NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送終了時に関連の地が2~3分の短編で案内されていますが、3/26(第12回)放送後には、掛川市や掛川城、直親の墓などが紹介されました。
その中で掛川関連の地で、これまでに訪れたことのあるの画像がありましたので放送で紹介された地をご紹介します。
最初は、掛川市の風景です。掛川市は人口12万人。一番の産業は”お茶”。掛川の深蒸し茶は全国に知られ、全国茶品評会で全国最多の19回の産地賞を受賞するほどです。
掛川城天守から見た市街地と、同夜景。
新幹線掛川駅と世界農業遺産に指定されている茶草場農法の茶園と茶文字。
次に掛川城が紹介されました。現在の位置にある掛川城は、豊臣秀吉が全国平定をしたころ、山内一豊が入り、天守閣を作ったといわれております。その天守閣も安政の東海大地震にて損壊し、現在の天守は平成6年に140年ぶりに、日本初の本格木造天守閣として復元されています。
本格木造で復元された掛川城天守閣。
掛川城内部は青森ヒバを材料として木造で再建されました。
テレビでは、今川氏時代にあった掛川古城(現天守閣よりも東へ約500mの地)跡も紹介されていました。
この地は今は子角山(ねずみやま)公園として、市民に開放されています。
掛川古城跡は子角山公園として市民に開放、保存されています。
なお、放送の中で「十九首」(じゅうくしょ)という地名が直親らが殺害された場所として紹介されていましたが、地元の資料によりますと、これは、今から千余年の昔、平将門の乱で、将門をはじめ、家臣18人の首級をもって掛川に到来した時の首塚と言われています。直親らは殺害されたものの首級には至っておりませんので、今回の「おんな城主 直虎」関連と十九首とは少し違うのではないか(?)とも取れます。(歴史家ではありませんので定かではありませんが)
十九首の首塚と平将門と以下18人の墓標。
※ 十九首の首塚については、別途ご紹介したいと思っています。
また、同時放送された浜松市北区の直親の墓に関する画像は持っておりませんのであしからず。
その中で掛川関連の地で、これまでに訪れたことのあるの画像がありましたので放送で紹介された地をご紹介します。
最初は、掛川市の風景です。掛川市は人口12万人。一番の産業は”お茶”。掛川の深蒸し茶は全国に知られ、全国茶品評会で全国最多の19回の産地賞を受賞するほどです。
掛川城天守から見た市街地と、同夜景。
新幹線掛川駅と世界農業遺産に指定されている茶草場農法の茶園と茶文字。
次に掛川城が紹介されました。現在の位置にある掛川城は、豊臣秀吉が全国平定をしたころ、山内一豊が入り、天守閣を作ったといわれております。その天守閣も安政の東海大地震にて損壊し、現在の天守は平成6年に140年ぶりに、日本初の本格木造天守閣として復元されています。
本格木造で復元された掛川城天守閣。
掛川城内部は青森ヒバを材料として木造で再建されました。
テレビでは、今川氏時代にあった掛川古城(現天守閣よりも東へ約500mの地)跡も紹介されていました。
この地は今は子角山(ねずみやま)公園として、市民に開放されています。
掛川古城跡は子角山公園として市民に開放、保存されています。
なお、放送の中で「十九首」(じゅうくしょ)という地名が直親らが殺害された場所として紹介されていましたが、地元の資料によりますと、これは、今から千余年の昔、平将門の乱で、将門をはじめ、家臣18人の首級をもって掛川に到来した時の首塚と言われています。直親らは殺害されたものの首級には至っておりませんので、今回の「おんな城主 直虎」関連と十九首とは少し違うのではないか(?)とも取れます。(歴史家ではありませんので定かではありませんが)
十九首の首塚と平将門と以下18人の墓標。
※ 十九首の首塚については、別途ご紹介したいと思っています。
また、同時放送された浜松市北区の直親の墓に関する画像は持っておりませんのであしからず。