先日、平穏死の本について書いた時を同じくして、中日新聞に「尊厳死法案をめぐって」ー(終末期を考える)という、記事が載っていた。
難病の患者たちが、「24時間の介護サービスが保障されていないため、家族の介護負担を考え、今でも7割の人が人工呼吸器をつけたいと言えず、亡くなっている。法制化によって、患者は「生きたい」とさらに言えなくなる。」
実際、医師から「意識が戻ることはまずない」と、告げられた家族に呼吸器をつけるかどうか聞いたところ、家族は常々本人の意思を知りつつも呼吸器の装着を頼み、意識を取戻し、現在は車いすを使い、障害者の相談などの仕事をこなしているとのこと。
老衰や認知症など、がんでない終末期の判断は難しい。また、一刻を争う救急現場で、終末期かどうかを判断するのは困難などの意見がある。
愛する人の週末を、密着して看護したいと望む人もいれば、老いた親の看護を別の所帯を持った子供が常に介護するという状況は難しいだろうと思う。
病院に入ると、一挙に患者となり、家へ帰ると元気になるということは、自分で身を以て分かるのだが、だから在宅看取りが本人にとって良いことも分かる。しかし、ひとりで出来ることなら率先してやろうという気持ちがわくが、結局は支えてもらう人の手がいるのだ。
やはり、前回同様、「問題は残る」と、話をくくることになる。