穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

大森望君ご激賞、井上夢人「ナカニダレカガイル」

2017-07-14 06:25:00 | 書評

SFを書こうと思うことがある。全くの自己都合なんだが。

世の中が目まぐるしく変わるから描写がシンクロしないんだよね、現実と。

現代作家はピストルとか自動車電話とは言わないらしい、拳銃とかスマホというらしい。

携帯というのも、もう古いらしいな。でうっかりすると都電に乗ってスマホをいじっていたりと書いたりする。荒川や三河島あたりの話じゃないんだよ、尾張町(古いね)や銀座あたりで高級クラブのママが都電のなかでIFONE(綴りが違うけど勘弁して)をいじっている。こういう風に書くと笑われるらしい。SFはその辺のつじつまが合わせやすい。変な小道具を導入すればなんでも書けちゃう。

 ところで今朝自分のブログを見て驚いたんだが40日以上なにも書いていない。それでもありがたいことに毎日のアクセス数は減っていない。読者の皆様に感謝。しかしサボっていてはいけないと、枯れ木も山の賑わいと一席弁じる次第であります。

 井上夢人「ダレカガナカニイル」を書店の棚から引き抜いた。どうしてかな、カタカナで長たらしい書名のせいかもしれない。例によってあとがきを読もうとしたら大森望君の解説がある。四、五行読むと、「解説から先に読む悪癖のある人は解説を読むのをやめてすぐに本文を読め」とある。それで素直な私は最初から読み始めた。おっと、例によって現在進行形書評だからポジション・リポートを入れておこう。80ページあたりまで読んだところだ。

 井上氏の本は初めて読む。この種の本も初めてである。こういうのは最古、いやサイコSFというのかしら。他人の意識の中に入り込むという仕掛けだが、前に読んだフィニーだったかな「盗まれた街」も同じ趣向だったようだ。もちろん井上氏の名誉のために補足するとシチュエイションは違う(オリジナルといえばいいのかな)。

 いずれにせよ、寡読の私だがサイコ系のSFというのは少ないようだ。もちろん私の認識が間違っているのかもしれない。宇宙船だとか火星人(いまはカタカナの何とか人というらしいが)だとか、一兆億光年だとか、トランスポテーションだとかタイムスリップだとか、知能ロボットだとか子供だまし(ゴメン)のギミックが多いがサイコ系というのは珍しい。SFとしてはという主観的認識である。もっとも共通認識と断らなければ認識というのは主観的だからトートロジーかもしれない。

 この本は600ページ以上もある。本当は字数でボリュームは表現すべきなのだろうが。最後まで読めるかな。

 


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