さて、最後にカフカの作品に現れた父を見てみよう。君の場合と写像のように重なり合うのか、合わないのか確かめてくれたまえ。いまはアマゾンがあるから天国からでも注文すれば届けてくれると思う。
カフカの作品でストレイトに父を扱ったのは短編「判決」である。小説であるから実際の状況は全く同じではない。書いたころには父は依然として商店主として、そして父親として家族に君臨していたのであるが、「判決」では息子に商売の経営権を渡した隠居である。息子がある日、暗い部屋で一日中新聞を読んでる父親の部屋に行き、自分の日当たりのいい部屋と交換しようと「親切」に申し出る。突然、唐突に(この特徴を表す二語はカフカ小説の専売特許であるが)激怒する。耄碌したと思って親を馬鹿にするな、というのである。俺は今でも何でもお前のやっていることは知ってるぞ、と息子に怒鳴る。そして息子に命令する。「いますぐ川に飛び込んで溺れ死ね」と判決を下す。息子は家を飛び出して町を流れる川の欄干を乗り越えて川に飛び込むという筋である。
この短編は「変身」だとか、「審判」や「城」などに比べてあまり知られていないのでやや詳しく紹介したが、わずか20ページぐらいの短編で僕もこれは何だ?と全く興味が持てなかった。君の手紙を読んで「不条理な父」という視点から振り返ってこの作品を思い出したのだ。しかし、専門家も父問題を論じるときには「審判」と並べてこの「判決」をあげているようだ。
もうひとつの「審判」は長編で「城」とならびカフカの代表作として「判決」よりもはるかに有名である。この小説では父のかわりに得体のしれない権力、国家というか、組織というか、そういう大きなモノが理由もなく(不条理に)突然市民を逮捕し、訴追し、審判し死刑判決を下す。しかし当人にはどういう判決を下されたのか分からないのだ。本人もそういう重大なことを確認しようともしない。そして一年ぐらい普通に暮らしていると、突然二人の身なりのいい紳士が訪れ丁重に彼を連れ出して郊外の路傍で犬を殺すように処刑するという筋である。名指しされていない大きなモノ(国家、あるいは権力)は世評では父とパラレルにとらえられている。このモノを当時欧州で勃興してきたナチスのような全体主義を暗示していると論じるものもあるようだが、そこまでいくと行きすぎだろう。オーストリア・ハンガリー帝国の末端官僚として、それなりに順調に出世してきたカフカには、そこまでの政治意識はなかっただろう。
「審判」には腐るほどの専門家の意見があるから、その詳細は彼らに譲ろう。「判決」で注目すべきはカフカ自身のこの作品に対する評価である。彼はこの作品で初めて思うように書けたと満足している。この作品でどう描くべきかが分かったという。自分のスタイルを把握したというのである。そういう意味で彼の父小説のアルファであり、もう少し注意して読むべきだろう。
さて次はいよいよ「変身」だ。これを父小説の見る論評はないようだが、僕はこれも父がテーマであると思う。このように思うのは君の手紙を読んだからなのだ。