穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

リアリズムと超人探偵

2009-06-02 22:12:57 | ミステリー書評

本格推理なんて言葉がある。そのこころは20世紀初頭の人工的な謎解き小説をチャンドラーなどから不自然だと批判されて自己正当化のために従来型ファンがひねり出した言葉と思われる。

密室だとか、現実にありえないと思われる不可能的な状況設定は確かに白ける。他方ではそういうことは一向に気にならないという向きもこれまた多数いるわけである。しらけるどころか、ますますしびれる向きもある。

森村誠一氏なんかによると、到底現実にはありえないようなトリックでもつじつまが合っていれば許されるそうだが。

そんなことを言えばハードボイルドで気になるのは、探偵が非現実的にタフなことだろう。これは気にならないのかな。なにが気になるというのは、結局個人の性向なのだろう。

やたらに酒がつよい。のべつまくなしにタバコを吸う。鉄パイプでぶったたかれても一時間もすれば目が覚めて前よりピンピンしている。やたらに女にもてて年中据え膳を食ってもおかわりが平気なやつもいる。こんなのがハードボイルドで気になる非リアリズムかな。

わたしの趣味からいうとまだハードボイルのほうが我慢が出来るということだ。ただ、そんな非リアリズムで読者を惹きつけなくても十分読ませる作家が望ましいのは言うまでもない。

& 主人公が非日常的で非現実的なスーパーマンであるということからすると、一部の人間が言うようにハードボイルド小説は冒険小説の一ジャンルであるという主張もうなずける。

正確を期するために補足すると、ハードボイルド御三家の作品でも非日常的なスーパーマンが出てこないものも相当ある。同じ主人公シリーズでもスーパーマンぶりが目立つのとそうでもないものがある。

大体において、非日常的スーパーマンが多いのは御三家以後の亜流というか継承者におおいようだ。

ハメットもチャンドラーも、一作品のなかでせいぜい一回に抑えているようだ。粋がっている継承者の小説がのべつ幕なしにタフガイぶりを示しているのとは違うようである。ロス・マクドナルドはまるっきりそういう場面はない。