まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

日本百名山

2017-04-28 | 山歩き

登山家なら誰でも知っていると思われる深田久弥の「日本百名山」は有名で、何と言っても加賀市に住んでいる者にとっては、郷土の誇りである。生家が大聖寺であることで、錦城小学校、錦城中学校を卒業した者にとっては、まさにわたしたちの深田久弥と言いたいところであるが、世田谷にも住んでいたし、福井もゆかりの地であるし、我孫子もそうだし、韮崎もと、それぞれのゆかりの地で、亡くなった今でも引っ張りだこなのではないか。

ちなみに、そうなると親戚の数も知り合いの数も増えるのである。先日、「久弥祭」が、富士写ケ岳の枯淵登山口で行われた。その時、久弥氏の甥にあたるK氏と初めてお会いした。実は、わたしの祖母が久弥さんと従兄であることで挨拶したら、K氏の方もご存知のようで嬉しかった。で、遠い親戚だが有名人は親戚が増えるとはこのこと。K氏とわたしの父がまた従兄になるのである。その子供になると、もう知らない者同士だ。それでも、山が縁をつなぐ。

わたしの人生で、ここへきてどんどん知り合いが増えていくのも不思議なことである。

山はすっかり雪が解けて新緑になっていく。そんなふうに、人生の景色も変わっていく。

一歩踏み出すという事は、面白いことに出逢うという事だ。


ねらい

2017-04-28 | 弓道

さあ頑張るゾ!と、思った矢先、コンタクトレンズで目に傷がついて眼鏡をはめたら、狙いに不安感が出てきた。おまけに、右肩が痛い。頑張ると思った瞬間痛くなるというのは、不登校で学校へ行こうとするとお腹が痛くなる生徒のようだ。繊細なのか、単に臆病者なのか。

両目で狙うのだが、意識したら引きがおかしくなって、考えれば考えるほど、泥沼にはまっていく。狙いに確信が持てなくなると、引きまで自信なげになってくるようだ。

ほんのちょっとの事で、崩れるのは基本が出来ていないからか。

的中が落ちると、的中が気になって、また方向違いのところへ気持ちが行ってしまう。山は、千鳥足でも足を前に出していれば頂上へ着く。しかし、弓道の場合、進んでいるつもりでも急に奈落に落とされることがある。それは、誰のせいでもなく自分で落ちていくのである。そこからどうやって這い上がるのかが修行なのかもしれない。

ありがたいことに、道場へ行くと、若い人たちも一緒に考えてくれて、会に入った時に、少しずつ縮んでいるという事が分かった。納まったと思う瞬間から、離れに向かう時に、狙いに囚われて引くことをやめている。

このままで京都の審査へ行くことになる。くうぅ・・・