体罰報告書に記載された学校名や校長名を公開すべきと判断した兵庫県情報公開審査会の答申に対し、県教育委員会が従わず、非公開を決定したことが二十三日、分かった。答申に法的拘束力はないが、県が設置した審査会の判断に反する異例の対応で、今後、議論を呼びそうだ。 馬場健一・神戸大大学院教授が二〇〇七年一月、「公立学校での体罰は公務員の職務遂行行為」とし、体罰報告書に記載された加害教員名、学校名、校長名などの公開を請求したが、県教委は非公開とした。馬場教授の異議申し立てに基づき審査会が議論した結果、加害教員名はプライバシーだが、「学校名や校長名を公開しても、職員録などは一般に入手可能ではなく、教員や被害児童・生徒を特定できない」とし、非公開の理由には当たらないと結論づけた。 県教委は答申に対し「インターネットで検索すれば職員録の存在を容易に知ることができ、閲覧も可能。学校名や校長名が分かると、教員名を特定できる」と反論、非公開を決めたという。県教委の決定に馬場教授は「体罰の加害教員をかばう県教委の姿勢がはっきりした。提訴することも考えたい」としている。』神戸新聞2009年1月24日(土)11:25
「情報公開の原則」から言って、体罰報告書に記載された学校名や校長名を公開しないのはおかしいのでは有りませんか。体罰は学校教育法第十一条の「児童生徒の懲戒禁止」規程によりり学校では体罰は法律違反です。生徒に怪我を負わせた問題教員の事例も有ります。校長や加害教員のプライバシーを守る為に非公開にするというのなら、教育現場では、憲法で保障されている生徒の基本的人権を守らなくて良い言うことになります。法律の効力や法解釈の問題だけでは有りません。生徒を保護者から学校で預かっている教育者としての責任論です。体罰を下したなら、教育者として責任を取るべきです。今の学校では、けじめを付ける事が一番忘れられています。善・悪の判断、して良いことと悪いことが、子供達から先生まで日本の学校教育の中で忘れられてしまっているのです。校長は、管理責任者として責任が有り、教育現場で体罰を下した教員にも教育者としての責任が有ります。いじめ問題では、高市早苗衆議院議員が学校と教育委員会の身内のかばいあい、馴れ合いを指摘し、国会でも学校長と教育委員会の隠蔽が問題になり新聞にも掲載されました。「臭い物には蓋」、事なかれ主義で問題教員の体罰やいじめによる自殺問題は公表せずに管理職への出世の道に差し障るとか校長としての勤務評価が下がると公表されないのなら「日本の教育」はいつまで立っても良くなりませんし、いじめ問題や行き過ぎた体罰事件は無くならないと思います。いまや国会でも教育委員会不要論や知事大阪府知事の教育委員会解散論が出ている今日、子供達や保護者に信頼される教育委員会で無ければ存在価値がなく、地方自治体の教育行政の管理責任者として責任と義務を果たすことを忘れて良い学校教育も優れた教育行政も実現しないのでは有りませんか。
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