「存在と時間」は私の記憶では存在に触れず、時間についてもほとんで触れていない。第一章と第二章の記述でそれを確認した。だからこれまでの西洋哲学の全否定とすごんだわりには主観主義哲学の一種だといわれてもしょうがない。ハイデガーもそれを気にしていたという。古代ギリシャ哲学に戻ってぴしゅす(自然)に戻ったり、中世キリスト教神学に戻ったりしている。
そうして、ナチスの政権獲得に連れてフライブルグ大学の学長に就任して大学の教育改革に乗り出すところまで来た(250ページあたり)。結局一年余りで挫折するのだが、そこまでは読んでいない。
相変わらず、新語を乱発している。やめられないんだろうね。私から見ると下手な新語つくりは逆効果である。