穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アインシュタインはドグマティストである

2021-09-09 07:11:40 | 小説みたいなもの

 マルクスと同様である。ウィットゲンシュタインもそうであろう。彼は自覚していたようである。Wの言葉に「私がユダヤ人だから、そう考えるのだろうか」というのがある。この三大天一坊はすべてユダヤ人である。

今お勉強中のアインシュタインに話を限ると、

1:世界には、(宇宙にはだったかな、あるいはこの慣性系にはだったか)、光より早いものはない、とアは言う。これは実証されてもいないし、論理的に帰結されてもいない。

 一時はニュートリノは光より早いなんてニュースがあった。計測ミスだと訂正されたが、別に光が一番早いことの証明にはならない。

2:E=mc2、c2は光速の二乗

これも実測されてはいない。論理的に証明されていない。彼の相対性原理では、光速より早いものはないと『前提』されているが、実証されていないし、証明もされていない。つまりドグマである。

 ドグマティスには、実証されていない(出来ないと言ったほうがいいかも)、かつ論理的にも説明できない前提となる思弁的、形而上学的前提がある。古代、中世のキリスト教神学が神の超越的、絶対不可侵性を前提としたのは古典的ドグマである。

 もっとも、ドグマというものは信じてしまえば、そして皆で共有してしまえば、使い勝手はよいものであるが。それがパラダイム野になれば、すべて世はこともなし、となる。どうも私のSFは奔放なものになりそうだ。