教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

中学校長を懲戒免職=女性教諭にわいせつ行為―千葉県教委

2015年04月06日 21時04分58秒 | 受験・学校・学問

時事通信 4月6日(月)16時29分配信 『千葉県教育委員会は6日、30代の女性教諭にわいせつ行為をしたとして、千葉県袖ケ浦市の市立蔵波中学校の男性校長(59)を同日付で懲戒免職処分にしたと発表した。
 県教委によると、校長は2月2日、勤務終了後に女性教諭をドライブに誘い、同市内の公園の駐車場に止めた乗用車内で突然抱き付き、複数回キスした上で胸を触った。
 女性の家族が、勤務先を通じて県教委に相談した。校長は「女性に好意があった」と話しているという。県庁で会見した内藤敏也教育長は「あってはならない行為で、誠に申し訳ない。深くおわびする」と謝罪した。』

後一年で、管理職の校長として手無事定年です。もつたいないことをされました。定年後の再就職先も失ってしまったと思います。教育現場の管理職のモラルの問題です。

 

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中国「アジアインフラ銀行」戦略の「黒い陰謀と打算」 ~習近平国家主席の世界覇権戦略と揺らぐ日米同盟

2015年04月06日 20時57分30秒 | 国際・政治

第41回 板垣英憲「情報局」勉強会ご案内

2015年04月05日 08時03分31秒 | 政治

中国「アジアインフラ銀行」戦略の「黒い陰謀と打算」
~習近平国家主席の世界覇権戦略と揺らぐ日米同盟
(「アーミテージ・レポート」から読み解く)

【講師】 政治経済評論家・板垣 英憲
【日時】2015年5月9日(土)
  午後13:00~15:50(午後12:30受付開始)
【会 場】 小石川後楽園内「涵徳亭」 (広間)

(東京都文京区後楽1-6-6( TEL 03-3811-3015)
アクセス


【定 員】 38名 
※先着順 定員になり次第締め切らせていただきます
【会 費】 2,000円  (お振込み下さるか、会場にて申し受けさせていただきます)
お申し込み

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
中国「AIIB」は、「蛹(さなぎ)が蝶(ちょう)になった」どころか、「夜の蛾(が)か」と揶揄する声!

◆〔特別情報①〕
 中国の習近平国家主席の肝煎りで2015年12月までに創設される「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)に51か国が参加表明し、中国マスメディア は、「蛹(さなぎ)が蝶(ちょう)になった」と欣喜雀躍しているけれど、「蝶のいのちは短命」、それどころか、「夜の蛾(が)になって死んでしまうのか」 と揶揄(やゆ)する声が、世界中から噴出、聞こえている。この「蛹が未熟児として極早世してしまわねばならなければいいのだが・・・」と早くも、前途に赤 信号が点滅している。それどころか、「中国北京政府版オレオレ詐欺ではないか」と訝(いぶか)れている。恐ろしや、恐ろしや!



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『自民党選挙の秘密』(1987年12月15日刊)

目次

第三章 修羅場の選挙戦場から
―あらゆる戦術を駆使したそれぞれの闘い
(その四)まずトータルイメージ―大島理森氏の場合 ②


 そうやって過ごして行っているうちに、選挙のにおいが出てきた。中曽根前首相が、自民党総裁三選実現を意識して衆議院の解散という「伝家の宝刀」を抜く 気配を示してきたからである。これに対して、河本派の一員である大島氏は最後まで選挙は反対と言い続けた。そうした抵抗も虚しく、選挙に突入した。

引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken"

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またもや踏みにじられた天皇陛下の平和への思い(お詫びと訂正) new!!天木直人

2015年04月06日 20時48分40秒 | 国際・政治
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2015年04月06日

またもや踏みにじられた天皇陛下の平和への思い(お詫びと訂正)

本文中 パオラと書いたのはパラオの間違いです。お詫びして訂正させていただきます。

2015年04月06日

またもや踏みにじられた天皇陛下の平和への思い


 あれほど面会を拒んできた菅官房長官が、なぜ急に翁長知事との面談に応じたのか。

 それはもちろん4月末に控える安倍訪米への悪影響をおそれたからだ。

 しかし、その会談を無神経に4月5日に設定したところに、安倍・菅政権の天皇軽視の正体が見える。

 まさしく天皇より米国を重視する安倍・菅政権の売国性の真骨頂だ。

 翁長・菅会談を報じるきょう4月6日の各紙が、おなじく一様に大きく取り上げた事がある。

 それは、今週4月8日から始まる天皇陛下のパオラ共和国訪問である。

 80歳を超え、その健康不安が伝えられる天皇陛下が、なぜパオラ共和国訪問をされるのか。

 それは太平洋戦争の激戦地であるパオラのペリリュー島への「鎮魂の旅」が、10年来の悲願であるからだ(4月6日産経)。

 本来ならば、その思いを共有し、首相みずから国民を率いて今週は鎮魂の週として静かに過ごすべきだろう。

 よりによってその直前の日を選んで、沖縄県民の怒りと怒号を呼ぶ会談を行った安倍・菅政権。

 これほど天皇陛下を悲しませるものはない。

 天皇陛下の平和への思いを踏みにじるものはない。

 そういえば安倍・菅政権が突然に「主権回復記念式典」を強行し、天皇陛下の前で万歳を叫ぶハプニングを許したのは2年前のいまごろだった。

 以来安倍首相の天皇陛下軽視は目に余る。

 いままた天皇陛下の平和を思う大御心を踏みにじったのだ。

 こんな政権を日本国民はいつまでも許してはいけないだろう(了)

2015年04月06日

タイムリーな週刊ポスト今週号の沖縄記事)


 きょう4月6日発売の週刊ポスト4月20日号に、じつにタイムリーな沖縄特集記事が掲載されていた。

 その記事は、翁長・菅会談における菅官房長官のウソ発言を見透かしているといわんばかりに、次のような関係者の証言を引用している。

 「辺野古基地に駐留するのは海兵隊。海兵隊は敵地の海岸へ強行上陸するための部隊で、国土を防衛する目的もなければ、能力もない。国防の喫緊の課題である尖閣諸島など島嶼部防衛にも役立たない・・・」(自衛隊OB)

 「米軍は海兵隊をグアムに移転させるロードマップを描いていたが、小泉政権時代に『沖縄にいてほしい』と(日本側が)要請した経緯がある・・・辺野古移設は日本側の利権の話であって、米軍側の要請でもなければ、国防とも関係がない」(当時の官邸スタッフ)
 
 これらは、これまでにもさんざん報道されてきたことだ。

 なぜ突き詰めた議論がされないのか。

 検証して、それを国民の前で明らかにしないのか。

 嘘がばれるからだ。

 週刊ポストの記事は次のように締めくくっている。

 米大使館関係者は唖然とする。「安倍政権は我が国が喜ぶと思って辺野古も安保法制もTPPも進めているが、そんなことは望んでもいない。よほど4月の訪米と首脳会談を実現したかったのだろうが、一方的でピント外れのラブコールにオバマ大統領は困惑している」と。

 私は、この週刊ポストが書いているほど単純なものではない、と思っ
ている。

 米国内部にも様々な思惑の違いがある。

 安倍首相を持ち上げて、日本から取れるものは取っておこうと考えるものたちがいてもおかしくない。

 そういう連中と組んで安倍首相は生き残りを図っているのだ。

 どっちにしても、安倍首相とそれに従属する官僚たちは、国民の利益を後回しにして自らの保身を優先する売国者たちだ。

 そのことが、安倍訪米でもうすぐわかる(了)

2015年04月06日

翁長沖縄県知事の一本勝ちに終わった翁長・菅会談

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菅官房長官「粛々と」に沖縄知事「上から目線」

2015年04月06日 14時28分39秒 | 国際・政治

読売新聞4月5日(日)12時33分配信『沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、菅官房長官は5日、那覇市内のホテルで、沖縄県の翁長(おなが)雄志(たけし)知事と、昨年12月の知事就任後では初となる会談を行った。 菅氏は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に理解を求めたが、翁長氏は反対する考えを改めて表明した。約1時間に及んだ会談で、両者の主張は平行線をたどったが、今後も対話を続ける方針では一致した。 政府と沖縄県の対立が深まる中、政府としては「知事との会談にも応じない」との批判が強まることを防ぐのが今回の会談の狙いだったとも言える。会談の冒頭から30分間は報道陣に公開され、残りは菅、翁長両氏だけで行われた。

 菅氏は会談の公開部分で、「日米同盟の抑止力の維持、普天間飛行場の危険除去を考えた時に、辺野古移設は唯一の解決策と考えている。政府としては、住民の生活や環境に配慮し、工事を粛々と進めている」と述べ、2013年末に同県の仲井真弘多(ひろかず)前知事が出した辺野古の埋め立て承認に基づき、移設を進める政府方針に変更がないことを伝えた。
 また、13年末に安倍首相が前知事に表明した21年度まで3000億円台とする沖縄振興予算の確保について「約束は守っていきたい」と述べた。また、基地負担の軽減に努力する考えにも時間を割くなど、沖縄への配慮を随所に示した。
 これに対し、翁長氏は、「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅していくのではないか」と反発。その上で、「辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている」と述べ、移設計画の中止を求めた。翁長氏は安倍首相と早期に会談したい考えを伝えたが、菅氏は明言を避けた。ただ、菅氏は会談後、記者団に対し、「沖縄の考え方を聞く中で、進めていきたい」とも述べた。』
 
政府としては、住民の生活や環境に配慮し、工事を粛々と進めている」と述べ、「静か、厳か(おごそか)」に進めてゆくと言う意味でしょうか。戦後70年間沖縄県民の皆様方に艱難辛苦と心労を長く強いて来たことは事実です。沖縄県民の声を聞かないと後々まで禍根を残すと思います。大田実海軍中将の最期の海軍次官宛の電報(現代訳)食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。『沖縄県民はこのように戦い抜いた。県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。』を本土の私達は、忘れてはならないと思います。

 

 

 

 

粛々との意味と読み方とは

この会は、粛々と執り行われた。
使い方を間違えると大恥を掻いてしまう言葉の一つです。

<粛々の読み方>

これは、

「しゅくしゅく」

と読みます。

最初のしゅくを大きめ、次のしゅくを小さめに読むといい感じです。

<粛々の意味>

これは、

「静か、厳か(おごそか)」

という意味です。

粛は、あまり単体で使うことがない言葉ですが、
つつしむ、いましめるという意味を持つ字です。
ですから、々で繰り返されることによって、粛の意味を強めていると考えられます。
つつしみ、いましめることによって、静かで厳かな状況を作るのでしょう。
重要な場面で使われることも多いようです。

<粛々の使い方>

・粛々と進む

・粛々淡々

・粛々と主張し続ける

以上、粛々との意味と読み方とはでした。


 

 

 
 
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

田 実
Minoru Ota.jpg
生誕 1891年4月7日
日本の旗 日本 千葉県長生郡長柄町
死没 1945年6月13日
日本の旗 日本 沖縄県島尻郡豊見城村(現豊見城市
所属組織 Naval Ensign of Japan.svg大日本帝国海軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 海軍中将
テンプレートを表示

大田 実おおた みのる1891年(明治24年)4月7日 - 1945年(昭和20年)6月13日)は、日本海軍軍人最終階級海軍中将千葉県長生郡長柄町出身。

人物・来歴

略歴

旧制千葉県立千葉中学校より海軍兵学校41期入校。席次は入校時は120名中53番、卒業時118名中64番。草鹿龍之介木村昌福田中頼三などが同期生である。大田は海軍における陸戦の権威者で、第一次上海事変に参戦したほか、二・二六事件では佐藤正四郎麾下の陸戦隊大隊長として東京へ出動している[1]。同部隊の参謀は大田とともに海軍陸戦隊を代表する指揮官となった安田義達であった。太平洋戦争においては、第二連合特別陸戦隊司令官としてミッドウェー島上陸部隊の海軍指揮官となる(陸軍部隊指揮官は一木清直)が、ミッドウェー海戦における敗北により上陸作戦は中止となった。のちに第八連合特別陸戦隊司令官に転じ、ムンダコロンバンガラなどで苦闘した。

沖縄守備軍首脳。1大田 2牛島満 3長勇
大田が自決した海軍壕司令官室

沖縄戦では、海軍最先任者として沖縄根拠地隊司令官を務め、米軍上陸時に約1万人の部隊を率いて沖縄本島小禄半島での戦闘を指揮。陸軍の首里から摩文仁への撤退に際して、海軍司令部は作戦会議に呼ばれず、直前の5月24日ごろ(異説あり)になって初めて知らされたとされる。いったんは完全撤退と受け止め、重火器を破壊して南部への撤退を始めるが、後に「第32軍司令部の撤退を支援せよ」との命令を勘違いしたことがわかり、5月28日には再び小禄へ引き返した。6月2日に改めて「摩文仁へ撤退せよ」との命令が出されるが、大田は今度は従わなかった。命令を意図的に無視したのか、米軍に退路を断たれて撤退できなかったのかは不明である。沖縄での海軍部隊の戦いぶりは米国公刊戦史に以下のように記述されている。

小禄半島における十日間は、十分な訓練もうけていない軍隊が、装備も標準以下でありながら、いつかはきっと勝つという信念に燃え、地下の陣地に兵力以上の機関銃をかかえ、しかも米軍に最大の損害をあたえるためには喜んで死に就くという、日本兵の物語であった。

吉田俊雄『海軍名語録』より引用

米軍の攻撃により司令部は孤立し、大田は豊見城にあった海軍壕内で拳銃で自決した。死後海軍中将に特別昇進する。自決する直前の6月6日に海軍次官宛てに発信した電報は広く知られている。当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えている。この電報を読んだ井上成美海軍大将が感動して、終戦運動を激しくしたと言われる。[要出典]

人物

司令官室の壁に遺された辞世

穏やかで包容力に富み、小事に拘泥せず責任感の強い人物であった。いかなる状況に遭遇しても不満を漏らさず、他人を誹謗するような言動はなかったといわれる。

  • 辞世の句 
    大君の御はたのもとにししてこそ 人と生まれし甲斐でありけり
  • 11人の子供がおり、長男大田英雄社会科教師で平和運動家。湾岸戦争後の自衛隊ペルシャ湾派遣の際の指揮官である落合一等海佐(当時)は3男。大田豊一等海佐は4男。3女板垣愛子はパーフェクト リバティー教団(PL)の教校長。
  • 大田は長男を軍人にしたいと願い、いずれ海軍大将になってほしいとの願いから「英雄」と名づけた。一方、三男には農業をして家を守ってほしいと「」(たおさ)と名づけた。しかし2人は戦後、まったく別の道を歩むことになった。
  • 娘の一人は後年、アメリカ人と結婚し渡米したが、沖縄戦で米軍を苦しめた日本軍幹部の娘というので、パンも売ってくれないなど、酷いいじめに遭った。後年、小渕恵三(第84代首相)が「大変でしたね」と慰めると、彼女は「父の苦労に比べたら、たいしたことはありません」と泣き崩れたという[2]
  • 最後の沖縄県令であった島田叡と は沖縄戦の最中でも密接な連絡を取り合い、大田と島田は「肝胆相照らす」仲であったと言う。大田が最後に残した電文中にある「県知事より報告せらるべきも」「本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども」の冒頭文は、既に沖縄県の組織自体に通信能力が無く、民間人の苦労を伝えるのに最も相応しいのは「県民に関して、殆ど顧みるに暇なかりき」と言った自分達では無く最後まで彼ら県民と共にあった島田達であるが、大田が行政官である島田に代わって県民の姿を伝えたものである[3]

海軍次官宛の電報

  • 文中の□部分は不明

発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

電報の現代語訳

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

海軍次官宛の電報(現代訳)

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

備考

『海軍次官宛の電文の文面』とされるものは、何種類か存在している。これは当該電報が戦況の切迫したなかで発信されたものであることに由来すると思われる不明な部分があることと、さらにそれをタイプした文字が擦れなどで判読しづらくなっていることにより、文面に欠落箇所があるためである。

外部リンクの項にある「沖縄戦関係資料閲覧室」には、電文の「オリジナル」と「」が公開されている(ただしこの「訳」はカタカナをひらがなに置き換えて文章毎に分かち書きしたものであって、「現代文訳」ではない)。この両者の文面には相違があるが、電文については不明瞭となっている部分について解読作業が行なわれたことがあり(併せて明らかな誤字も修正された)、「」はその結果に則したものになっている。

この他、大田が自決した海軍司令部壕跡(現在は海軍壕公園として整備されている)に建つ『海軍戦歿者慰霊の塔』の袂には『仁愛の碑』があるが、その碑文に掲載されている文章は「自給自足」の語があったり「強要せられてご奉公の」とされていて中間の文章(「悪評なきにしもあらざるも」の前後)がなかったりという相違がある。前者については理由は不明だが、後者については「オリジナル」の画像でちょうど綴じの部分に当たって判読しにくい部分であり、その部分を読み飛ばして意味の通らない部分を修正したもの(「強要セシ / テノ」→「強要セラレテ」)と思われる。

本項では上記「」の文面を基本とし、補完しうる部分を補なったものを原文として掲載した。また、現代語訳はここに掲載した原文を元にやや意訳を含めて現代語化したものである。なお、この打電文もまた米軍によって傍受、記録されており、米軍が英訳した当時の資料がアメリカ国立公文書館に残されている。

年譜

出典

  1. ^ 『沖縄県民欠斯ク戦ヘリ』第九章
  2. ^ 東京新聞2000年7月24日
  3. ^ 梯久美子『昭和の遺書53通』文藝春秋2009年1月号

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中2男子、鉄塔から飛び降り自殺か…新潟・五泉

2015年04月06日 12時41分58秒 | 受験・学校・学問

読売新聞2015年4月6日(月)11:58 『6日午前7時半頃、新潟県五泉市の鉄塔脇の空き地で、県内の中学2年の男子生徒(13)が顔から血を流して倒れているのを、通行人の男性が発見し、110番した。 男子生徒は死亡が確認された。県警は、遺体や現場の状況などから、生徒が鉄塔から飛び降りて自殺した可能性もあるとみて、調べている。 五泉署の発表などによると、鉄塔は高さ約30メートルで、はしごが設置され、周囲を高さ約2メートルのフェンスで囲われていた。男子生徒は私服姿で、フェンスの外側で倒れていたという。 生徒は5日午後から行方が分からなくなっており、家族が警察に届け出ていた。生徒が通っていた中学校によると、6日は始業式だったという。』

子供から高齢者まで、生きる喜びや希望を日々の日常生活の中で持てない今の日本です。生きていても楽しくもおもしろくもない、今の日本だと京都の有る大学の前法学部長も言われていました。幼稚園から老人施設まで、弱い者いじめがまかり通るおかしな世の中です。インターネットに死にたいという相談も寄せられています。プラス思考だと言っても毎日バラ色の人生なんて、精神異常者以外正常な精神の持ち主の人にはとても思えません。新潟県内のこの中学2男子生徒の所自殺原因は、今のところ分かりませんが、夢と希望もない日本の社会を政治家は、私腹を肥やさずに西郷隆盛公のように滅私奉公の精神で、民の暮らしが豊かに暮らせるように改革して欲しいと思います。

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トップページ > 最新情報 > 平成27年度ひたちなか市自治会割引回数券の販売について

2015年04月06日 11時53分48秒 | まち歩き

 

ひたちなか海浜鉄道では平成27年度もひたちなか市内の自治会員の方を対象にした自治会割引回数券の販売を実施しております。

お得な回数券が更にお得になりますので自治会員の方は是非湊線をご利用ください。

 

●対象者 市内の自治会員である方

●販売期間 平成27年4月1日(水)~平成28 年2 月29 日(月)まで

※予定数に達した場合、発売期間中でも終了することがあります。

●販売額 11 枚綴りで10 枚分の運賃で発売している回数券を、さらに1 枚お得な9 枚分の運賃で発売します。(たとえば勝田~那珂湊間なら通常3,500円のところ3,150円で購入いただけます。)

●購入方法                                                             ・勝田駅または那珂湊駅で申込書に必要事項を記入の上ご購入ください。

・湊線各駅券売機で購入し、勝田駅または那珂湊駅で申込書に必要事項を記入の上精算してください。

券売機で購入の場合は、領収書ボタンを押して必ず領収書を発行したうえで、1週間以内に那珂湊駅窓口または勝田駅湊線窓口(勝田駅1番線ホーム)で精算をしてください。差額をお返しします。領収書がない場合は精算できませんのでご注意ください。

●その他

・回数券の有効期間は、購入日より3 カ月です。

・ひたちなか海浜鉄道 勝田駅窓口はAM6:00~PM8:00迄の営業になります。

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逃したサメは大きかった 水族館担当者来る前に… 高知

2015年04月06日 11時02分51秒 | デジタル・インターネット

朝日新聞デジタル4月5日(日)12時13分配信 高知県室戸市室戸岬町の三津大敷組合の定置網に、深海ザメの「メガマウス」とみられる魚がかかった。大阪市の水族館に引き渡す予定だったが、翌日までに網から逃げ出した。収容するために現場に来た水族館の担当者は「捕まえてみたかった」と残念がった。

【動画】定置網にかかった「メガマウス」と見られるサメ=三津大敷組合・山本幸生さん撮影

 メガマウスは、巨大な口が特徴。だが、生えている歯は細かく、ジンベイザメなどと同様にプランクトンが主食だ。捕獲例が少なく、生態はよくわかっていない。
 網にかかった魚は体長5メートルほど。同漁協の山本幸生副船長が1日、昼の水揚げの際に見付けた。「5、6年前にもかかったことがある。珍しいサメだから覚えていた」と山本さん。
 貴重なサメを生きたままの状態で研究者に引き渡そうと、大阪市の水族館「海遊館」に連絡。2日朝には収容できる段取りをつけた。深海魚がよくかかる三津の漁師さんならではの判断だった。
 ところが、引き渡す当日、網の中にサメの姿はなかった。どこからか、するりと抜け出したらしい。
 日本ウミガメ協議会室戸研究基地の渡辺紗綾さんは「元気のいい個体だったので自力で逃げ出したみたいです」と話す。収容するために駆けつけた海遊館の田井康之学芸員も「網の中を撮影した動画だけではメガマウスとは特定できないが、十分その可能性はあった」。逃した大魚を惜しんだ。(根岸敦生)』
逃した魚は、大きかったの昔からのの諺通りです。 メガマウス高知県室戸市の主だったかも分かりませんね。

 

 

 

出典・ ja.wikipedia.org/wikiより
メガマウス
Mega mouth shark specimen.jpg
メガマウスの標本
京急油壺マリンパーク
保全状況評価[1]
DATA DEFICIENT (IUCN Red List)
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 軟骨魚綱 Chondrichthyes
亜綱 : 板鰓亜綱 Elasmobranchii
: ネズミザメ目 Lamniformes
: メガマウス科 Megachasmidae
: メガマウス属 Megachasma
: メガマウス M. pelagios
学名
Megachasma pelagios
Taylor, Compagno & Struhsaker, 1983
英名
Megamouth Shark
Megachasma pelagios distmap.png
生息図(発見例が少ないので、ある程度予想や想像も入っていると思われる。)

メガマウス Megachasma pelagios: Megamouth Shark)は、ネズミザメ目メガマウス科に属するサメ

本種のみでメガマウス属 Megachasma を構成し、古い和名ではオオグチザメ(大口鮫)と呼ばれたが、現在はメガマウスザメ、もしくはメガマウスの名で呼ぶのが一般的。

学名のMegachasma pelagiosは、沖合の大口鮫を意味する。

目次

分布・生息域

太平洋インド洋など、熱帯から温帯の水深200m付近のやや浅い深海に生息している。

日本近海では目撃例と捕獲例が比較的多く、2011年現在、全世界で50例あるうち13例が日本におけるものであり、東京湾の海底谷でも発見されている。

形態

最大で全長709cm[2]。古い形態を保ったサメで、 現代に繁栄しているサメの形態とはかなり異なる点が多い。ネズミザメ目のサメの中では、ミツクリザメと並んで、原始的な形態を残しているといわれる。

北海道大学の仲谷一宏教授の研究によれば、特徴的な口を動かす顎の骨に付いている口を開ける筋肉が非常に発達していて、さらに柔軟な皮膚を利用して顎を伸ばし、前方に突出させて口を突きだして開け、ヒゲクジラの給餌方にも近い構造となっている。この構造は他のサメには現存せず、同じように口を突出させる機能を持つミツクリザメでもこのような作りにはなっていない。

プランクトンを主食にしているため、サメの特徴である歯はとても小さく、ヤスリ状の列になっている。口の内壁は光が当たると銀色に輝く。他のサメに見られない特徴として、上顎の歯が蛍光色に輝き、プランクトンをおびき寄せるといわれるが、確かめられてはいない。

生態

 
巨大な口

前述の通り、プランクトンを常食にし、特徴的な口は、プランクトンを飲み込み、濾過する。口が大きいので、誤ってプランクトン以外の生物を飲み込んでしまうこともある。

プランクトンを食べる大型のサメは本種の他には、同じネズミザメ目のウバザメと、最大のサメであるジンベイザメの3種である。巨大な体を維持するためにプランクトンを餌にするようになったのは、クジラと同じ大型海洋動物故の選択だったといえる。

昼は水深100mから200m程度のところにおり、夜間に浅いところまで浮上してくるとされる。腹部が白いことで、深海魚特有のカウンターシェーディング効果については疑問視されている。

発見

 
福岡に打ち上げられていたメガマウスの標本
 
正面から見た口

1976年ハワイ沖の海底ケーブルに絡まっていた雄個体が発見されたのが最初である。新種のサメとわかったが、それ以降は数年に一度のペースでしか見つからず「幻のサメ」といわれた。日本では1984年静岡県で、浜辺に打ち上げられた個体が見つかったのが最初である。

捕獲及び目撃例は世界的に見ても極めて少なく、深海に生息することから死体が漂着するのも極めてまれで、未解明な部分が多い。雌個体は北半球でしか見つかっていない。

深海に生息し、大型であることから、本種にはダルマザメによる皮膚の食害跡も見られるほか、2011年に三重県沖で発見された個体には、寄生性カイアシ類が付着していた。

なお、本種はめったに取れないことと、肉質は水っぽく不味で、食用としては不向きとされる[3]

日本での主な捕獲記録

1994年11月29日
福岡市東区和白浜。メスの個体(死体)が漂着しているのを、バードウォッチングをしていた人物が発見した[4]。メスのメガマウスは世界で初めてということもあり注目されたが、子供は見つからなかった。
2013年現在も、マリンワールド海の中道においてホルマリン標本が展示されている。
2003年8月7日
静岡県御前崎市御前崎沖の駿河湾。巻き網で捕獲。体長4.6 m、体重460 kgオスの個体だった。
沼津港に水揚げされた後、東海大学海洋学部が解剖を実施。その後、東海大学海洋科学博物館において剥製が展示されている。
2005年1月23日
三重県度会郡紀勢町錦沖。巻き網で体長5.28 mのメスの個体が捕獲。
鳥羽水族館で剥製が展示されている。
2006年5月
神奈川県湯河原町沖の相模湾。体長5.6 m、体重1,200 kgのメスの個体。定置網にかかって死亡していた。
京急油壺マリンパーク(神奈川県三浦市)で解剖された。2007年4月19日から、標本として展示されている。
2007年6月7日
静岡県賀茂郡東伊豆町北川沖の相模灘。定置網でメスが混獲。
連絡を受けた下田海中水族館の職員が確認。輸送方法や飼育環境の準備を整えることができないため、飼育は断念。今後の調査のために標識をつけて放流した。
海中で元気に泳ぐ姿の撮影に成功したのは世界で2例目、日本では初めて[5]
2007年7月9日
茨城県東沖700 km。巻き網船が体長約4 m、体重450 kgのメスの個体を漁獲。
11日に石巻魚市場宮城県石巻市魚町)に水揚げされた。日本では12例目、世界では40例目となる[6]
2011年1月14日
三重県尾鷲市沖合500 m。14日早朝、約5 mの個体が生きたまま定置網にかかっているのが発見された。
15日朝に大阪市の水族館が引き取りに来るまで網に入れたまま泳がせていたが、同日午前6時ごろにいなくなっているのが確認された。網が破られた形跡はなく、網の上を乗り越えたとみられる。
鳥羽水族館によると、生きたまま展示されれば世界初だったという[7]
2014年4月14日
静岡県静岡市清水区の倉沢沖で由比漁港所属の第11光洋丸の定置網にメガマウスザメが入り、由比漁港に水揚げされた。
この個体は世界で58例目、日本では17個体目となる体長約4.4mのメスで、東海大学海洋学部に運ばれ、外部形体が測定された。5月6日にゴー ルデンウイークの特別企画として、東海大学海洋科学博物館津波実験水槽前の広場で、東海大学海洋学部 田中彰教授指揮の下、公開解剖された。[8]

脚注

  1. ^ Compagno, L.J.V. 2005. Megachasma pelagios. In: IUCN 2011. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2011.1. <www.iucnredlist.org>. Downloaded on 08 July 2011.
  2. ^ Megachasma pelagios Froese, R. and D. Pauly. Editors. 2011.FishBase. World Wide Web electronic publication. www.fishbase.org, version (06/2011).
  3. ^ 仲谷一宏著 『サメのおちんちんはふたつ』 2003年8月 築地書館 ISBN4-8067-1270-1
  4. ^ (株)海の中道海洋生態科学館. “博多湾にメガマウス座礁” (日本語). 2010年7月3日閲覧。
  5. ^ 生体のメガマウスが混獲されました!” (2007年6月11日). 2008年4月8日閲覧。
  6. ^ 三陸河北新報社 (2007年7月18日). “サメ希少種メガマウス水揚げ”. 2008年5月11日閲覧。
  7. ^ 朝日新聞社 (2011年1月14日). “希少サメ「メガマウス」逃げられた 尾鷲・九鬼町沖”. 2012年3月10日閲覧。
  8. ^ 海洋科学博物館 (2014年5月6日). “希少サメ「メガマウスザメ」の公開解剖”. 2014年5月6日閲覧
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