなる眠り」が名作というか傑作であることには異議はないが、その後の作品はだんだんと質が落ちるというか劣化しているようである。「さようなら、愛しい人」はまだいい。「高い窓」も特徴のある作品である。今回読み返してみて「湖中の女」も捨てたものではないが、「リトル・シスター」はさらに右肩下がりに直線降下している。一次方程式で言えば係数にマイナスが付いている。

 こうなると、清水俊二氏がどう訳しているか読みたくなる。たしか「かわいい女」というタイトルで翻訳していたが。

 村上春樹氏はこの作品があったから、かれはスランプを抜け出て「ロンググッドバイ」が書けたという。これは同意できない。むしろ、「大いなる眠り」の初心に戻ったから、ロンググッドバイに結実したのだろう。一見全然構造的にも全然共通点が無いように見えるが「大いなる眠り」と「ロンググッドバイ」は構造的に酷似している。特に登場する女性たちのキャラ立ちにおいて。おそらくこの構造的類似がチャンドラーには書きやすく後期の傑作を生みだしたのだろう。