チャンドラーの死肉食い(すでに発表した複数の短編を長編にまとめること)の実態を調べようと、ハヤカワ・ミステリーの短編集を読んでいる、暇つぶしにね(チャンドラー短編全集3、レディ イン ザ レイク)。この中の表題の中編とベイシティ・ブルースが「湖中の女」のネタになっている。
ところで今回の話は其のことではないのだ。この全集3のあとがきにチトひっかかった。
あとがきじゃなかった。「エッセィ」と銘打っている。筆者は作家逢坂剛とある。そのなかに、ハメットが後輩のチャンドラーに一度も言及していないことに触れて『生き方自体がハードボイルドだったハメットの目に、チャンドラーが自分とは反対の女々しい男、と映ったこともありうるだろう』 と書いている。妙なことを言うな、と思った。ハメットは赤狩りが盛んだったころに、昔の共産党員の仲間の名前を当局に言わなかったというので投獄されていた。そのことを言っているのかな?それにしても、それが女々しくない証拠になるのかな、と思った。
ではチャンドラーのどこが女々しい のか。逢坂氏は触れていないから分からない。おかしなことをいうな、と思った。実はこの(趣旨の)文章をどこかで前に読んだ記憶があって、しかしどこで読んだか、だれの言葉だったか、まったく記憶から消えていた。今回この文章を見て、そうか逢坂剛だったかと記憶が蘇ったのである。
先に何回か触れたマクシェインの「チャンドラーの生涯」、ようやくあと50ページ当たりのところまで来た。ちょうど18歳年上の老妻シシーが長患いの末死んでしまった後あたりである。前にも書いたが著者はまとまりなくゴテゴテと書いているので非常に読みにくいのだが、書いてあることが本当だとすると、シシー死後のチャンドラーの生活はタガが外れたというか、性格破綻者の状態であったらしい。
それでこの本の前のほうで書いてあったことを思い出した。チャンドラーが実業界を去った(放逐された)いきさつである。もし、著書が正しいとすると、チャンドラーは自分の秘書に手を出し、彼女のアパートにしけこみ、一週間以上も会社に出勤しなかったというのである。勿論秘書も出社しなかった。それで重役の職を追われたと。本当だとすると、会計上の手腕は有能だった(と思われている)中年の重役がいきなりトチ狂ったとしか思えない。
それが18歳年上のシシーと結婚して落ち着いた。こういうケースはままある。見たこともあるが、妙なものだ。マクロン大統領も同じケースだろう。
彼女は八〇何歳かで死んだのだから、もちろん夫婦の性生活などなかっただろうが、そのころに彼は「長いお別れ」を完成している。村上春樹氏が彼は何らかの枠組みを必要としていて、それがミステリーというジャンルだったというが、実生活でも創作活動の上でもシシーという老妻の枠組みが必要だったらしい。
老妻の死後、彼はあちこちの女性に(ほとんど見境もなくといいいのだが)接近している。手紙魔の彼は手紙を出しまくっているのだが、手紙で「私はまだ性交ができます」なんて書いている。たしかに滑稽だが、これを女々しいと言えるのかな。