穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

abさんごは結局技の問題?

2013-02-19 20:40:52 | 書評
前回に続きabさんごだが、その道の玄人たちの評がピンとこないのは、テクニックというか、文体というか、その与える効果がすばらしいという一点しかポイントがないということなんだろうな。

たしかにある効果は有る。時間差攻撃というのは有る程度有効だからね。難しい本と同じで「訳が分からない方」がありがたみがある。

読みにくさ、は時間差攻撃にもなるし(読むのをつき合おうという気持ちがあれば)、思いがけない印象をバイプロダクトでうむ。

しかし、テクニックというのは必要最小限に止めるのがスマートなんじゃないかな。はじめから終わりまでテクニック過多だし、そのテクニックがすぎれば、しかも同じテクニックばかりでは月並みな印象を与えて逆効果だろう。

選者が奇をてらって流行を作ろうとしていることは分かる。それが芥川賞の使命なのかな。なかには、みんながいいいい、と言い出すと乗り遅れまいと珍妙な褒め方をするものがいる、村上龍や宮本輝のように。

三回ほど、芥川選評評(間違いではありません)をやったが、いつも山田詠美氏はまともだと思ったが、今回はネガテイブな評は彼女だけだね。

おまけだが、彼女のテクニックの一つに持って回った非日常的説明がある、傘のこととか。こういうのを読んでいると、これは校正者としての経歴かなとおもう。いま、プレスコードで禁句がおおくなって妙な表現が強要されるだろう、脚が不自由なかたとか、目が明るくない方とか。こういう言い換えに校正者として腐心した技術が反映していると思うね。