皆さん、大相撲に興味がありますか。
昨日春場所では、一人横綱白鵬が13度目の優勝を全勝で飾りましたね。
まだテレビのない時代の昭和31年はラジオから流れる大相撲放送を聴いていました。千秋楽のあと、新聞に掲載される大相撲の星取表でその場所を振り返った時代です。その時、星取表をスクラップすれば移り変わりがわかるということでこの場所から星取表のスクラップが始まり今日に至っています。その時とは昭和31(1956)年初場所です。(小画像:この時の横綱鏡里が優勝しています。)
スクラップブックは10冊目に入っています。途中7~8場所分が飛んでいますがほとんどとってあります。下画像左がそれで開いたページ分は千代の富士が15で度目の優勝(昭和61年春場所)と大鵬が31度目の優勝した(昭和45年春場所)記録。
右画像は、平成13(2001)年初場所の番付表とこの場所21度目の優勝した貴乃花のいる星取表です。(この番付表、一番大きい文字の横綱は、曙、武蔵丸、貴乃花の三横綱でした)
いろいろなところで「番付表」が話題になりますが、この大相撲の番付表が基にになっているのですね。
10冊目に入った星取表スクラップブック 番付表
昨日春場所では、一人横綱白鵬が13度目の優勝を全勝で飾りましたね。
まだテレビのない時代の昭和31年はラジオから流れる大相撲放送を聴いていました。千秋楽のあと、新聞に掲載される大相撲の星取表でその場所を振り返った時代です。その時、星取表をスクラップすれば移り変わりがわかるということでこの場所から星取表のスクラップが始まり今日に至っています。その時とは昭和31(1956)年初場所です。(小画像:この時の横綱鏡里が優勝しています。)
スクラップブックは10冊目に入っています。途中7~8場所分が飛んでいますがほとんどとってあります。下画像左がそれで開いたページ分は千代の富士が15で度目の優勝(昭和61年春場所)と大鵬が31度目の優勝した(昭和45年春場所)記録。
右画像は、平成13(2001)年初場所の番付表とこの場所21度目の優勝した貴乃花のいる星取表です。(この番付表、一番大きい文字の横綱は、曙、武蔵丸、貴乃花の三横綱でした)
いろいろなところで「番付表」が話題になりますが、この大相撲の番付表が基にになっているのですね。


10冊目に入った星取表スクラップブック 番付表
約1年半に渡って自分撮りの画像でご紹介してきました天竜浜名湖鉄道の駅シリーズも今回で全38駅のご紹介が終わります。最終38番目に登場するのは新所原駅です。
東海道本線掛川駅連絡の天浜線掛川駅からスタートし、浜名湖を1周して東海道線新所原(しんじょはら)駅連絡の天浜線新所原駅に到着しました。今日の画像は左が駅舎右がプラットホーム。小画像が右側の東海道線と並行する線路からの風景です。
天浜線新所原駅 新所原駅プラットホーム
※ 天竜浜名湖鉄道の全駅をご紹介シリーズに毎回ご来訪頂きありがとうございました。画像数を概ね2~3としましたので、特徴を捉えていない駅もあったかと思いますがご了承ください。
※ 最終回に当り、天竜浜名湖鉄道関連の豆知識を少しばかりご紹介します。
天浜線は、その前身、国鉄の二俣線が1940年に掛川・新所原間が全線開業し、この距離67.7kmです。当時はSLも走り、1961(昭和36)年から約5年間は、遠州鉄道のディーゼルカーが遠江森駅まで直通乗り入れをしたことがありました。1971(昭和46)年には蒸気機関車が廃止され、1987(昭和62)年3月15日、第三セクターの天竜浜名湖鉄道としてスタートしました。
2000年にはトロッコ列車も走りましたが、車輌の老朽により2007年に廃止。開業以降9駅(いこいの広場、原田、円田、浜松大学前、奥浜名湖、戸綿、掛川市役所前、フルーツパーク及び大森)が新設され、地域住民の足として今も走り続けています。
以下は想い出の画像です。
在りし日のトロッコ列車。 二俣線時代最後のSL列車。
東海道本線掛川駅連絡の天浜線掛川駅からスタートし、浜名湖を1周して東海道線新所原(しんじょはら)駅連絡の天浜線新所原駅に到着しました。今日の画像は左が駅舎右がプラットホーム。小画像が右側の東海道線と並行する線路からの風景です。


天浜線新所原駅 新所原駅プラットホーム
※ 天竜浜名湖鉄道の全駅をご紹介シリーズに毎回ご来訪頂きありがとうございました。画像数を概ね2~3としましたので、特徴を捉えていない駅もあったかと思いますがご了承ください。
※ 最終回に当り、天竜浜名湖鉄道関連の豆知識を少しばかりご紹介します。
天浜線は、その前身、国鉄の二俣線が1940年に掛川・新所原間が全線開業し、この距離67.7kmです。当時はSLも走り、1961(昭和36)年から約5年間は、遠州鉄道のディーゼルカーが遠江森駅まで直通乗り入れをしたことがありました。1971(昭和46)年には蒸気機関車が廃止され、1987(昭和62)年3月15日、第三セクターの天竜浜名湖鉄道としてスタートしました。
2000年にはトロッコ列車も走りましたが、車輌の老朽により2007年に廃止。開業以降9駅(いこいの広場、原田、円田、浜松大学前、奥浜名湖、戸綿、掛川市役所前、フルーツパーク及び大森)が新設され、地域住民の足として今も走り続けています。
以下は想い出の画像です。


在りし日のトロッコ列車。 二俣線時代最後のSL列車。
JP(日本郵便)から3月に4件の新切手が発行されます。
画像左が3/1既発行のふるさと切手の旅の風景シリーズ第8集「瀬戸大橋」で、岡山県から香川県に掛けての風景です(80円10種)。右は3/23発行予定の特殊切手「サンマリノ共和国」(80円10種)です。サンマリノは、四方をイタリアに囲まれた人口約3万人。面積62k㎡の小国です。位置はイタリアの地図を開くとフィレンツェから右へ約100㎞寄ったところに位置します。サンマリノの切手を発行する趣旨ははっきりしません。
小画像は、左が3/3既発行のグリーティング切手の「SNOOPYおてがみ編」(8種10枚のシート)でシール式の切手です。右は3/8既発行の「ふるさとの花第7集」です。図柄はボタンほか4種で共に50円と80円切手が発行されました。
旅の風景・瀬戸大橋 サンマリノ共和国
画像左が3/1既発行のふるさと切手の旅の風景シリーズ第8集「瀬戸大橋」で、岡山県から香川県に掛けての風景です(80円10種)。右は3/23発行予定の特殊切手「サンマリノ共和国」(80円10種)です。サンマリノは、四方をイタリアに囲まれた人口約3万人。面積62k㎡の小国です。位置はイタリアの地図を開くとフィレンツェから右へ約100㎞寄ったところに位置します。サンマリノの切手を発行する趣旨ははっきりしません。
小画像は、左が3/3既発行のグリーティング切手の「SNOOPYおてがみ編」(8種10枚のシート)でシール式の切手です。右は3/8既発行の「ふるさとの花第7集」です。図柄はボタンほか4種で共に50円と80円切手が発行されました。


旅の風景・瀬戸大橋 サンマリノ共和国