2015年3月18日(水) 11時15分掲載
世界トップクラスの自動車メーカーであるトヨタ自動車。今月で期末を迎える今年度(2015年3月期)決算は2兆1300億円(前年度比16%増)という巨額の純利益を見込む。日本企業が稼ぐ利益額としては最も大きく、名実ともに日本一の企業である。業績好調を受けて3月17日には、株価が8年ぶりの過去最高値を付けた。(東洋経済オンライン)
トヨタ自動車の豊田銀行と言われる所以が有ると思います。戦後の1950年に、ドッジ・ライン不況でトヨタが倒産寸前に追い込まれた時、三井銀行(当時は帝国銀行)、東海銀行を中心とする銀行団が緊急融資をした。当 時、三井・東海と共に主力銀行の1つだった住友銀行(当時は大阪銀行)は、大阪銀行名古屋支店長小川邦彦氏と融資担当常務堀田庄三ウ氏が「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と、にべなくトヨタの緊急融資の要請を 断り、さらに貸出金の回収に走り、トヨタとの取引を打ち切った。※機屋(はたや)とは、当時の東海経済の中心であった繊維産業の蔑称。この場合は、トヨタ自動車の源流である豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を示している。この交渉での心労がたたり、創業者の豊田喜一郎氏は1952年3月に急逝された苦い企業の存亡を掛けた経験と教訓を歴代経営者が肝に命じ堅く護り通して来たからです。名古屋を中心とする東海経済界では「住銀はいざとなったら頼りにならない」との風評が広がりました。名古屋では「シミ友銀行」とも言われていたそうです。トヨタの経営努力で、銀行からの金融面での自力更生を長年目指して来た企業です。昔から大阪商人が、「名古屋で商売が出来たら一流や」と言われていますように名古屋での商いは、厳しい面も有ると思います。
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くすぶるトヨタ出資の新銀行設立構想 トヨタ創業者を死に追いやった住友への恨みと不信
Business Journal 1月8日(木)6時0分配信
名古屋市(「Thinkstock」より) 首都圏や九州で地方銀行の統合・再編構想が相次いで明らかになり、東海3県の地銀にも衝撃が広がった。各行首脳は将来的な再編の必要性は認めつつも、再編には慎重だ。九州の各地銀トップの積極的な発言とは一線を画している。それは、トヨタ自動車を頂点とする中部の経済力と、人口減少が進む九州経済の構造的な違いを反映したものともいえる。2014年11月15日付中日新聞記事『地銀再編 中部では?』は、名古屋証券取引所で決算を発表した東海3県の地銀8行の頭取たちの、再編に対するコメントを掲載している。 ・中京銀行(名古屋市)「再編は理にかなっている」 ・十六銀行(岐阜県岐阜市)「常に頭に入れている」 ・三重銀行(三重県四日市市)「選択肢となる可能性はある」 ・百五銀行(三重県津市)「将来的に可能性はある」 ・第三銀行(三重県松阪市)「当然一つの選択肢だ」 ・大垣共立銀行(岐阜県大垣市)「単独で残れるように最善尽くす」 ・愛知銀行(名古屋市)「人口減は差し迫っていない」 ・名古屋銀行(名古屋市)「地域が成長しており(経営統合は)必要ない」 東海地区の地銀頭取にとって、再編は差し迫った案件とはなっていないのか。少なくとも自身の在任期間中に経営統合は起こらない、いや起こってほしくないと考えているのかもしれない。 昨年9月、金融庁の細溝清史長官は各行の頭取を名古屋市内に集め、「今のビジネスモデルではやっていけなくなる。できる手を打ってほしい」とゲキを飛ばした。しかし、反応はイマイチだったようだ。大垣共立銀行の土屋嶢(たかし)頭取の「金融庁としては再編が好ましいのだろうが、すぐに『統合しましょう』とはならない」という発言が、頭取たちの本音だろう。12年に旧岐阜銀行が十六銀行に吸収合併されて以降、東海地区での地銀再編をめぐる動きは止まった。十六銀は「東海銀行のように存在感のある地銀になりたい」として岐阜銀を買収したが、その後の動きは鈍い。適当なパートナーが見つからないからだ。金融アナリストは「愛知県では人口も経済規模も成長を続けており、九州の肥後銀行、鹿児島銀行とは置かれている経営環境がまったく違う」と分析する。
●東海地方で広がる、住友と三菱への不信 東海地方は元来、旧東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)の牙城だった。東海銀は強力な営業力を誇り、大きな存在感を示していた。トヨタが東海銀を支えてきたといっていい。トヨタの協力企業は東海銀から融資を受け、トヨタは東海銀と旧三井銀行(現三井住友銀行)の2行を優遇し、住友銀行とは絶対に取引をしなかった。 これには理由がある。戦後の1950年、ドッジ・ライン不況でトヨタが倒産寸前に追い込まれたとき、三井銀(当時は帝国銀行)、東海銀を中心とする銀行団が緊急融資をした。当時、三井・東海と共に主力銀行の1つだった住友銀行(当時は大阪銀行)は、「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と、にべなくトヨタの緊急融資の要請を断り、さらに貸出金の回収に走り、トヨタとの取引を打ち切った。この交渉での心労がたたり、創業者の豊田喜一郎氏は1952年3月に急逝した。