気ままな趣味の散歩道

趣味にまつわる話題を、デジカメ画像などを活用し郷土の写真、菜園と園芸、郵趣、版画と年賀状などを紹介してまいります。

直虎ゆかりの地を訪ねて「直親の墓」

2017-06-13 21:36:13 | 「おんな城主 直虎」
 浜名湖の北東部、都田川の河畔に「井伊直親の墓」があります。

 1人だけが単独で祀られ、大通り沿いでもないため、ちょっと目立たないところです。

 永禄5年(1562)、井伊家家老の小野但馬の守が今川氏真にざん言をしたため、直政の父の直親(直虎のいいなずけ)は駿府へ弁明に向かう途中、掛川城主・朝比奈備中守に謀殺されました。

 都田川の河畔に葬られており、石碑の前の燈籠は、嘉永4年(1851)、井伊直弼により寄進されたといわれております。

       
   
   
        井伊直弼により寄進されたという灯籠が見られます。


   
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」にあやかって、直親の墓にも多くの人が訪れる様になったとのことでした。
     
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直虎ゆかりの地を巡る 《井殿の塚と井伊谷の街並み》

2017-05-30 20:46:06 | 「おんな城主 直虎」
大河ドラマ「おんな城主 直虎」のゆかりの地を訪ねたご報告です。

既報の通り、浜松市のPR誌「HAMA流(る)」で紹介された1時間で回るコース9ヶ所を順に訪ねています。(前回までに全9ヶ所のうち②、④~⑦はご紹介済みです。全コースのご案内は3/1の項をご参照ください)

 今回は同コースのうち⑧の「井殿の塚」と⑨の「銘菓めぐり(井伊の谷の街並み)」
を訪ねました。

最初は⑧の「井殿の塚」です。
 ここは大きな楠(と思う)の立つ下に、井伊家の家老小野道高のざん言により謀反の疑いを掛けられ、駿河で今川義元に殺された直満と弟の直義の墓がまつられています。(上の小画像も)

       
  (そこは大きなクスノキの根元にあり、由緒の立て看板がありました。)

   
 (入り口は鎖で閉ざされていますが右手奥に直満と直義の二人並んでの墓標が立っています。)

 ここも多くの人が直虎ゆかりの地ということで訪れていました。

 その足で⑨「銘菓めぐり(井伊の谷の街並み)」を回りました。

     
 井伊谷の街並みは静かなところで、その通りには3軒のみそまん販売店や、メインとなる井伊谷郵便局も設置されていました。

   
 ここへ行ったら名物のみそまんを購入し、郵便局も訪問、記念の風景印を押印してもらいました。
 

  




 
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直虎ゆかりの地を巡る 《渭伊神社と自耕庵》

2017-05-21 16:50:04 | 「おんな城主 直虎」
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」のゆかりの地を訪ねたご報告です。
 既報の通り、浜松市のPR誌「HAMA(る)」で紹介された1時間で回るコース9ヶ所を順に訪ねています。

 今日は⑤渭伊神社と④自耕庵(現・妙雲寺)の2ヶ所を巡ります。

 渭伊神社は龍潭寺から徒歩でも北へ15分程度で行くことができます。
パワースポットとしても知られる渭伊神社とその本殿背後の小高い丘の上にある巨石群(磐座=いわくら)が古墳時代の祭祀の遺跡として「天白磐座遺跡」があります。ここは、大河ドラマの初期のころ、子供(おとわ)らが、巨岩の周りで遊んだ場面でも出てきています。

   
 (木立の奥に建つ渭伊神社とその内部。上の小画像が渭伊神社正面風景。)

 神社奥の神殿造りは豪華で思わず近寄ってカメラに収めました。

   
             (渭伊神社の神殿部の豪華な造り)

 神社奥に小高い丘に天白磐座遺跡がありました。
 ここで子供らが遊んだ場面がドラマに登場しています。

   

        
          (大きな樹木が岩に食い込んでいます。)


 次にここから4~5分戻ったところにある④自耕庵 に向かいました。

 自耕庵は直虎の菩提寺です。直虎の死後、自耕庵へ葬られたと伝えられています。自耕庵は
直虎の院号をもってその後に妙雲寺(現行名)に改められています。
 地元の皆さんにより管理されているため、土日祝以外は建物内部の見学はできません。

   
      (妙雲寺(元・自耕庵)の入り口(山門)と奥の建物(本堂))
 

     
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直虎ゆかりの地を巡る 《引佐健康文化センター》

2017-05-12 17:55:26 | 「おんな城主 直虎」
「おんな城主 直虎」に関連の地を巡るコースが浜松市のPR誌でご紹介され、そのコースの中の⑥の『引佐健康文化センター』を訪ねた訪問記録です。

 引佐健康文化センター(上の小画像が、施設前景です)は、合併前の引佐町役場のなかに設置されその2Fに井伊家の歴史や、城、館などがパネル形式で詳しく説明されていました。

 しかし、その歴史等をパネルを見て読んで回るには時間もかかり容易ではありませんでした。
 これを解決する策として、2か所の映像説明がありこれを見ることにより、集約して井伊氏とのかかわりを学ぶことも出来ました。

 井伊氏の歴史等を学べるいい会場ですので是非このコースにもお立ち寄りをお勧めします。駐車場完備の入場無料の施設です。

      
          パネル等展示コーナー。


               大画面の映像設備。

   
   井伊谷紹介コーナーの入り口と、もう一つの映像で学べるコーナーです。

 亀之丞《井伊直親》が、信州から持ち帰ったといわれる「青葉の笛」の複製品が展示されていました。信州から帰還の折、旧引佐地区の寺野神社に寄贈されたと言われる笛です。

   
                     青葉の笛(複製品)





   
 

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大河ドラマ館見学

2017-05-09 17:39:18 | 「おんな城主 直虎」
 NHK大河ドラマの「おんな城主 直虎」に関する資料館の「大河ドラマ館」を見学してきました。
 訪問したのは4月下旬の平日で、連休中の報道の様子と比べると「大変すいていました」と言えるほど対照的で、ゆっくり見学できました。

   
            大河ドラマ館入口と同館全景。

 大河ドラマ館を見学するのは、掛川市が舞台の一つとなった、一豊の妻(題名は覚えていません)以来のことです。

 さてその大河ドラマ館は、天浜線の気賀駅から徒歩1分のところのにありますが、今回はマイカーで行きましたので専用駐車場からはかなりのところ(徒歩3~4分のところ)に駐車してから向かいました。

 館内には、直虎の歴史的パネルや、衣装展示、ロケ地の紹介など豊富でした。
 いつものことながら館内は撮影禁止でしたが、館内中央の大広間というか、四面が森林の中のように表現された広間は撮影OK。

 ここでは皆さんが、直虎の出家時風景との記念撮影や、いつもドラマに出て来る、井伊共保公出征の井戸が設置され、その傍らに井伊直虎の等身大(それ以上かも)のパネルが設置され、記念撮影に応じていました。

     
          (直虎と記念撮影する方やその奥に向かう皆さん)

 そこの井戸(実際は子役などの人物が映し出されるのですが)の一部は撮影禁止、OKの状態で撮影し、その井戸の横で、等身大の直虎像を撮影して来ました。(上の小画像を参照してください)

   
         (共保公出生の井戸と、おんな城主 直虎のパネル風景。)

 そのほかロビーも撮影許可で、下画像がそれです。
 こちらもドラマで田園風景がたびたび登場しました、これは、浜松市ではなく岩手県奥州市での撮影風景です。



 「おんな城主 直虎」の物語は、ますますおもしろくなり、見のがせません。
 皆さん一緒に大河ドラマ「おんな城主 直虎」を今年1年間楽しみましょう。
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直虎ゆかりの地を巡る 《井伊谷城跡》

2017-05-04 18:01:59 | 「おんな城主 直虎」
既報でご案内の「おんな城主 直虎」に関連の地を巡るコースが浜松市のPR誌でご紹介され、過日その地を訪ねた訪問記録です。
 本日は浜松市の案内コース⑦(4日前の関連記事最下段にコースの地図があります)にあります『井伊谷城跡』をご紹介します。

 井伊谷城跡は、標高115m丘陵地ににあり、井伊氏の本拠地はこの城跡と、山裾にあった居館および、三岳城の三ヶ所で構成されていたと言われています。
 ここは現在城山公園として整備され、城跡までは舗装道路と石段で整備され、麓から15分弱で登ることができました。途中には石垣も見られ頂上からは浜名湖や浜松市街地方面も眺めることができました。

  
 (登り口には杖も用意されており途中休憩場所もあります。)

   
   (途中、石積みがあり更に上へと進めます。)
   
 (一部は石段となっているところもあり、頂上へ着くとやれやれという感じです。)


 頂上(城跡)に着くと広場があり展望デッキも備わっていました。

   
 その反対の山側に御所の丸との表記がありました。ここに城館があったものと思われます。 

 上の小画像は、展望デッキから南方面を眺めた風景で、右奥に浜名湖(引佐細江湾)が、左遠方には浜松駅前のアクトタワーもかすかに望むことができました。すぐ手前は井伊家が治めた井伊谷の地です。


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直虎ゆかりの地を巡るコースの実地見聞

2017-04-30 12:46:55 | 「おんな城主 直虎」
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」も、主演の柴咲コウさん演じる 直虎衣装でますます関心が高まってきています。

 当ブログでは、浜松市が発行したパンフレットに紹介された、 直虎(井伊家)ゆかりの地を1時間で回るコース(地図でご案内)を3月1日の記事でご案内したところですが、気候も良くなりこの程、そのコースの実地見聞に行ってきました。

 龍潭寺や井伊谷城跡などパンフレットに紹介された9ヶ所のほか大河ドラマ館や蜂前神社なども併せ、1日かけて井伊の国周辺を回ってきましたので、数回に分けて見聞録としてご紹介したします。これから行かれる予定の方は是非参考としてください。

 初回の今日は、地図上②で紹介された、「共保公出生の井戸」です。(上の小画像参照)

   
 ここは、井伊家初代の共保公(ともやすこう)が出生した井戸という伝説のある井戸で、龍潭寺から徒歩2~3分の田園の中にぽつんと立っています。
 入り口には門構えがあり、自由に出入りできるようになっています。井戸には蓋がかぶせられていましたが、井戸の周辺を前後から撮影してきました。ドラマの中でもたびたびこの井戸が出てきますね。

 傍らには、「井伊氏備中守藤原共保出生之井」の碑も建っています。

       
             (奥の方から眺めた井戸風景と共保出生之井の碑) 

 ※なお、「直虎(井伊家)ゆかりの地を1時間で回るコース(地図でご案内)」については、当ブログの3月1日(左のカレンダーで3月1日をクリック)を呼び出していただくと詳しくご案内しております。その時の地図(ご案内時のものより小さめ)を下記に添付いたします。

                  
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天浜線の「おんな城主 直虎」号

2017-04-22 09:18:42 | 「おんな城主 直虎」
 NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送の舞台井伊谷方面を走る天竜浜名湖鉄道に2両目のフルラッピングカー「おんな城主 直虎」号が今年になってから走っています。(1両目は1/5付でご紹介済みです)

 昨年から走っているラッピングカーは戦国バサラ調のデザインでしたが、2両目は、まさに「おんな城主 直虎」が主体で描かれていますのでその車両を画像でご紹介します。

   
    (直虎号・左右非対称で、どちらから見ても右側に「 直虎」が大きく描かれています。)

   
        (ポスターにも使われた「直虎」の画像です。アップでご紹介します。)


            (桜の咲く中、天浜線細谷駅で直虎号を迎えました。)

   
  (下り列車が細谷駅を出発。右画像のボデーには、大河ドラマの放送時間まで入っています。)

   
 (「おんな城主 直虎」号の前面画像と、原谷川橋梁を渡り直虎の里・井伊谷方面に向かう下り列車。)


※ 直虎号の1両目の戦国バサラ調のフルラッピングカーも現在走行中です。当ブログでは本年1月5日付でご紹介していますので、ご覧いただく場合は、左欄にあるカレンダーの1月を選択頂きその中の5日の数字をクリックしていただくとご覧いただけます。
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大河ドラマ・放送後の紹介地(4/9放送)

2017-04-11 11:02:30 | 「おんな城主 直虎」
NHK大河ドラマは毎回放送終了後にその日の放送にゆかりの地を紹介しています。
 今は静岡県西部地方(浜松市等)が舞台となっていて、関連画像がありましたので、ドラマと自己撮影画像をマッチングしてみたいと思います。

 4/9放送後の紹介地画像は、まず浜松市として山の上からの(奥)浜名湖画像とそこを取り巻くように走る第三セクターの天竜浜名湖鉄道(天浜線)が映し出されました。

   
 浜名湖の北部で奥浜名湖(左画像の奥は東名高速道路浜名湖大橋)と呼ばれ冬にはたくさんの渡り鳥が飛来しています。(今日のタイトル文字をクリックして地図をご覧いただくと位置関係がわかります)

   
 JRの掛川駅と新所原駅間67.7kmをのどかに走る天竜浜名湖鉄道(天浜線)の車両。今は、直虎にちなんだフルラッピングされた2種類の車両が走っています。


 そして龍潭寺(りょうたんじ)。直虎が領地を寄進した寺と言われ、井伊家の菩提寺ともなっています。

    
 龍潭寺本堂と本堂から見た前庭(浜名湖をイメージした前庭といわれています)。 

   
 龍潭寺本堂の内部とツアーで住職から説明を聞く皆さん。右は放送にも一部出た銀閣寺のような朱塗りの楼閣(開山堂)。


 そして、当時幅を利かせていた禰宜のいた蜂前神社。ここには徳政令を出すとした、唯一直虎の花押が押された 直虎からの古文書が保管されているという。 残念ながらここに行ったことがありませんので、画像は浜松市のパンフレットからです。蜂前神社の位置は、龍潭寺から南へ3kmほどのところにあります。

   
           左蜂前神社、右は龍潭寺本堂内に見られる「おんな城主 直虎」の像。
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直虎と関係ないかも?「十九首」の地

2017-04-06 16:49:40 | 「おんな城主 直虎」
 大河ドラマ「おんな城主 直虎」は興味津々で見ています。ドラマとして面白く・・・。
 すると、ドラマ終了後に関係の地が紹介され、これまでに訪問した地やいわれの地が出てきますから興味津々で毎回そこまでよく見ています。

 さて、先日の当ブログでも、3/26日に放送され、紹介された掛川の市街、掛川城や、掛川古城などとともに、最後に掛川市の「十九首」(読み方:じゅうくしょ》の地名が、「直親らが殺害された地ではないかと言われている」と紹介されました。
 この地をこれまで教えられたことと違っていたので現地へ行ってきました。

 地元では・・・「十九首」は、今を遡る千年余の昔、相馬小太郎将門(平将門)と言う武将がおり、関東一円を制覇するなど力を付け(いきさつは省略)、当時の京都にあった朝廷が将門を脅威に思い、征討軍を派遣される身となり、その軍が到着の前に叔父の平貞盛と藤原秀郷に討伐(打ち首)され、検視のため、家臣18人の首級をもって掛川で朝廷の特使と会い、橋の欄干にかけて検視を受けた後、無残にも路端に捨てられようとしたので、秀郷が十九の首級を別々に埋葬したとあります。(経過は長いので省略していますので判りにくいかも=上の小画像に云われが書かれていますから拡大してみてください)


 平将門を中心に家臣十八人の墓碑が建ています。武将名も判明しており、各人の名前も標記されています。

 時は天慶三年八月十五日でした。当時は十九ヶ所の塚があったようで、十九所と言われ、のちに十九首となったようです。

      
             (中央の将門の墓(墓碑)と家臣の墓碑)

    
             (こちらも武将名が表示されていました。) 

   
                     
※ 歴史家ではありませんので確かなことは言えませんが、地元ではこのような平将門とその家臣の墓として祀られているのが十九首の云われのようでした。














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