気ままな趣味の散歩道

趣味にまつわる話題を、デジカメ画像などを活用し郷土の写真、菜園と園芸、郵趣、版画と年賀状などを紹介してまいります。

サクラはまだかな~!

2021-01-31 09:42:10 | ふるさと紹介

 立春まではもう少し。

 そのあとは早咲きのサクラ情報も入ってくるのではないでしょうか。

 当地区の秋にはコスモス街道でにぎわう家代川河畔の河津桜ですが、狂い咲きと言ってよいのか、数本のサクラには花が見られます。

 日の光に向かって咲いていました。

 全体的にはつぼみは固いのですが、一部には花が見られるようになりました。

 木全体ではなく、枝の一部分のみに花が付いていました。

 撮影したのは昨日(1/30)でしたが、北風が強く吹く中においても春は遠くないなと感じた1日でした。

 

 

 

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寒さの中での育苗

2021-01-30 14:43:39 | 家庭菜園と園芸

 まだ立春の前。寒さが続いており、冬の間は草花はじっとして、花の様子はあまり目立ちません。

 その中でまだ先の春に向けて草花の育苗を少しづつ始めました。

 ピンクの小さな花をいっぱいに咲かせるツルコザラ。

 昨年のこぼれ種〔実生)で、沢山の芽が出ましたのでビニールポットへ小分け。

  早めにプランターに植え付けたものは、広がってきました。

  ペチュニアも実生苗をと思いましたが、寒さに弱いようです。

   その中でも元気の良いものを選んでプランターへ。

   こちらは何とか成長が始まっています。

 ホームセンターで仕入れた、パンジー。

 春から初夏にかけ、蝶のツマグラヒョウモンの育成に協力用です。

  矢車草も実生苗をポットに移し替えました。

  春への準備が少しづつ始まりました。

 

※ 上の見出し画像は 一番初めにご紹介したツルコザクラの花が付き始めた状態です。

 

 

 

 

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逆川に架かる橋の親柱〔Ⅱ〕

2021-01-29 08:25:18 | ふるさと紹介

 掛川市内の中央部を流れる逆川。 昭和57年の台風による水害復旧後、付近の橋には特徴のある親柱が設けられています。(詳細は前回1/23付をご覧ください)

 その親柱の後半として、前回ご紹介の川上側の5橋の親柱をご紹介します。

その1。 大手橋の親柱

 掛川城のすぐ下に架かる橋は緑橋ですが、その川上側100m程の位置には大手橋があります。

 大手橋の両側には、大きな屋根のようなものがかぶさった支柱があります。これが親柱です。この近くには掛川城の大手門があり、それをイメージしたものとなっています。

 大手橋の親柱の拡大画像。

 その親柱と共に見えるのが掛川城の大手門です。

 

その2.奥姫橋の親柱です。

 大手橋から約100mほど川上にある奥姫橋の親柱です。

  奥姫橋と川下側の親柱。

 奥姫橋の親柱。”姫”という文字が付くことから、お姫様のような気品が見られます。

 そして、このたもとには、掛川三大祭に登場する大獅子の屋台小屋と説明板が設けられています。

 

その3.笠屋橋の親柱

 奥姫橋の川上側数十mの位置に笠屋橋があります。

 笠屋橋は前記二橋に比べると交通量は少ない橋ですが丸い形の親柱がみられます。

    笠屋橋と親柱。

 スゲ傘のような形が上部に見られます。

 

その4.道神橋の親柱

 市内葛川にある道神橋の親柱。何をイメージしたのはは不明です。

 かなりがっしりとした形の親柱です。

 

その5.馬喰橋の親柱

 交通量も多い、大きな橋の馬喰(ばくろう)橋。

 かつてこの付近には馬に関する職業を持つ人が多かったことを思わせる名前がついています。

 馬の顔の形をした馬喰橋の親柱。

 

 馬喰橋のたもとには、秋葉山常夜灯があります。 

 

 以上2回にわたって逆川の親柱ご紹介しました。災害復旧後に整備された逆川の橋の親柱のご紹介を終わります。

 ※ 上の見出し画像は、大手橋の中央から眺める掛川城周辺の風景です。ご紹介の親柱は掛川城が眺められる一帯にありますので、市中へお出向きの際は各橋の親柱もぜひご覧ください。

 

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切手で20世紀を振り返る〔Ⅱ〕

2021-01-28 08:05:42 | 郵趣と切手

   冬になってしばらく雨模様がなかったのですが、ここ数日はその雨もしばしば。

  外気温も低く、外出するのもためらいがちな日ですが、そのような折、ちょっとコレクションの切手図柄から昔〔20世紀)を紐解いてみました。

 日本郵便(当時は郵政省)では、20世紀の100年間を振り返って主な出来事やその当時に社会情勢などを、切手図案に取り込み、170種の切手で振り返っています。その様子を3回にかけてご紹介していますので、お時間がありましたら、”あの当時、こんあことが,あんなことがあったな~”と振り返ってみていただければ幸いです。

全17集のうちの第7集の記念切手シートです。(初日押印済み)

 前回(12/22)は、切手で1~6集までの20世紀の前半(1932年まで)を振り返ってみましたが、今回は、切手で7~12集までの1932~1964年までを見てみます。 

 左半分が第7集で、右半分が第8集で発行された各10種の記念切手です。(いずれも使用済み切手です)

 第7集には題材として、プロ野球結成、忠犬ハチ公、宮本武蔵やD51が、第8集にはヘランケラー来日、神風号、路傍の石、沢村英二投手の活躍などが描かれています。

 左半分が第9集で、右半分が第10集で発行された各10種の記念切手です。(いずれも入手がちょっと難しい使用済み切手です)

 第9集には題材として国民学校、真珠湾攻撃、原爆被爆や黄金バッドなどが、第10集には、サザエさん、日本国憲法施行、紅白歌合戦や鉄腕アトムなどが描かれています。

 左半分が第11集、右半分が第12集で発行された各10種の記念切手です。 

 第11集には、テレビ放送開始、力道山の活躍、ゴジラや東京タワーが描かれています。 

 第12集には、伊勢湾台風、皇太子殿下御成婚、東海道新幹線開通、東京五輪などが描かれています。

 

 ちなみに郵政省では販売促進と周知を兼ね上画像のような解説書も配っていました。(上の見出し画像がその表面で下画像がその裏面です=図柄の解説がしてあります)

※ 切手はすべて使用済みです。

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『御城印』の本

2021-01-27 08:12:16 | ふるさと紹介

  御城印、そのルーツは。

  お遍路さんが、四国八十八か所をめぐる記念にその記念に受けたのが御朱印。それが趣味の仲間にも広がって、御朱印の収集が始まったとか。

 それにあやかって出されたのがお城をめぐる御城印ではないでしょうか。この御城印も全国に有名となった掛川城にも登場しています。

 その御城印の本が出版されたと中日新聞の代理店から案内があったので、興味を引き取り寄せてもらいました。

 この本は、「東海から行く御城印巡り」ということで東海、近畿地区のお城が主に紹介されています。

 国宝である松本城や掛川城もそれぞれ2頁にわたって紹介されています。

 掛川城のページには、お城のほか、御殿や太鼓櫓、城下散歩で、すいのややこだわりっぱなどのご紹介と地図があります。もちろん掛川城の御城印も。 〔詳しくは本を購入してご覧ください〕

  岐阜城や一乗谷城も各1ページでお城と御城印が紹介されています。

 この他静岡県内では、浜松城が1頁で、高天神城他4城が各二分の一頁で、久野城と勝間田城が各四分の一のスペースで、お城と御城印が紹介されていますから、購入・一読の価値があると思います。

 

 ◆ その中で一つ気が付いたことがあります。

 各地の御城印中で、トップのタイトルに「登城記念」と表記されたものがたくさんありました。

 辞書を調べると、「登城とは・・・」の見出しで、「武士が勤めのため、主君のいる城に参上すること。」とあります。

 記念に御朱印をいただくには、他の由緒あるお城で表記しているように、「来城記念」とか「登閣記念」、などとの表記の方がいいのではないだろうかと。

  名古屋城と岡崎城はご覧のような表記でした。

 

 ちなみに、松本城は「天守登閣記念」、犬山城は「国宝」とだけ、彦根城は、「月明 彦根の古城」などとなっています。

 さて掛川城は?。というとやはり「登城記念」でした。

 ※上の見出し画像は、その本の表紙です。

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初場所を支えた力士たち

2021-01-25 08:52:47 | 日記

 今年の大相撲初場所は、新型コロナ対策の一環で、両国国技館で観衆を五千人に縮小して開催されました。

 優勝は前頭筆頭の大栄翔(追手風部屋)が活躍し、横綱不在の中で初優勝を遂げました。

 埼玉県出身の力士として初めて、追手風部屋からも初めての幕内最高優勝ということで、大栄翔の優勝を祝福いたします。

 さて、恒例により、小生の保存の星取表の中から、数十年前の初場所を支えた優勝力士をピックアップしてみたいと思います。(今回は10年前、20年前30年前及び40年前の四場所を対象としました)

 

①  10年前の初場所(平成23年・2011)の優勝は、横綱白鵬(14勝1敗)で18回目でした。

 この場所の横綱は、白鵬ただ一人でした。 

 平成23年初場所の星取表と喜びの横綱白鵬。

 

②  20年前の初場所(平成13年・2001)の優勝は、横綱貴乃花(14勝1敗)の21度目の優勝でした。

この場所の横綱は、曙、武蔵丸、貴乃花の三力士でした。

 平成13年初場所の星取表と喜びの横綱貴乃花。

 ちなみにこの場所の番付表がとってありましたのでご紹介します。

   平成十三年初場所番付表全図。

 とても細かいので上部をアップしてみました。しかしまだ読めない程の小さな文字です。貴乃花は右欄の右から二番目に名前があります。

 

③ 次に、30年前の初場所(平成3年・1991)の優勝は、大関霧島が14勝1敗で初優勝しています。

この場所の横綱は、千代の富士、旭富士、大乃国及び北勝海の四横綱の時代でした。

   平成3年初場所の星取表。

 

④ 40年前の初場所(昭和56年・1981)の優勝は、関脇千代の富士が14勝1敗で初優勝しています。

この場所の横綱は、輪島、若乃花、北の海の三横綱でした。

   昭和56年初場所の星取表と優勝を決めた千代の富士。

 

 令和三年の今場所では、コロナウイルスで多くの力士が休場したほか、横綱が1日も土俵に上がらず横綱の土俵入りが見られないなど寂しい場所となりました。

 次の春場所は活気のある場所にしてもらいたいとおもいます。

 

 

 

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丑年の年賀状(その3)

2021-01-24 08:43:25 | 版画と年賀状

 年が令和に改まった三年の年明けは、コロナ対策の中でちょっと沈みがちなニッポン。

 それでも未来に明るく…と全国の仲間から嬉しい年賀状をいただいています。

 その中で手作りと思われる(近年パソコンやプロの印刷技術などで区分がつかなくなりましたが)年賀状をご紹介しています。その3回目(最終回)です。

 

 今回は、パソコンを使って、周辺の風景や、旅行の記録、パソコン画などをご紹介してまいります。

 最初は地元の風景で掛川を紹介してくれた賀状です。

 春の掛川城公園(蓮池付近)と新茶収穫のころの茶園風景です。掛川市のT.M.さんから頂きました。

 

 転勤先(岐阜県)の思い出の地を集合写真で紹介してくれました。静岡市のS.H.さんよりいただきました。

 

 遠くマチュピチュを訪ねた時の思い出だそうです。素敵な旅行だったことと思います。東京都あきる野市のS.K.さんよりいただきました。

 

 毎年自身で描くパソコン画。親子の牛の表情がいいですね。掛川市のS.M.さんよりいただきました。

 

 パソコンを駆使して、ハートマークの数独。頭の体操になりますが、小生まだ解けていません。あなたなら…。春日井市のS.T.さんよりいただきました。

 

 次は今年の年賀状最後のご紹介になります。

 ガリ版(孔版画)ではプロの腕前。江戸時代の浮世絵を毎年鉄筆一本で複製してご挨拶いただいています。熊本県高森町のS.さんから頂きました。

 今年も多くの方からたくさんの年賀状をいただきました。感謝申し上げます。

 素敵な賀状が多かったのですが、その中から人物を除く手作りの賀状(作品)をご紹介させていただきました。

 まだ、”俺のも手作りだ”と言われる賀状があったかもしれませんが、あまりにも精巧で判断がつきかねるものもありましたのでご紹介できなかった方はご容赦ください。

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逆川に架かる橋の親柱〔Ⅰ〕

2021-01-23 11:57:40 | ふるさと紹介

 掛川市内の中心地を流れる川に、2級河川太田川の支流の「逆川」があります。

 逆川は、昭和57年の台風上陸により、洪水で甚大な被害を受けています。そして昭和61年までの短期間に河川大改修が行われました。

 その時に新しく設置された橋には特徴のある親柱が設けられており、その親柱を訪ねて見ました。

   ◆親柱とは、高欄・階段・垣根や橋の両端や曲がり角に立つ太い柱のこと。

 最初は、JR掛川駅から北へ真っすぐの掛川城の手前に架かる橋の「緑橋」です。

 掛川城を望む手前の大きな橋が緑橋。擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)が頭に乗った形で全国各地の橋にも多く見られる形です。

 緑橋の親柱です。

 ※上の小画像は、この橋をユリの花咲く堤防内側遊歩道から見た風景です。

 

 次に、100m程川下側に架かる松尾橋の親柱です。

 正面の建物は掛川西高校。その角に松尾橋がかかっています。

 ここから、親柱と共に掛川城天守閣も望めます。

 初夏にはこの橋の下は、ユリの花で染まります。

 その下流側には瓦橋が架かります。

 何やら怖そうなものが親柱の上にありますね。

 瓦橋の親柱の獅子頭です。

 その部分を別角度からアップしました。

 獅子舞に出てくる獅子頭にそっくりですね。

 

 今日は、逆川の中心市街地周辺の三橋の親柱をご紹介しました。

 次回には上流側の親柱をご紹介します。

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子供に人気、桜木駅

2021-01-22 08:05:19 | 鉄道風景

 第三セクターの天竜浜名湖鉄道は、前身の国鉄二俣線として昭和15年に全線が開通し、昭和62年に現在の天浜線となり、平成22年には、施設の多くが国の登録有形文化財に指定されています。

 桜木駅もその一つで、駅舎や上りのプラットホームが含まれています。

 今日のご紹介はその上りのプラットホームに設置されている子供に人気の遊具です。

     構内側から見た駅舎と登りプラットホーム。

 この上りホームに設置されたのは、子供たちが見たり中に入って乗車気分を味わえるミニ列車や機関車です。

 この駅舎守り愛する皆さんが設置されたものと思われます。

       天浜線の列車をイメージ。

       二俣線時代のSLをイメージ。

      こちらは機関車と客車。

      下りホームから見た上りホームと駅舎。

 天浜線の利用者も車社会には及ばず利用客も少なくなっているようですが、地元の皆さんによって愛され、子供たちも時折ここにきては楽しむことができるようです。

 また愛好会の皆さんは構内に花を植えるなど天浜線を愛しています。

 ※ 見出し画像は正月に撮影した天浜線の駅舎正面画像です。

 

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丑年の年賀状(その2)

2021-01-20 09:08:37 | 版画と年賀状

 令和三年の年明けは、コロナ対策の中でちょっと沈みがちなニッポン。

 それでも未来に明るく…と全国の仲間から嬉しい年賀状をいただいています。

 その中で手作りと思われる(近年パソコンやプロの印刷技術などで区分がつかなくなりましたが)年賀状をご紹介しています。その2回目です。

 今回は毛筆やペン画などをはじめ自己作品をご紹介します。

 最初は毛筆書きの賀状です。

 浜松市のS.M.さんからコロナの終息を願った自筆の年賀状をいただきました。

 

千葉県浦安市のH.N.さんからの賀状で、金色の筆書き牛が添えられています。

 この賀状は1本のペンを使って書かれたペン画の賀状です。毎年周辺風景を1本の筆に託し楽しみにしています。三島市のK.N.さんから頂きました。

 

 こちらは、文字を筆で描いた賀状です。「春」の甲骨文字ということで早く明るい社会に戻ってほしいですね。群馬県のK.M.さんから頂きました。

 

 木目込み人形では師範の腕前を持つ豊田市のM.K.さんからいただきました。

 右の”びからいしん”と”アマエビ”の木目込み2作品が紹介されています。

 

 永年木版画でごあいさつをいただいている、姫路市のY.T.さんからの賀状です。

 仲の良い寄り添う牛が印象的です。

 

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