教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

教師の体罰訴え、家族に「死にたい」 自殺した福岡の中1

2009年01月30日 18時47分55秒 | 受験・学校

『福岡市西区小戸3丁目で今月19日、マンションから飛び降りて死亡した市立内浜中1年の男子生徒(13)が、担任の男性教諭(37)から昨年6月に体罰を受け、家族に「死にたい」などと話していたことが学校や両親への取材でわかった。県警は生徒の転落は自殺と断定している。学校によると、生徒が死亡した3日前にも担任から体罰を受けていたという。薄(すすき)公治校長は当初「(自殺に)心当たりはない」と話していたが、29日は「何らかの影響を与えたと考えられる」と話した。  校長によると、担任は08年6月、生徒が同じ学年の別の生徒をいじめていると聞き、放課後に理科準備室に呼び出した。1時間以上にわたって「木刀で額を突いただろう」などと尋ねながら、生徒の頭をげんこつで1回殴り、ひざをけるなどしたという。  帰宅した生徒が母親に「死にたい」と訴えたため、母親が学校に連絡。担任が生徒の自宅を訪ねて謝罪した。その後、学校で母親、担任、校長の3人が面談し、校長から担任に「行き過ぎた指導をしないように」と注意したという。校長は体罰を市教委には報告していなかった。  また、担任は生徒が死亡した3日前の今月16日、生徒が忘れ物をしたとして、教室で生徒全員の前で頭をげんこつで1回たたいた。担任は忘れ物を2回するとげんこつでたたくというルールを決めていたという。校長は生徒が死亡した後に両親から指摘を受け、この体罰を知ったという。  校長は、生徒が死亡した19日の会見などで「全く心当たりがない」「生徒の行動に変わった様子はなかった」と話していた。母親はこれらの発言に関し、「昨年の体罰の件は知っていたはず」と校長に訂正を求めていたという。校長は29日、「隠す意図はなかった。生徒が亡くなったということで、昨年6月のことが頭に浮かばなかった」と説明した。  福岡市教委の担当者は「昨年6月の件は報告されるべきだった。ただ、行き過ぎた指導であったが、対応は適正だった。昨年6月と直前の指導が、自殺と因果関係があるとは考えにくい」と話している。』 アサヒコム

この自殺した男子生徒が、他の生徒いじめたのかどうか 、本当に木刀で額を突いたのかどうかを聞くことも大切です。両方の生徒の意見を聞かないと片手落ちになります。喧嘩でも両方の言い分を聞くべきでは有りませんか。体罰で、自殺者が出たのは誠に残念です。忘れ物を2回すると拳骨で叩くルールを作っていて、この自殺した生徒も教室で生徒全員の前で拳骨で叩かれたそうですが。忘れ物も拳骨で叩かれたからと言ってなくなるものでも有りません。みんなの前で見せしめ的に拳骨で殴る規則を作っても忘れ物は無くならないと思います。この拳骨先生、ご自分の学生時代忘れ物はしなかったのでしょうか。生徒に完全を求めることは、教えるご先生も完全でなくてはなりません。人間として完ぺき主義を求めると精神的破綻を来たすだけです。私など高校生まで教科書や辞書も忘れ隣のクラス同級生にいつも借りていました。体罰ばかりで生徒をいつも殴ったり、ひざを蹴ったりして、生徒管理や生活指導が行くと思ったら今の時代大間違いです。生徒を殴ったり、蹴ったりして教育者として良い気持ちにはなれないと思います。生徒を殴った後の後味の悪さや嫌な気持ちが後々心にまで残ります。一生一度しかないと思いますが、親でも教育者でも子供達を殴ってでも教えないといけないことも有ると思います。生徒と先生が納得がいくまで話し合う大切さを忘れてはなりません。生徒の目線に立った教育指導と生徒の自主性と気持ちを理解した教育者として一歩待つ心の余裕も必要でしょう。感情的になり怒っても宵生活指導し。教育者として出来ないと思います。戦前の海軍兵学校出身の中学校で英語を教えておられた故K先生、朝から晩まで鉄権制裁や気合を入れてやると殴られてばかりで、連帯責任を負わされるし殴られた嫌な思い出しかないと言われ戦後教職員組に身を投じられ組合の分会長をされていました。海軍兵学校や特別攻撃隊の生き残りの仲間は、右翼活動家と左翼活動家の左右に別れ、中道思想の活動家はいてへんでと大阪弁で言われたのが印象的でした。中学校の職員会議ではあくまで筋を通されご自分の経験から生徒を一度も殴られなかったそうです。体罰で生徒を毎日殴ってばかりしていると生徒の心が萎縮するので良くないと言われました。いじめ自殺が起こった時の学校長の会見内容を聞き、教育者としてもつとも恥ずべことは、教え子が3人自殺したことですと皆の前で言われ京都の教育界で実際に教壇に立たれ活躍された近畿大学教授で教育学担当の岡本武雄先生の教育者として後悔しているし、教師として良心に筈べき出来事だと言われたことを思い出します。教壇に立っている教育者として良心と責任を思う今日です。今の日本には、心と命を大切にする教育が一番必要と思います。学級担任は、身近にいる生徒のカウンセラーであり、生徒の悩み事を気軽に話し合える教育者であるべきです。

URL  http://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

                                                                   

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928   

日本プログ村    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング"http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不発弾を拾った児童、「教材に」と学校職員室に届ける

2009年01月30日 16時18分21秒 | 受験・学校

 『沖縄県南風原(はえばる)町立翔南(しょうなん)小(仲村稔校長、531人)の6年生男子2人が今月21日の登校中、学校近くの道路のすぐ脇で不発弾を拾って学校に持ち込み、職員室に届けていたことが分かった。 陸上自衛隊那覇駐屯地が回収して調べた結果、信管のない米国製90ミリ砲弾(長さ約30センチ)だったが、同駐屯地は「信管がなくても、強い衝撃を与えれば爆発するケースもある」としている。 同校によると、2人は21日午前8時頃、転がっていた不発弾を拾い、約100メートル離れた学校の玄関付近に置いた上で、職員室の教諭らに報告。教諭らは町教委に連絡し、同駐屯地の隊員が回収したという。 平安山(へんざん)良康教頭は「2人は平和学習の教材に使えると思って学校に運んだらしい。爆発の可能性があったことを考えると恐ろしい」と話している。』読売新聞

【関連ニュース】不発弾処理3万件 終了までなお80年2008年12月11日 『 復帰後の1972年から県内で陸上自衛隊が回収した米国製や英国製、旧日本軍の不発弾の処理件数が10日、3万件を突破した。同隊は同日朝から不発弾を通常回収し、浦添市や西原町、与那原町の農地や工事予定地など13カ所から21発の迫撃砲弾や小銃弾、地雷などの不発弾を回収した。 二瓶博人処理隊班長は「戦後60年たった今でも多くの不発弾が埋まっている」と話した。陸上自衛隊は1日までに県内で137万8060発の不発弾を回収。県内には依然として推定で約2500トンの不発弾が残っており、すべての回収が終わるまで「約80年かかる」とした。』琉球新報

小学校6年生男子児童が、登校中道路のすぐ脇に落ちていた不発弾を平和学習の教材として小学校に運んだらしいのですが。信管が無くて事故に成らなくて本当に良かったと思います。これからは学校も不発弾と言えども信管が付いていたら爆発する可能性も有り、不発弾の落ちている場所は学校に報告しても、触ったり、持ち運ばないように安全指導をすべきです。不発弾の事故で、子供達が怪我をしたら大変です。 戦後64年目の今年でも琉球新報の記事によりますと2500トンの不発弾が残っていて、約80年掛かるそうですが。太平洋戦争の沖縄戦の危険な証言物です。沖縄県民は、本土に暮らす日本国民の弾除け、犠牲になったことも確かです。弾丸の鉄の雨あられ、沖縄の海は、アメリカの軍艦が囲み真っ黒だったと表現されています。悲惨な太平洋戦争の沖縄戦を風化させることなく、平和教育の原点として、平和と命の大切さを日本人が心に刻むべきです。最期に大田海軍中将の海軍次官あてに送った電報を下に書かせて頂きました。

海軍次官宛の電報

発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

  • 文中の□部分は不明

電報の現代語訳

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要させられたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように立派に戦い抜いた。

県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。

日本国が、責任を持って国費で沖縄県民や子供達が安心して暮らせるように不発弾の処理を早急に進めるべきだと思います。沖縄国民に日本政府として責任を果たすべきでは有りませんか。まだ戦後処理の行われていない沖縄の現実が有ります。沖縄戦で亡くなられた総ての皆様方のご冥福を心からお祈り申し上げます。 

URL  http://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

                                                                   

プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928   

日本プログ村    http://www.blogmura.com/profile/232300.html

人気プログランキング"http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする