まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ランドセルコンプレックス

2012-12-12 | 暮らし

1年生になる孫のランドセルが届いた。箱には「運送会社様へのお願い」が書いてある。宅急便の人が、「ランドセルです」と、届けてくれた訳は大切に運んでくださいとお願いしてあるからだ。中を開けても開けても、念入りな包装で、気持ちがどんどん昂ぶっていく。興奮がピークに達したときに、マンガチックなランドセルが現われて、「えっ?」と思わせ、カバーを取ると本来の真っ黒に光ったランドセルが登場する。わくわく、どきどきする。なんてことするんですか土屋さん。(メーカーさんの名前)やってくれます。

わたしの両親は、東京でせんべい屋を営んでいた。わたしは、社長令嬢として大切に育てられた。とはいえ、社長である父がせんべいを焼き、配達し、母は手伝っていたので、家内工業である。が、一応会社であった。しかし、父が腎臓病になったために、父の里である加賀市へ来たのだ。そのとき、ちょうど一年生になるわたしに合わせて引き揚げてきたのである。

祖父は、見目麗しい小さなわたしに、ランドセルを買ってくれた。学校まで5キロで、バス通学であるが、バス停までが遠いのだ。バス停まで30分ほど歩かなくてはならない。今も小さいが、その頃のわたしは、クラスで一番小さくて、祖父は軽いランドセルを買ってくれた。

残念ながら、これがひどかった。友達のランドセルは、椅子に掛けるとふっくらとしているのに、わたしのは、三角の形でぺちゃんこなのである。軽いのはボール紙の上に、ビニル貼りしてあるからだ。雨にも天気にも負けるのである。小学校3年になったら、このランドセルは壊れてしまった。そこで、新しいランドセルを買わなかったのは、3年生だからだった。新しいランドセルは一年生が持つものだからだ。その時から、肩から掛けるカバンにした。両手があくランドセルは楽なのに、斜に構えて歩きだし、幼くして遠い道を通い、わたしの人生の苦労はここから始まったといっても過言ではない。過言か。

ランドセルは雨にも天気にも負けたが、わたしはたくましかった。この後の人生を何とか乗り切ったのは、美しさと逞しさに他ならない。物事をまっすぐに見られないのは、幼い頃から斜めに構えていたからか。

何はともあれ、子や孫には最高のランドセルをと思う。