「冬の晴れた日は、我が家の二階から見る白山は格別だ。」と、言いたいところだが、カメラに収めると残念な結果となる。師走になると、忠臣蔵を思い出すが、まさしく「電柱でござる」という感じ。
この電線は何とかならないだろうか。わたしが、屋根の上に上がれば良いのだ。しかし、屋根にあがって万が一のことがあったら、父の二の舞になるので、笑われるだけだ。
しかし、視覚というのは不思議なものだと思う。二階から目で見ているときは、電線を見ていないのだ。なんときれいな白山だろう。と、カメラを覗くと、電線が急に目に入ってくる。
聴覚もそうらしい。雑踏の中でも、相手の声を聞き分けるのは、ちゃんと頭の中でノイズを消している。しかし、静かな家の中で話しているのに、だんなはわたしの話を半分も聞いていない。「わたしの話の半分も聞いていない・・・」と、怒ると、「半分聞いていれば、大した者だろう。全部聞き流したいくらいだ」と、言う。どうも、わたしの話そのものがノイズなのかもしれない。実際、話さなくてはならない大切な話など殆どない。それでは、わたしの話は電柱でござるということになる。