まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

闘う精神

2012-12-18 | 弓道

「月刊 弓道」の、11月号12月号に岡崎先生の記事があり、その中で、なかなか厳しいことが書かれていた。それは、日頃のわたしの弓道に対する甘さを、しっかり指摘されているような気がした。

「弓は必殺の射でなくてはならない」、ただ的に向かって中っただけでは弓道ではない。「飛、中、貫」の特に貫通力が大事といわれる。現在のスポーツとしての弓道では、その必要性を問われない。どちらかというと中たり重視である。もちろん、矢勢の鋭い矢は見ていてため息がでる。しかし、弱い弓を趣味でふわふわ引いて、放物線を描いて中てるような、わたしにとっての弓は何だろうと考えた。

そこで、岡崎先生の12月号に答えがあった気がした。

逃げることも臆することも、翻って驕ることも偉ぶることもなく、ただ困難に立ち向かい闘う精神を培うこと。そして、弓道は武道であり、武道は対峙するもの。対峙は、的に対してではなく、自分自身であること。

今の状況の中で、完全に戦意喪失状態だった。退院後に小松まで週2回血液検査に行くが、退院直後はその帰りが辛い。運転の途中で眠くなってしまうのだ。病院ですっかり体力を奪われた挙句のお出かけ。サンクスで美味しいコーヒーを買い求め、一息ついてから運転する。特に、3回目からきついですよという先生の言葉通り、副作用が出始めて、指先がしびれてきている。そのせいで、物をつかみ損ねて落とす傾向が出てきた。先日、デジカメを落としてしまったら、レンズ部分が引っ込まなくなって、それっきりになってしまった。足の親指は、ついているだけの感覚で、なんだかおかしい。丸いものが足先にある感じ。

常々、理不尽な治療だと思っているので、何に対して自分が闘っているのだか、腑に落ちなくなる。残りの2回が、済んでしまった4回よりも重い感じで押し寄せてくる。気楽に、笑って、という作戦も底を付いてきた。どうしても、このままの状態をよしとしていない自分がいる。あ、これが闘志なんではないか。へこたれていることが、すごく嫌なんではないか。

体力の落ちたこととは反対に、精神的に闘志がわいてくるのを感じた。もしかしたら、闘いたいというのは、人の欲求のひとつかとも思えた。誰とではなく、自分自身に対して。そのことが、弓道精神ではないか。