気ままな趣味の散歩道

趣味にまつわる話題を、デジカメ画像などを活用し郷土の写真、菜園と園芸、郵趣、版画と年賀状などを紹介してまいります。

直虎ちゃん、家康くんとツーショット。

2017-08-18 17:39:21 | 「おんな城主 直虎」
 大河ドラマの放送にちなんで、浜松市では、遠鉄電車の高架下で、徳川家康や井伊直虎の出世をPRした「浜松出世の館」を開設しています。

 場所は浜松をよくご存知の方は、遠鉄浜松駅近くのラーメン横丁があった場所言えばお分かりでしょうか。
 
 この館内では、大河ドラマの案内や、家康、直虎に関する特設コーナーと、観光案内、お土産販売などが行われていますが、詳しくは改めて。

 今日は、今の浜松の二大マスコットキャラクター《ゆるきゃら》の「 直虎ちゃん」と「家康くん」のツーショットに遭遇したのでこの話題です。

              
              最初に現れた直虎ちゃん。            遅れてい急ぎ足の家康くん。

 家康くんはゆるきゃら全国コンクールで1位になったことはご存知ですね。そして今話題の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送でうなぎ上り(ウナギの杖を持っていますね)の直虎ちゃんがツーショットで登場しましたので迫力画像でご紹介します。
             
                    愛嬌豊かな「直虎ちゃん」。

       

       
                   上2画像がツーショット風景です。

 来場者にサービスで家族写真に納まっていました。

       

       
       来場者は順番に並び、自分のカメラにスタッフがシャッターを押してくれました。


 来場者が途切れると、出世の館の前に立ち、通行の人々と写真を撮ったり愛嬌を振りまいていました。

       

 二人のキャラクターに同時に会えることは少ないので、会えた皆さんは大喜びをしていました。



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家康公と浜松 《三方ヶ原古戦場》

2017-08-14 09:48:49 | 「おんな城主 直虎」
 元亀3年(1572)12月、現・浜松市北区の三方原(根洗地区)で、武田信玄(軍勢2万5千)と徳川家康(軍勢1万8千=援軍含む)との「三方ヶ原の戦い」が行われました。戦いは夕刻近い頃から始まりましたが、家康は惨敗。総崩れとなって浜松城に逃げ帰りました。

 その古戦場跡を記す碑が三方原町の国道257号線沿いの三方原墓園の一角に建てられています。(上の小画像)

 そこには、大きな石に「場戦古原方三」と逆文字(右から左へ)で刻まれた碑が立ち、古戦場跡である説明文の立札が立っています。

   
       (碑の前に立つ説明文の立札。その左奥に碑があります。)


     (逆文字で書かれた古戦場の碑と、三方ヶ原の戦いが行われた場所の説明絵図(地図))


※ 三方ヶ原の戦いの時点では、徳川四天王の一人となった「おんな城主 直虎」が後見をした直親の子「虎松」(後の直政)は、家康には出会っていないため、その活躍はありません。


  
 この地は土地が赤土で農耕に適さなかったことから、開発が遅れたようでしたが、明治初年に、三方原開拓の恩人と言われる 間宮鉄次郎氏が士族800人の代表として入植し、この地で茶園開拓を成功させたとあります。
 近くに間宮氏の大きな石碑も建ち、祀られていました。

       
                 (間宮氏の碑と、活躍を記した立札)

 また、三方原古戦場の碑は、浜松市が造成した大規模な「三方原墓園」の北東の一角にあり、この大規模墓園が目に付きますので、その一部も併せてご紹介します。(駐車場260台分整備)


                  (墓園の銘板とみその橋風景)

                   (納骨堂と、墓苑の一部)
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大河ドラマ・放送後の紹介地 (8/6放送)

2017-08-07 16:16:58 | 「おんな城主 直虎」
 NHK大河ドラマ・8/6放送の第31話、「虎松の首」をご覧になりましたか。
 31話では、今川義元の徳政令を 直虎が受け入れたり、虎松の首を差し出すなり、井伊家にとっては屈辱の放送でしたね。

 しかし今日は、その本題ではなく、放送終了後に毎回紹介放送されるドラマの関係地の話題です。
今回放送では浜松市北区の>①井伊谷城跡、②渭伊(いい)神社と天白磐座遺跡、③久留米木の棚田が紹介されました。ここを静止画像で訪ねてみたいと思います。

 ① 井伊谷城跡は、井伊谷の街の北部あたりに位置し、小高い丘の上にあります。ふもとからは、登山道(歩道)が舗装や石段で整備され、15分ほどで山頂公園(城跡)につくことができます。健康のため毎日登っているという人にも会うことができました。

   
             (舗装された登山(遊歩)道)


    
                    (山頂広場)

    
          (御殿の丸が置かれた跡。現在建物はありません。)

 次画像は山頂からの眺望です。

    
          (すぐ下は井伊谷の街です。西方には浜名湖〈引佐細江〉も眺められます。)

     
          (遠く南方面は浜松市街です。アクトタワーも見られます。)


 続いて ②渭伊神社と天白磐座遺跡です。
 渭伊神社は、龍潭寺境内から現在地へ移ったといわれ、井戸や井水を祭った神社で、井伊氏の発祥とともに氏神になったといわれています。

    
               (渭伊神社本殿)


             (渭伊神社奥方の神殿と見事な造営。)

神社の西方の裏方の山には、天白磐座遺跡があります。
 天白磐座遺跡は古墳時代~平安時代の巨岩祭祀の遺跡で、「水神」、「井の神」が祀られていたと伝えられる、パワースポットになっている場所です。
 巨岩が点在し、迫力と趣の深い場所です。ドラマでは、おとわなど3人の子供たちの遊び場として登場しています。

       
   
                     (天白磐座遺跡の巨岩群)

 三つ目は③久留米木(くるめき)の棚田です。

 残念ながらここの画像はありません。だいぶ前に訪れていますが、撮影していませんでした。
 この久留米木には近くに久留米木川の川合渕があり、ここでは川へ入ったりバーベキューを何度かしたことがあります。食事や休憩のできる「川の家」がありましたが、今もあるかどうか。
 又ここは初夏には自然のホタルが見られ、サワガニもたくさん採れるところです。業者が捕獲を依頼するほどでした。

 直虎の放送を楽しむとともに、この機会に関連地を訪れてみてはいかがでしょうか。
 

       
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大河ドラマの撮影地 「奥山半僧坊」 (その2)

2017-08-05 09:19:12 | 「おんな城主 直虎」
 奥山半僧坊〈方広寺〉では、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の撮影も行われていますが、ドラマの中の直政の母の出身地である奥山家ゆかりの寺。直虎の曽祖父直平や祖母の如意院などは方広寺の末寺で祀られている直虎ゆかりの寺でもあります。

 地元では奥山半僧坊で親しまれた観光の寺にもなっています。前回(7/31)は寺院の主要部、本堂や大権現などをご紹介しましたが、今回は境内の他の場所をご紹介します。

 最初は、境内のいたるところにみられる五百羅漢です。
 散策の小道を進むと両側にかなりの歴史を思わせる羅漢像が並んでいます。


 (散策の小道の入り口付近)

       
        (石段を利用した沢山の羅漢像)

  
 (本堂の前と、半僧杉を守る羅漢像)

     
     (表情豊かな羅漢像)


(石橋と羅漢像。三河の石匠親子二代にわたって作成されたという。) 


  (そのほかの五百羅漢像の一部)


 方広寺境内にはほかに、国の重文となっている、「七尊菩薩堂」や、朱塗りの三重塔などが設置されています。、


 (七つの菩薩が合祀されている七尊菩薩堂で、県内では最も古い建物と言われています。)

      
 境内の西方には、三重塔が建っています。

 上の小画像は散策道から見た本堂や鐘楼堂風景です。

 直虎ゆかりの地や大河ドラマ館の見学とともに、奥山半僧坊を訪れてみてはいかがでしょうか。
 奥山半僧坊の観光として次の見ごろは、秋の紅葉の頃もおすすめです。
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大河ドラマの撮影地 「奥山半僧坊」 (その1)

2017-07-31 10:26:11 | 「おんな城主 直虎」
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」関連の撮影が行われた直虎のゆかりの地・井伊谷のすぐ近くの浜松市北区引佐町奥山にある臨済宗方広寺派の大本山「奥山半僧坊」(方広寺)をご紹介します。
 まだドラマの放送が発表される以前に訪ねました。

    
 (総門と朱塗りの山門をくぐり本堂へ向かいます。)

   
 (ルートがいくつかあり、赤い橋(亀背橋)を渡ると本堂や庫裏に近づきます。) 

         
        (少し高い位置にありますが本堂に到着しました。)


 (広い本堂内部をご紹介します。)

  上の小画像が国の重文となっている本尊の釈迦三尊像です。(本日井のタイトルをクリックすると拡大します。)

 本堂の右手奥には奥山方広寺の鎮守の神様で災難除け、開運成就の「奥山半僧坊大権現」があります。 

        

 ここの正面入り口には工匠岩五郎作の彫刻上り龍、下り龍の一刀彫の彫刻が見られます。

    

 本堂内部にはたくさんの寺宝もありますが撮影できませんでした。寺の上の方から眺めると寺院の屋根が連なり大きなお寺であることをうかがうことが出来ます。 

    
            (本堂内にある達磨大師と連なる寺院の屋根風景)  


 本日のご紹介はここまでといたします。次回には有名となっています同寺院の五百羅漢や三重塔などをご紹介予定です。 



 
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家康公と浜松 《浜松秋葉神社》

2017-07-25 09:39:28 | 「おんな城主 直虎」
 浜松秋葉神社は1570(永禄13)年、徳川家康が浜松城入城の際、浜松市春野にある秋葉神社から勧請を受け浜松城近くの丘陵地(家臣奥平信昌屋敷内)に建立したのが始まり。後にご朱印を付され、現在の静岡県西部七郷の壇下場として認められ1867(慶応3)年、正一位の神階(神社の階級の最高位)を得る。

       

 神社正面には赤鳥居が建ち正面には朱塗りの社殿が建つ。直虎に由来する井伊の赤備え(直虎が後見した井伊直政の活躍による)が関係しているものと思われます。

    
        (神殿と内部。神社普請も比較的新しいが、こちらも朱色が使われています。) 

           
                     (浜松秋葉神社の狛犬一対) 

 境内はそれほど広くはありませんがきれいに整備されています。
     
          (左:神殿から入口方面を眺める。右:神殿へ通じる外廊下からの境内風景)

 下画像は、神社に掲示された資料で、直虎の育てた直政の活躍で徳川家康があり、この秋葉神社もあることのたたえ文です。



 浜松秋葉神社では毎年正月の末ごろ、その年のしめ飾り等を奉納するどんど焼きの祭典もあり市民が集うところです。
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直虎と直政と家康 《引馬城》

2017-07-22 14:54:19 | 「おんな城主 直虎」
 NHKの大河ドラマ「「おんな城主 直虎」では、井伊家の存続に力を注いだ直虎が主人公のドラマですが、ドラマのこれから先、筋書きは見えませんが、直虎と南渓和尚が直親の子「虎松」を家康に引き合わせ、虎松(後の直政)が数々の武功を上げ出世していくことから、家康とともに浜松城が出世の城となり、浜松市では、直虎と家康を結びつける「浜松」を観光的にもアピールするパンフレットなどを数多く発行しています。

 直虎の後見後の直政と関連がある多くの施設が浜松にはあります。当ブログでは大きな意味で直虎と直政、さらに家康と関連施設のいくつかを。《家康公と浜松》と題して追いかけることにしました。
 今川から武田、織田と家康など戦国の世に関連する地が浜松にはたくさんあるようです。


 今回は、家康公が岡崎城から浜松へ移る際にこれまであった引馬城を拡大して浜松城としましたが、その元となった引馬城(跡)を訪ねました。
 引馬城は現在、明治時代に建てられた社殿で東照宮(浜松市元城町)が建っています。


    (入り口の鳥居にも「東照宮」の銘板がつけられています石段を上がり本殿へ。)

       
          (東照宮正面。多くの参拝者が訪れているようです)


       
 (南西側から見た風景。手前の灯籠には「ハート」の刻印があり、パワースポットのようです。探してみてください。)


 ここは家康公と秀吉公の出世の場所。二人の等身大の像が出世石に乗って立っています。記念撮影できます。




            (二人の間の石に乗って記念撮影ができます。出世しますよ!)

 東照宮の入り口南には浜松市の街並みが続いています。ここには駐車場がありませんので、歩いて向かいましょう。

       

※ 上の小画像は東照宮の狛犬と龍の彫刻です。
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直虎ゆかりの地を巡る 《龍潭寺》

2017-07-09 09:24:25 | 「おんな城主 直虎」
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」のゆかりの地を訪ねたご報告(その6)です。

 3月1日付の当ブログで浜松市が紹介している1時間で回るコースのご案内をしましたが、その9か所のうちの最後にあたる9ヶ所目の「①龍潭寺」を訪ねてきました。(上の小画像が龍潭寺本堂です=本日のタイトルをクリックすると拡大します)

 龍潭寺は井伊家の菩提寺であり、現在放送中の大河ドラマの中でも南渓和尚とともにたびたび登場する寺院です。

   
              (最初にくぐる山門〈左〉と、仁王門。)

 庭園内を散策すると東門と鐘楼堂があります。

   
 (東門はかつては鐘楼堂として使われていました。同寺で一番古い建物です。右は現在の鐘楼堂。)

 本堂に入ってみます。

 (広い本堂で住職が直虎との関係などを話してくれました。右はご本尊の釈迦三尊像。)


 (本堂内にある遠州最大の大仏と、ウグイス張りの廊下。参拝客の少ないときに廊下の上で体を動かすと廊下が「キュッ、キュッ」と鳴きます。)


              (大河ドラマに因み直虎の文字と直虎の座像)

 龍潭寺最大の売りは、北側山手にある小堀遠州作の池泉観賞式庭園。中央に守護石、左右に仁王石など寺院庭園として代表的な庭園となっており、この庭園を目指して来訪する者も多いという。


              (本堂裏手の西側からと東側から眺めた同庭園。)

 再び屋外へ。

(左、銀閣寺のような朱塗りの楼閣《開山堂》と、西側斜めから見た龍潭寺本堂。)

 最後のご紹介は井伊家の墓所。

 (左:正面右が井伊家初代共保公、左が直盛公の墓。右は、奥から直盛の妻、二つ目が直虎の墓。三つめが直親の墓となっています。)


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直虎ゆかりの地 《蜂前神社》

2017-06-29 16:11:39 | 「おんな城主 直虎」
 蜂前神社(はちさきじんじゃ)は、浜松市北区細江町中川地区にあります。
 この神社には、直虎の花押(すなわちサイン)が記された唯一の古文書「井伊直虎関口氏連署状」を所蔵する神社として有名。しかし現在はその花押の古文書実物は浜松市博物館に保存という(同神社にはコピーがあります)。

     
   
           (道路側から見た風景と直虎との云われが書かれた看板)

    
            (正面の石段下から眺める鉢前神社全景と神殿内部の様子)

       
        (神殿入口に掲示されている直虎の花押が書かれた唯一の古文書のコピー)

 また、蜂前神社は、大河ドラ「おんな城主 直虎」の中で、地域の住民要望の徳政令(年貢の付を免除する令)を出すことを同神社の禰宜が率先したこともありましたね。(うろ覚えですが)
 目立たない場所にありましたが、ここも大河ドラマの関係で人々が立ち寄るようです。
 
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直虎ゆかりの地を訪ねて 《井伊谷宮》

2017-06-18 14:19:48 | 「おんな城主 直虎」
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」のゆかりの地を訪ねたご報告(その5)です。

 3月1日付の当ブログで浜松市が紹介している1時間で回るコースのご案内をしましたが、その9か所のうちの「③井伊谷宮」を訪ねてきました。

 井伊谷宮は、龍潭寺の北隣にあり、龍潭寺の裏道とつながっています。創立は明治5年。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王を御祭神として祀る。

 上の小画像が、道路からのぞいた井伊谷宮の正面。そこから境内・神殿方面に向かいます。

   
 真直ぐ進み門をくぐると本殿前に来ます。

   
 本殿を左斜めから覗きました。その左手には、慈母観音石が建立。

   
 参拝の後、本殿を近くから覗き、左に回り奥方の神殿を眺めました。

 また資料館もあり、沿革や絵馬、宗良親王関係の資料説明が展示されていました。

   
 資料館展示風景の一部。

 この後、裏道から続く南隣にある龍潭寺(1時間で回るコースの①の最後の地)を訪ねました。(次回にご報告いたします)
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