東海道本線の天竜川鉄橋が戦争で破壊された時の迂回路としての役割を担った天浜線の前身、国鉄二俣線が全線開通したのは、昭和15年6月。それから、天竜浜名湖鉄道として今があり、70周年を迎えました。
昭和19年の東南海地震や昭和20年の空爆の被害時には、実際に迂回運転が行われています。
SL時代からのこの歴史を博物館として残す、「二俣線・天浜線鉄道歴史館」も、木造扇形庫の一角にオープンし、この日入場者に開放されました。SL時代の通信設備や、修理機器、運行道具などかなり古いものが数多く展示されていました。その中の一部をご紹介します。
左画像が、進行に使われるタブレットや信号機の一部。右が、専用通信機など。(詳しい説明は聞きませんでしたので説明はちょっとマトはずれかも)小画像は、切符売り場の内部の再現。硬券や、路程運賃表なども見られます。
運行や通信に使われた器具などが沢山展示されています。
※ 天浜線70周年記念フェスタの模様は今回で終わります。ご来訪ありがとうございました。
昭和19年の東南海地震や昭和20年の空爆の被害時には、実際に迂回運転が行われています。
SL時代からのこの歴史を博物館として残す、「二俣線・天浜線鉄道歴史館」も、木造扇形庫の一角にオープンし、この日入場者に開放されました。SL時代の通信設備や、修理機器、運行道具などかなり古いものが数多く展示されていました。その中の一部をご紹介します。
左画像が、進行に使われるタブレットや信号機の一部。右が、専用通信機など。(詳しい説明は聞きませんでしたので説明はちょっとマトはずれかも)小画像は、切符売り場の内部の再現。硬券や、路程運賃表なども見られます。
運行や通信に使われた器具などが沢山展示されています。
※ 天浜線70周年記念フェスタの模様は今回で終わります。ご来訪ありがとうございました。