5月22日報に続き掛川市民大学の②屋外講座。前回の大手門に続き今日は、竹の丸と報徳社を見学しました。竹の丸は、掛川城の北を守る曲輪(くるわ)として、そこに大藪があったことからこの名がついた。一時は豪商の松本氏に売却されたが、昭和11年に市に寄贈された。明治から昭和初期に掛けての和洋折衷の建築物と庭園が、文化遺産とされています。
また、報徳社は、二宮尊徳(金次郎)が、道徳と経済の両方を説いた思想で、この教えが現在に受け継がれているとのことです。
「道徳のない経済は罪悪であり、経済のない道徳は寝言である」とのことから、道徳門と経済門が設置され、本拠地が掛川に置かれたことから、大日本報徳社として現在に至っているとのことでした。
下画像は、竹の丸の和洋折衷の建物など。小画像は、ここにしかないと言われる、尊徳のクワを持つ像。(普通は、背に薪、両手に本の像が一般的)
また、報徳社は、二宮尊徳(金次郎)が、道徳と経済の両方を説いた思想で、この教えが現在に受け継がれているとのことです。
「道徳のない経済は罪悪であり、経済のない道徳は寝言である」とのことから、道徳門と経済門が設置され、本拠地が掛川に置かれたことから、大日本報徳社として現在に至っているとのことでした。
下画像は、竹の丸の和洋折衷の建物など。小画像は、ここにしかないと言われる、尊徳のクワを持つ像。(普通は、背に薪、両手に本の像が一般的)
切手を集めるようになると消印(けしいん=切手を使用済みの状態にすること)も気になり、これも集めるようになります。
郵便局の消印(風景印は、れっきとした公印で、官報に告示され、○月○日消印有効の時にも間に合います。はがき代(現行50円)以上の切手が貼ってないと押印してもらえません。
風景印は、全国の半数近い10,000局以上の郵便局に用意されています。
風景印は、その土地の産業や観光。物産などがデザインされていて、窓口で「風景印で出したいというと押印して出してくれます。基本収集ははがきなどに押印してもらいますが、集印帳や記念の台紙などにも押印してもらえます。
旅の記念や、その場所へいつ行ったかなどの証明にもなります。(私の場合、集印帳は必ず目の前で押してもらいますので、旅の経過になります)
今日の、風景印①は、基本形と県内のいくつかの局のご紹介です。小画像は、集印帳の一部です。
円形の基本形 印影を拡大(実寸は35ミリ)
○その他の県内の局
熱海局 舘山寺局 浜松局(平成9年9月9日印)
郵便局の消印(風景印は、れっきとした公印で、官報に告示され、○月○日消印有効の時にも間に合います。はがき代(現行50円)以上の切手が貼ってないと押印してもらえません。
風景印は、全国の半数近い10,000局以上の郵便局に用意されています。
風景印は、その土地の産業や観光。物産などがデザインされていて、窓口で「風景印で出したいというと押印して出してくれます。基本収集ははがきなどに押印してもらいますが、集印帳や記念の台紙などにも押印してもらえます。
旅の記念や、その場所へいつ行ったかなどの証明にもなります。(私の場合、集印帳は必ず目の前で押してもらいますので、旅の経過になります)
今日の、風景印①は、基本形と県内のいくつかの局のご紹介です。小画像は、集印帳の一部です。
円形の基本形 印影を拡大(実寸は35ミリ)
○その他の県内の局
熱海局 舘山寺局 浜松局(平成9年9月9日印)
掛川市民大学は、今年が2期目。掛川の市政や歴史、文化、産業、観光などを
1年間通して、学習・探究する場で、1年間参加することとしました。
早速今回は、市内の歴史施設を探訪しました。
市の中心部では、大手門、竹之丸、報徳社、葛工場、掛川城と戦国の館、それに、美術館及び茶室を1日で回りました。
さて、今日の登場は、大手門と三光稲荷です。専門の講師がついて、説明を受けました。
大手門は、発掘の結果、復元された、今の大手門より、3~40m南にあり、通りの道路の真ん中に、あたかも道路工事が未完成のような三つの門跡が示されていました。大手門とは、城の正面玄関のことです。
また、山内一豊が、京都伏見城の築城にかかわったことに因み伏見稲荷を勧請し祀ったとされる由緒ある三光稲荷がすぐ北側にありました。
小画像は、大手門の説明を聞く受講生。
復元された大手門
道路の真ん中に大手門礎石の跡 一豊ゆかりの三光稲荷
1年間通して、学習・探究する場で、1年間参加することとしました。
早速今回は、市内の歴史施設を探訪しました。
市の中心部では、大手門、竹之丸、報徳社、葛工場、掛川城と戦国の館、それに、美術館及び茶室を1日で回りました。
さて、今日の登場は、大手門と三光稲荷です。専門の講師がついて、説明を受けました。
大手門は、発掘の結果、復元された、今の大手門より、3~40m南にあり、通りの道路の真ん中に、あたかも道路工事が未完成のような三つの門跡が示されていました。大手門とは、城の正面玄関のことです。
また、山内一豊が、京都伏見城の築城にかかわったことに因み伏見稲荷を勧請し祀ったとされる由緒ある三光稲荷がすぐ北側にありました。
小画像は、大手門の説明を聞く受講生。
復元された大手門
道路の真ん中に大手門礎石の跡 一豊ゆかりの三光稲荷