穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

95:下駄顔老人の回答試案、その一

2020-05-08 07:31:50 | 破片

 昨夜は遅くなってから雨が強く振り出し、久しぶりに雷鳴が空を奔るのを寝床の中で聞いた。古い友人が発送するのを忘れていた半世紀前の長い手紙を読んで当時のことがしきりと思い出されてしばらく寝付けなかった。JSはトイレに起きてたついでに時計を見るともう7時である。カーテンを開けるとドブネズミ色の空からまだ雨が執拗に降っている。

 外出自粛要請の出ている帝都では外出するような気にはなれない。この頃では別に用もないのに電車や地下鉄に乗っても乗客は一車両に二、三人しか乗っていなくて電車に乗るのも悪いような気にさせられる。さりとて、この土砂降りの中を一時間以上かけてズボンのすそを濡らしながらダウンタウンまで歩いて行くのも酔狂すぎる。この前に行ったときには、やはり休業にしようかと思っていますと女主人が言っていた。もう休業しているのかもしれない。

今日はお籠りさんを決め込んで手紙の返事を書こう。といっても相手はもうこの世にはいないのだが、手紙で投げかけられた質問は興味があるので、答えを考えてみたい。実は彼の手紙を読んでいてフレイザーの「金枝篇」を思い出したのだ。彼が妙に生々しく既視感のある夢を見るというくだりである。

『フレイザーというのはイギリスの民俗学者である。金枝篇というのは彼が書いた有名な本で世界各地の民間伝承を収集したものである。20世紀の初めに書かれ書籍だ。19世紀だったかな』。

記憶で書いているがまあ、詳しい正確なことはあとで調べよう。本当は読み直してから書くべきなのかもしれないが、とJSは肚の中で考えた。

『東南アジアたしかボルネオかマレイシアの原住民の間では寝ている人間をいきなり起こして驚かすのは殺人と同じだと考えられている。理由は寝ている間は人間の魂は体を抜け出してどこかを浮遊していると考えている。あるいは驚いて体から飛び出してしまう、だったかな。だから人間を無理やりに起こすと飛び出した、あるいは浮遊していた魂は着艦する母艦を見失った飛行機のようになるというのだ。これは日本の神道でいう脱魂状態である。朝になっても魂とからだが合体できなければ死んだも同じだというのだ。君の場合もこれに当てはまるようだ。

脱魂状態になるとどうなるか。空中を浮遊しているほかの魂がその魂の抜けて出来た隙間に着陸進入するわけである。神道ではこの状態を憑依という。根拠がないとか、実証できないとか何とでも言え。こんなところで力んでもしょうがないが。

しかし当時を知っている僕にとっては依然<君は君>であった。ひどい損傷を受けたようではあったがA=A(フィヒテ流に表現すれば)であった。するとどうなるのだ。古来魂は分割不可能というのが定説であるが、あるいは一部だけが驚いて体外に飛び出したとするとどうだ。一つの体に二つの魂だ。そして昼間はもともとの君の魂の一部が君の体を動かしている。夜寝ているときは憑依した魂が夢を見る』

しかし、とJSはキーボードの上をさまよう指を止めて考えた。これは多重人格と言うことになるのだろうか。その当時彼は肉体的、精神的に消耗が著しかったが性格が分裂したようには見えなかった。心理学者の間で弄ばれる「二重人格」や「多重人格」という概念が当てはまるとは考えられない。

JSは手に持ったプリントアウトをしばし睨んで沈思した。うまくまとまったかな。チャネリングの要素も考えないと辻褄が合わないかな。どうもどこかの新興宗教みたいになったと肚の中で考えて苦笑した。