おそろし
2008-09-08 | 読書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/29/4051bd50a3667b4cd1a522944ceaa8b9.jpg)
宮部みゆきの「おそろし」を読んだ。
のめり込んでしまった。
百物語の序章にすぎないという作者の意気込み。
この後どうなるの・・という期待。
作者のコメントに「昔は霊の存在が身近なものであったと思う」
今以上に人との関わりが深い分、怨念や情念がある気がする。
我が家には、霊の存在より「妖怪」の存在が似合うと思う。
台所に出没した「やばい婆」である。
わたしが弁当の鮭の切り身を焼こうとグリルを開けたら、
前日の昼に焼いたのであろう、姑の茄子が取り残されていた。
それを出して鮭を焼いた。
朝のおかずと娘とわたしの弁当のつもりでいた。
昼姑が、茄子を忘れていたことを思い出して、グリルを開けたら
鮭に替わっていた。
わたしが、自分の弁当に入れ忘れたのだ。
他に入れるものがあったとはいえ、やばいのである。
しかし、これは明らかに妖怪のせいだと思う。
忙しく立ち働く主婦の隙をついて現れる「やばい婆」である。
姑は茄子が鮭に替わっていて驚き、次に笑いが訪れる。
茶の間にも現れる「うたた寝爺」
これは、少し始末が悪い。笑いではなく腹を立てるからだ。
事務多忙で会社一忙しいと自称するものに現れる。
TVを観ていると睡魔が訪れ、家族が注意すると「寝ていない」と、激怒する。
しまいには、みんなで「二階でゆっくり休めば・・」という労りの言葉を聞き違え、仲間はずれにされたと思い込み、すねてしまう。
これに取り憑かれると、風呂も入ろうとしなくなる。
この妖怪は、ソファから離れ洗面所で歯を磨くと退散する。
かくして、我が家の「おそろし」と、宮部みゆきの「おそろし」には、
大きな開きがあることがわかる。
霊と妖怪の違いばかりでなく、知能と次元の違いがある。
我が家ではこの現象を「おとろし」と言う。
のめり込んでしまった。
百物語の序章にすぎないという作者の意気込み。
この後どうなるの・・という期待。
作者のコメントに「昔は霊の存在が身近なものであったと思う」
今以上に人との関わりが深い分、怨念や情念がある気がする。
我が家には、霊の存在より「妖怪」の存在が似合うと思う。
台所に出没した「やばい婆」である。
わたしが弁当の鮭の切り身を焼こうとグリルを開けたら、
前日の昼に焼いたのであろう、姑の茄子が取り残されていた。
それを出して鮭を焼いた。
朝のおかずと娘とわたしの弁当のつもりでいた。
昼姑が、茄子を忘れていたことを思い出して、グリルを開けたら
鮭に替わっていた。
わたしが、自分の弁当に入れ忘れたのだ。
他に入れるものがあったとはいえ、やばいのである。
しかし、これは明らかに妖怪のせいだと思う。
忙しく立ち働く主婦の隙をついて現れる「やばい婆」である。
姑は茄子が鮭に替わっていて驚き、次に笑いが訪れる。
茶の間にも現れる「うたた寝爺」
これは、少し始末が悪い。笑いではなく腹を立てるからだ。
事務多忙で会社一忙しいと自称するものに現れる。
TVを観ていると睡魔が訪れ、家族が注意すると「寝ていない」と、激怒する。
しまいには、みんなで「二階でゆっくり休めば・・」という労りの言葉を聞き違え、仲間はずれにされたと思い込み、すねてしまう。
これに取り憑かれると、風呂も入ろうとしなくなる。
この妖怪は、ソファから離れ洗面所で歯を磨くと退散する。
かくして、我が家の「おそろし」と、宮部みゆきの「おそろし」には、
大きな開きがあることがわかる。
霊と妖怪の違いばかりでなく、知能と次元の違いがある。
我が家ではこの現象を「おとろし」と言う。
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