穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

イシグロ「忘れられた巨人」読了

2022-06-04 06:55:06 | 書評

 十日ほどかかった。230ページ当たりからハカが行くようになった。テーマはわりとはっきりしている。寓話だね。かなり応用範囲が広い。アカハタにも否定的ではない書評がのったしね。
 もっとも私は雌龍のクリエグは「戦後民主主義者」と取ると分かり易いと思う。日本全国に臭い息をまき散らして正常な記憶力、判断力を破壊した「功績」は大きい。メス龍クリエグの寿命も最近の日本では尽きかけている。
 ガマ顔の大江健三郎氏をはじめとした戦後民主主義者もようやく世代替わりをしたようだ。メス龍の嫡子である日教組もあまり聞かなくなったし(効かなくなった)ね。
 しかしこれは小説である。テーマが分かったからと言って小説として分かったことにはならない。テーマを小説としてどう料理したかという所を賞味しなければならない。一週間足らずで一応読了したからと言って不十分である。

この作品は「私を離さないで」刊行後十年で完成したという。ま、十年間毎日24時間執筆にかかっていたわけではないが、卵を孵すように十年間抱いていたわけだ。つまりグロスでは十年かけたわけだね。ネットでは二、三年かもしれないけど。読者としても十日間じゃなくて、もっと時間をかけて読まなければいけないだろう、作者に対する敬意として。
 おりから岸田首相も世論を背景としてクリエグ退治に乗り出したようだ。
おっと、小説としての技巧なのか、そうでないのか一つ気が付いたことがある。この作品が発表されたのは2015年だから、たいていの作家は「コピー、切り取り、ペースト」が自由自在のパソコン搭載のワープロを使っていただろうが、石黒氏はどうだったのか。この作品を読んでいると思いつくままに叙述が前後入り乱れている。慣れないと何が何だか分からなくなった、最初のうちは。
 それで、ひょっとしたらイシグロ氏は昔ながらのタイプライターを使っていたのかと思った。タイプライターなら、思いつくままタイプして、後から時系列を整序するのは大変な挿入や打ち直し、あるいは切り貼り、糊付けの作業になるからね。どうなんだろう。意図的に手法としてああいう書き方をしたのかな。そういう作家もほかにもいるからね。この小説は最初から最後まで、時間軸が錯綜しているから意図的のようにも考えられる。効果のほどは?? 読者個々に任せるしかない。

 



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