穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

哲学とはなにか

2022-05-11 20:08:43 | 哲学書評

 といってもこのブログで取り上げるからには、ちょっと別の切り口で行きたい。
暇になると、妙なことを考えるもので哲学のことを律義に西洋哲学と断る場合がある。例えば、大学などでは、全部かどうかしらないが、西洋哲学科(ああるいは部)と東洋哲学科が並立と言うか独立して設置されている大学がある。さらに東洋哲学科ではなくてさらに印度哲学科なんて断っているところもある。じゃあシナ哲学科があるのか。これは聞いたことが無いが、ある大学もあるかもしれない。
 書店でも、というか出版界でも単に「哲学史」というタイトルも中身はギリシャから始まるいわゆる西洋哲学である。哲学と言うことばは幕末か明治に作られた言葉で、確か西周がフィロソフィーの訳語としてあてた、あるいは創作した言葉であると聞いたが。
 だから東洋には哲学は無いのかもしれない。あれば西周がわざわざ新語を鋳造する必要も無かった。じゃあ、某大学の東洋哲学とは何を指すのか。東洋と言っても広うござんす。印度哲学なら比較的ロケイトしやすい。仏教以前のウパニシャッド哲学から始まり、バラモン教や仏教思想を整備する過程で行った教理体系がほぼこれに該当するのではないか。
 ただ、これは素人にはアクセスが難しい。一般に入手できる出版物はない。お寺さんの、それも教理問答などに特化した人たちの専有物と言っていい。仏教系大学と言うのが日本にも複数あるが、そういう所の知識の貯蔵庫にあるのだろう。
 仏教系の一般向けの書籍と言うのは多数、無数に書店にあるが、いきなり人生相談的なレベルに落ちてきているので参考にならない。
 シナ、いや中国はどうか。無理やりに言えば、道教とか易とか五行説なんてのがそれかもしれない。これも占い本とか風水レベルの大衆書はあふれているが、哲学的な根拠はないらしい。
 儒教も哲学と言えるかどうか、倫理学は西洋では哲学の一分野ではあるが。てなわけで、一般人がアクセスできるのは書店の精神世界コーナー、占いコーナー、精神修養コーナーにある、あまりぞっとしないものばかりである。
 なんだか分からなくなってきたね。



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