穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

係数Cが光速である必要はあるのか

2021-09-11 08:49:17 | 小説みたいなもの

 おはようございます。朝の行事です。どうも朝一番に一本アップしないとすっきりと目覚めないようなのです。朝のラジオ体操と言うか、排便と言うか、どうもそれを済まさないとすっきりとしません。

 さてアインシュタインのE=mc2ですが、Eはエネルギー、mは質量の等式ですね。cは光速秒速30万キロ弱ということですが、この係数cには必然性がないということは前回までに申し上げました。ほかにmとEの単位もあいまいなようです。単位のとり方で計量的にはどうにでもなりますからね。

 上の等式が意味していることは質量を全部エネルギーに変換するとものすごいエネルギーが発生するということでしょう。別に光速にする必要はない。光より早いものはない、と言うことになっているからそうしたのでしょう。30万ではなくて百万にしてもいい。光速にこだわる必要はまったくない。

 つまりこの等式は日常言葉で「物質を変換すると、とてつもないエネルギーになる」と言ってしまえばすむことです。

 ユダヤ教の聖典である旧約聖書の創世記だったか、では神が最初に「光あれ」といったからなのか。広島の原爆でenergyに変換されたのは搭載されたウランの0.7パーセントだった「らしい」ですからね。