書店に個性のあるのとないのがある。前に書いた。店主、経営者、仕入れ担当の個性が感じられる書店と言うのは印象に残る。散漫な仕入れで印象の拡散した書店とちがい、統一があるし、きりっとした感じを与える。
岩波文庫の青帯(哲学)でカントは大体どこにでもあるがヘーゲルは意外に少ない。しかも大体おくものが決まっている。小論理学というのもまずない。版数を見ると結構最近まで相当回数版を重ねているが書店で並んでいることはない。
ところが、ある書店ではこれを常備している。しかし、いつも下巻ばかりだ。またこれがゆっくりとだがはけていくらしい。時々なくなる。売れない本を仕入れてしまった、と思っている経営者はこれで不良在庫がなくなったと清々しているかとおもいきや、しばらくするとまた下巻を仕入れて陳列している。
つまりわずかだが確実な需要があるということだろう。下巻しかないというのも理解しがたいところだ。小生なんか上巻のほうがおもしろいと思う。
もっとも、岩波文庫では読んだことはないから、岩波の上巻に相当する部分ということだ。理由はなんなのかな。上巻には決定的な誤訳があって、しかも訳者が死亡していて改訂の仕様がないのか。
あるいは、下巻部分には特定の主義者などの教科書として手堅い需要があるのか。分からん。
なお、その書店の立地であるが、もと場末、いまアッパーミドル用のマンションの林立する新開地である。ヘーゲルとは無縁のところのように思われるのも面白い。