まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ランチ

2012-12-08 | 料理

会社へ入社以来の友達と4人でランチをした。彼女たちとは、8月に谷川岳へのバスツアー以来のお楽しみ。

谷川岳のロープーウェイで、頂上まであがり、みんなが絵馬を書いてくれた。「早く元気になって遊ぼう」というのが、嬉しかった。

本日は、具合もよいし、誕生日が12月7日ということで、8日土曜に「アルテアラルテ」での予約ランチ。

若い時からの友達は、いつまでたっても同じで、この年になっても誕生日おめでとうが嬉しいのだ。

気心が知れているということは、気持ちがゆったりと解放されて、ほんとうに何を食べてもおいしいのだが、出来れば、スープか野菜のサラダが欲しかった。予約のコースには入っていなかった。

前菜のキッシュに、パンとスペアリブ、次にスパゲティ、デザート。食後のコーヒーがエスプレッソだったので、少々残念だった。コーヒーは出来ればアメリカンがよい。

我儘な、おばさんたちである。追加で紅茶を頼んで、一人3000円超えてしまった。しかし、楽しく時間が過ぎて、トイレの前にある子かばを、小ばかにしながらも、撫でて盛り上がっていた。

かしましいという字は女をみっつ書くが、まさしく姦しいのだ。それが、4人となると、てんやわんやになるのだ。スパゲティに何が入っていたのか分からない。その辺から意識が話に夢中。爆笑に次ぐ爆笑。下手なお笑い番組よりおかしい。しかし、旦那たちが聞いたら、きっと聞き流すか、耳をふさぎたくなるかのどちらかだろう。

とにもかくにも、おばさんは元気である。わたしも、非常に元気だ。こわい。


尊厳死法案をめぐって

2012-12-07 | 暮らし

先日、平穏死の本について書いた時を同じくして、中日新聞に「尊厳死法案をめぐって」ー(終末期を考える)という、記事が載っていた。

難病の患者たちが、「24時間の介護サービスが保障されていないため、家族の介護負担を考え、今でも7割の人が人工呼吸器をつけたいと言えず、亡くなっている。法制化によって、患者は「生きたい」とさらに言えなくなる。」

実際、医師から「意識が戻ることはまずない」と、告げられた家族に呼吸器をつけるかどうか聞いたところ、家族は常々本人の意思を知りつつも呼吸器の装着を頼み、意識を取戻し、現在は車いすを使い、障害者の相談などの仕事をこなしているとのこと。

老衰や認知症など、がんでない終末期の判断は難しい。また、一刻を争う救急現場で、終末期かどうかを判断するのは困難などの意見がある。

愛する人の週末を、密着して看護したいと望む人もいれば、老いた親の看護を別の所帯を持った子供が常に介護するという状況は難しいだろうと思う。

病院に入ると、一挙に患者となり、家へ帰ると元気になるということは、自分で身を以て分かるのだが、だから在宅看取りが本人にとって良いことも分かる。しかし、ひとりで出来ることなら率先してやろうという気持ちがわくが、結局は支えてもらう人の手がいるのだ。

やはり、前回同様、「問題は残る」と、話をくくることになる。


平穏死 10の条件

2012-12-07 | 読書

図書館で借りた「平穏死 10の条件」。

「人は必ず死と向き合わなければなりません。けれど、なかなかきっかけがなければ、そのことについて考えようとはしません。」

長尾和宏著 グルメ情報や金融情報には目の色を変えて探すのに、自分自身の命の終わり方となると「よろしくお願いします」と、いとも簡単に医者に任せる人が実に多い。

終末期医療について、考えるきっかけとなるかと思う。そして、在宅療養の重要性と、最後を自宅で迎えることの大切さを語っている。まず、自分がどこでどのように死にたいか。なかなか思うようにはいかないかもしれない。しかし、家族で一度話し合うべきではある。とはいえ、自分の思い通りに命が終わるのなら幸せである。最近のいろいろな事件や、トンネルの事故、あるいは交通事故など、思いがけない不幸もある。とりあえず、長生きして、最後を迎える時にどうしたいか。その時に、意識がしっかりしていればよいが、そうではない時、今のうちに家族に伝えておきたい自身の希望を明確にする。

また、親が延命治療に入るときに、医者に「どうしますか?」と、人工呼吸器や胃ろうの延命措置について聞かれた場合「先生にお任せします。」と、医者任せにせず、はっきりと答えることができるかどうか。

高齢の両親がオールキャストで健在である今、覚悟をはしなくてはならない。そして、在宅医療の希望があれば叶えてあげたいが、しかし、どうだろう。往診に来てくれる医者はいるのだろうか。

一通り、知識として読んだけれど、もちろん問題は多い。

 


びわ茶

2012-12-06 | 暮らし

あれがよい。これが良い。と言われると、とにかくネットで調べてやってみる。癌に効くお茶といわれる「びわ茶」である。

実家の父親が、大きくなりすぎたびわの木を切ろうとしていた。危ないところである。11月、12月の晴れた日にとった大きなびわの葉がよいのだそうだと母に電話した。晴れた日にとりにおいでというので出向いたら、すでに、細く切って陽にあててびわ茶が完成していた。

親ならこそである。そして、びわの葉は、風呂に入れると気のせいか身体がほかほかする。冬はゆず風呂、みかん風呂、びわの葉風呂、日本人の知恵は素晴らしい。しかし、どれがどのように効くかは疑問である。信じる者は救われる?


あずきパン

2012-12-05 | 料理

先日、無料でもらえるパン粉が届いた。面倒な手続きを経たが、努力のかいがあった。

あずきを甘く煮てグルメなパンにしたが、あずきが乾燥して少し硬くなったが、ほんのり甘い。焼きたてのパンは毒である。どれだけでも食べてしまうからだ。

切ってはいけない、少しずつ食べてしまう。コーヒーなど入れてはいけない。おやつにしてしまうからだ。

次回は、予約で焼かなくては。と、言いつつ3時のおやつに予約しそうだ。


でんちゅう(殿中)でござる

2012-12-04 | 暮らし

「冬の晴れた日は、我が家の二階から見る白山は格別だ。」と、言いたいところだが、カメラに収めると残念な結果となる。師走になると、忠臣蔵を思い出すが、まさしく「電柱でござる」という感じ。

この電線は何とかならないだろうか。わたしが、屋根の上に上がれば良いのだ。しかし、屋根にあがって万が一のことがあったら、父の二の舞になるので、笑われるだけだ。

しかし、視覚というのは不思議なものだと思う。二階から目で見ているときは、電線を見ていないのだ。なんときれいな白山だろう。と、カメラを覗くと、電線が急に目に入ってくる。

聴覚もそうらしい。雑踏の中でも、相手の声を聞き分けるのは、ちゃんと頭の中でノイズを消している。しかし、静かな家の中で話しているのに、だんなはわたしの話を半分も聞いていない。「わたしの話の半分も聞いていない・・・」と、怒ると、「半分聞いていれば、大した者だろう。全部聞き流したいくらいだ」と、言う。どうも、わたしの話そのものがノイズなのかもしれない。実際、話さなくてはならない大切な話など殆どない。それでは、わたしの話は電柱でござるということになる。


師走

2012-12-04 | 暮らし

いつもの年なら、忙しい師走に入るのだが、今年はぼんやりな毎日だ。天気が良いときは、太陽に当たるべきだと外へ出ると、縄張りをチェックしている愛猫チョムがいる。

猫というのは、なかなかじっとしていない。愛くるしいポーズだと思ってカメラを向けたとたん、違うポーズになっている。

彼は何を考えているのだろう。きっと、人間が何かを考えていることを、無駄なことを考えているなあと思っていたりして。そういえば、「人間は考えても無駄である」と、某哲学者は言っていた。


報恩講にクリスマス飾り?

2012-12-03 | 暮らし

12月の中旬に、報恩講がある。寺の住職が檀家の家々をまわるのだ。

それに向けて、玄関にクリスマスの飾りを出すタイミングの悪さ。孫たちは、玄関を飾ると喜ぶのだが、住職は喜ばないだろう。宗教は大切なことだと思いつつも、世の中の雰囲気に流されて、ちゃらちゃらとクリスマスの飾りを飾ってしまう。こっちのほうが、楽しい気持ちになる。玄関に「南無阿弥陀仏」という訳にもいかない。

おまけに、閑なので雑貨屋で見た新聞紙で作ったツリーを真似した。松ぼっくりのツリーは以前作ったものだ。

新聞紙のツリーは、店には英字新聞で作ってあったが、我が家にあるはずもなく、仕方ないので、裏に一番影響がない株式の情報のところを使った。

しばらくほったらかしにしていた株の価格をついでに見たが、見ないほうが良かった。相変わらずである。配当金がちょろっと入るのをそっとしておくしかない。

クリスマス気分でもないが、ほっこりと紅茶を飲むために、毛糸で作ったウォーマー。誰か遊びに来てくれないかなあ。