まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

尊厳死法案をめぐって

2012-12-07 | 暮らし

先日、平穏死の本について書いた時を同じくして、中日新聞に「尊厳死法案をめぐって」ー(終末期を考える)という、記事が載っていた。

難病の患者たちが、「24時間の介護サービスが保障されていないため、家族の介護負担を考え、今でも7割の人が人工呼吸器をつけたいと言えず、亡くなっている。法制化によって、患者は「生きたい」とさらに言えなくなる。」

実際、医師から「意識が戻ることはまずない」と、告げられた家族に呼吸器をつけるかどうか聞いたところ、家族は常々本人の意思を知りつつも呼吸器の装着を頼み、意識を取戻し、現在は車いすを使い、障害者の相談などの仕事をこなしているとのこと。

老衰や認知症など、がんでない終末期の判断は難しい。また、一刻を争う救急現場で、終末期かどうかを判断するのは困難などの意見がある。

愛する人の週末を、密着して看護したいと望む人もいれば、老いた親の看護を別の所帯を持った子供が常に介護するという状況は難しいだろうと思う。

病院に入ると、一挙に患者となり、家へ帰ると元気になるということは、自分で身を以て分かるのだが、だから在宅看取りが本人にとって良いことも分かる。しかし、ひとりで出来ることなら率先してやろうという気持ちがわくが、結局は支えてもらう人の手がいるのだ。

やはり、前回同様、「問題は残る」と、話をくくることになる。


平穏死 10の条件

2012-12-07 | 読書

図書館で借りた「平穏死 10の条件」。

「人は必ず死と向き合わなければなりません。けれど、なかなかきっかけがなければ、そのことについて考えようとはしません。」

長尾和宏著 グルメ情報や金融情報には目の色を変えて探すのに、自分自身の命の終わり方となると「よろしくお願いします」と、いとも簡単に医者に任せる人が実に多い。

終末期医療について、考えるきっかけとなるかと思う。そして、在宅療養の重要性と、最後を自宅で迎えることの大切さを語っている。まず、自分がどこでどのように死にたいか。なかなか思うようにはいかないかもしれない。しかし、家族で一度話し合うべきではある。とはいえ、自分の思い通りに命が終わるのなら幸せである。最近のいろいろな事件や、トンネルの事故、あるいは交通事故など、思いがけない不幸もある。とりあえず、長生きして、最後を迎える時にどうしたいか。その時に、意識がしっかりしていればよいが、そうではない時、今のうちに家族に伝えておきたい自身の希望を明確にする。

また、親が延命治療に入るときに、医者に「どうしますか?」と、人工呼吸器や胃ろうの延命措置について聞かれた場合「先生にお任せします。」と、医者任せにせず、はっきりと答えることができるかどうか。

高齢の両親がオールキャストで健在である今、覚悟をはしなくてはならない。そして、在宅医療の希望があれば叶えてあげたいが、しかし、どうだろう。往診に来てくれる医者はいるのだろうか。

一通り、知識として読んだけれど、もちろん問題は多い。