教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

「現実離れしてた」=最初の激震後現地入り―災害派遣の医師語る・熊本地震

2016年04月30日 20時56分15秒 | 熊本地震
時事通信 4月30日(土)14時47分配信
熊本地震の発生翌日に現地入りし、被災者の救護に当たった災害派遣医療チーム(DMAT)の医師に、熊本県益城町を最初に襲った震度7の激震直後の活動などを聞いた。救急病院でも経験したことのない出来事に、医師は「現実離れしていた」と振り返った。
 「震度7の地震があれば自主的に待機する」というルールの下、九州大学病院救命救急センター(福岡市東区)のDMATチーム、生野雄二医師(37)ら4人は、発生直後の14日午後10時ごろ、病院に参集した。テレビで情報収集し、DMAT本部から要請を受けた15日午前1時、陸路で熊本県入り。熊本赤十字病院(熊本市)に到着した午前4時50分には、既に40チームが集まっていた。
各チームとのミーティングを終え、益城町役場に詰めた。日ごろ訓練を受けているが、出動は初めて。階段にはひびが入り、水も使えない。何も考えられないまま、骨折を疑われる人や、風邪をひいた車中泊の子供の診療を続けた。
発生から丸1日たった夜、全身に擦り傷や打撲、やけどを負った40代の男性が救護所に来た。倒壊した自宅から子供を助け出すことに必死で、病院にも行かなかったという。
「通常ならすぐに病院に行くような状態だった。1日たって、われに返ったのでは」。生野医師は男性を診察した状況を「救命センターで勤務していても、経験しないような出来事。現実離れしていた」と振り返った。 通常、DMATチームは72時間交代制で救護に当たるが、本部の指示で15日夜のうちに益城町をたった。「被害の拡大が見込まれないとの判断だったのだろう」。しかし、福岡市に到着した16日未明に本震が発生。朝から自衛隊機による患者移送をサポートするため、福岡空港で待機した。
「本震直前まで大きな被害が出ないだろうと思っていた。だんだんと収束していくという思い込みがあった」と生野医師。「『次』がないとも言えない状況。医療者として、できることがあれば何でもやっていきたい」と力を込めた。 』
現実離れしていても、それが熊本地震の救急医療現場の現実のようです。
生野雄二医師の経験したことのない事が、現実に起こっていて見たと言うこ
とです、
今の時代は、自然災害でも過去の経験や常識が、どこまで役に立っかは不確実性が強く、その時の状況に応じた臨機応変な対応が求められるのかも分かりません。
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天木直人の公式ブログ 天木直人のブログ歴史問題をごまかして政治決着を繰り返す安倍首相の...

2016年04月30日 16時02分21秒 | 国際・政治

30Apr
2016
歴史問題をごまかして政治決着を繰り返す安倍首相の大罪


 これから書くことは、とても重要な視点であると自画自賛するが、はたして読者はどう判断するだろう。

 オバマ大統領の広島訪問がほぼ確実視されるなかで、それを手放しで歓迎できないとする意見が見られるようになった。

 たとえば4月28日の毎日新聞「記者の目」で、広島支局の竹内麻子記者が書いている。

 オバマ大統領には被爆者に会ってその声に耳を傾けてほしいと。

 原爆投下の事実と向き合って核兵器がもたらす悲惨さを米国や世界に発して欲しいと。

 たとえば4月29日の朝日新聞「余滴」で、社会部の加戸靖史記者が書いている。

 オバマ大統領の広島訪問が実現しても、割り切れない気持ちが残ると。

 オバマ大統領は「核兵器のない世界」の理想を語るだろう。しかし、その前にぜひ被爆者の言葉に耳を傾けてほしいと。

 いずれも比較的若い記者だ。

 なぜ、若い記者からこのような意見が出てくるのか。

 それは、若い世代に語り継がれていく歴史が、曖昧な形でやり過ごされてはいけないと言う思いがあるからに違いない。

 もしオバマ大統領の広島実現が、報道されている通りの形で行われるなら、日米双方の思惑の違いが残ったまま、米国大統領の歴史的広島訪問という「偉業」だけが残り、それ以降、この問題は終わってしまう。

 米国大統領のはじめての被爆地訪問は「偉業」である事に間違いないから、誰もそれを正面から批判できない、しない。

 「偉業」を成し遂げたオバマ大統領と安倍首相の功績だけが喧伝され、歴史に刻まれる。

 原爆を人類に投下した唯一の国である米国と、投下された唯一の国である日本との真の和解は、うやむやのまま歴史の彼方に追いやられることになる。

 二度とこの話が持ち出されることはないだろう。

 そういえば、つい最近、同じような事を我々は目撃したような気がする。

 その通りだ。

 昨年12月の慰安婦問題についての日韓合意であり、その半年ほど前の8月の安倍談話である。

 いずれも表面的には歴史問題に決着をつけた形となった。

 しかし、一番重要な歴史認識のところがまったく曖昧にされたままだ。

 和解どころか対立したままだ。

 それにもかかわらず、歴史問題の決着という「偉業」だけが語り継がれていく事になる。

 それを目撃した我々が生きているうちはまだいい。

 しかし、若い世代がすべての時代になれば、すべてが忘れ去られ、「偉業」だけが残ることになる。

 みずからの手柄のために、歴史問題を曖昧決着し続ける安倍首相は、はかりしれないほど罪深いと思う(了)
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幻覚で急ブレーキ、眠らずハンドル握る、減る若手…「人間を絞りすぎ」

2016年04月30日 15時52分21秒 | 社会・経済

幻覚で急ブレーキ、眠らずハンドル握る、減る若手…「人間を絞りすぎ」 トラック運転手が過酷労働の実態を吐露
11:24


(産経新聞)
 西日本に本社を置く大手運送会社で働く50代のベテラン運転手の男性は関西の営業所から首都圏の営業所への配送を担当している。3日かけて1往復の乗車をこなすが、その勤務実態からは、法令を無視した過酷さばかりが浮かび上がる。
男性によると、1日目の午後に出勤し、大型トラックに荷物を自ら積み込む。会社は表向き、「夕方に来ればいい」と指示しているが、それでは荷役が間に合わないため午後3時ごろには出社しているという。
荷積みが終わった同8時すぎ、営業所を出発。休憩を取りながら運転を続けるが、高速道路を走行中には、路面に残る不自然なブレーキ痕を見ると、朦朧(もうろう)とした状態で運転し、幻覚で急ブレーキをかけた経験を思いだすという。
首都圏の営業所に到着するのは、翌朝6時ごろ。しかし、すぐには眠れない。荷降ろし作業が待っているためだ。仕事から解放されたのは午前9時ごろだ
 厚生労働相告示では、始業からの拘束時間は16時間を限度とし、次の始業まで連続8時間の休息が必要だ。しかし男性は18時間にわたり拘束。さらに終業から6時間後の午後3時に2日目の勤務が始まる。
約6時間かけて帰り便の荷物を積み込み、午後9時すぎに出発する。速度のリミッターで時速90キロまでしか出ないため、男性は「前方の車1台ごとに追い越せるかどうか考えてしまい、かなり疲れる」と話す
 日付が変わって3日目の午前中、途中の営業所に立ち寄って荷物を降ろす。拠点とする営業所に戻るのは午後1時ごろ。長い乗務が終わった。「50歳をすぎてから特に体力的にきつい」とこぼす。
次の日は休みではなく、午後3時ごろには出勤しなければならない。丸一日休みなのは月に1~2回だけ。同僚が急用などで休む場合、本来なら会社が協力会社から運転手を派遣してもらうべきだが、男性がそのまま眠らずにハンドルを握ったこともある。「人間を絞りすぎだと思う。現場の過酷さは皆分かっているが、どうしようもない」
業歴25年で給料の総支給額は四十数万円。若手のドライバーは減っている。男性は「長時間労働の改善は会社レベルでは無理。国民生活を陰で支えているのが運送業界だということを広く理解してもらうことで機運が盛り上がってほしい」と話している。』

運送会社のトラックドライバーの持病は、腰痛だそうです。
荷物の積み下ろしが、大変腰の負担になるそうです、
荷物の積み下ろしだけでも機械化出来ないものでしょうか。
運転による頭と目の疲れで、遠くが見えなくなったと聞きました。
トラックドライバーは、日本の物流を支える産業の動脈の中を流れる大切な血液です。
十分な睡眠と休養が、取れ、給与状況の改善をはからないと若い人たちのトラックドライバーが、減少し交通事故の増加の要因゜作っていることになると思います。
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<川口・祖父母強殺>19歳被告が手紙「貧困児童に関心を」

2016年04月30日 15時18分35秒 | 社会・経済
<川口・祖父母強殺>19歳被告が手紙「貧困児童に関心を」
12:21


「居所不明児童の存在を認識して」と書かれた少年の手紙
(毎日新聞)
 虐待を繰り返す親と各地を転々とした末、埼玉県川口市で2014年に祖父母を殺害したとして、強盗殺人などの罪に問われている当時17歳の孫の少年(19)=最高裁に上告中=が、現在の心境をまとめた手紙を毎日新聞に寄せた。学校にも通わせてもらえず「居所不明児」となって事件を起こした少年は、自らの過ちを悔いつつ、自分のような貧困児童に「少しでも注意を持ってほしい」などとつづっている。

 記者は1審のさいたま地裁判決(14年12月)以降、少年と手紙をやり取りし、面会もしてきた。少年は記者に宛てた今年2月下旬の手紙で、自身の不遇な生い立ちを報じた1審公判中の新聞記事などを読み、「居所不明児や貧困児童等の存在を認識していただいて、普段の暮らしで見かける子供へ少しの注意を持っていただきたくて」取材に応じたと説明した。
殺害された祖父母は演歌やカメラが好きだった。少年は、インターネットを使えば趣味に関する情報も簡単に入手できることを逮捕後に知ったとし、「祖父母にとっても充実した生活が得られるハズだったのかと思う。だから、事件が起きていなければ、起こさなければよかったのに、と思います」と悔いた。
 一方で、母親らとラブホテルや公園で暮らす中で生まれた異父妹が将来、親の指示で売春などを始めていたかもしれないとし、「自分はそれを止められたか、あるいは一緒になって始めさせていたか、考えるだけで訳が分からなくなます」と明かした。
 弁護側が上告し、裁判は続いている。少年は2審判決に「不満はない」とする一方、「似た境遇の子供たちを少しでも生きやすくするため、(判決が変わる)わずかな可能性を壊したくないと考えた」と説明した。

 法廷では「生きていく自信がない」「大人は信用できない」と述べていたが、報道で不遇な境遇を知り、支援を申し出た人たちと交流するようになったことで「自分自身を変えるため、その方々を信用してみないといけない」と思い直したとも書かれていた。

 「他人を傷つけず裏切らないように生きていきたい」。少年はそう望み、似たような子供たちのことも考えていきたいという。理由については「『世の中捨てたもんじゃないな』と子供たちに想わせたいからです。それに、自分自身に対しても」と記されていた。

【山寺香】

 【ことば】埼玉・川口市祖父母強盗殺人事件

 2014年3月、川口市のアパートで無職男性(当時73歳)と妻(同77歳)が殺害されているのが見つかり、当時17歳だった孫の少年が逮捕、起訴された。1審・さいたま地裁判決によると、少年は母親から「殺してでも」金を借りてくるよう言われ、祖父母宅を訪問。借金を断られ、2人を包丁で刺して殺害した。検察側は無期懲役を求刑したが、さいたま地裁は小学校5年から学校に通わず「居所不明児」として過酷な環境で育った事情を考慮して懲役15年とし、東京高裁もこれを支持した。弁護側が「刑務所でなく、精神的な治療を受ける医療少年院に入れるべきだ」として最高裁に上告した。少年の母は、祖父母に対する強盗を少年に指示したとして、懲役4年6月の実刑が確定している。
この事件今の日本の所得格差が、拡大し止まらず貧困化が進んでいる社会的矛盾が、生み出した事件です。
文明先進国日本の表層の一つでも、
精神主義や道徳感では解決しない得ない根深さがある社会問題です。
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<福岡の中学校>飲み水にトイレ洗浄水 水道管接続誤る

2016年04月30日 14時38分10秒 | 受験・学校
 福岡市は28日、博多区の市立板付中学校(496人)で、2014年10月から今月26日までの約1年半、トイレの洗浄に使う再利用水が、手洗いや飲み水に使われていたと発表した。業者が水道管の接続を誤ったことが原因で、手洗い場や剣道場更衣室など50カ所の蛇口から再利用水が出ていた。市が大腸菌などを検査したが問題はなく、生徒の健康被害はないという。
 市によると、14年6~10月、業者がトイレの改修工事で再利用水と上水の既設管と新管を地下でつなぎ合わせる際、取り違えて接続していた。今月、学校側が手洗い場の水が濁っていることに気付き発覚した。【林由紀子】

業者の工事の確認ミスです。
中学校側も生徒の健康管理を考えて、工事の後直ぐに点検しておくべきでした。
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83歳乙田さん、人生初マウンド ミリスタ戦で1日始球式

2016年04月30日 14時35分44秒 | まち歩き
ュース 地域 83歳乙田さん、人生初マウンド ミリスタ戦で1日始球式

02:56

I
北國新聞
(北國新聞)
 県歌謡文化協会理事長で作曲家の乙田修三さん(83)が5月1日、金沢市民野球場で行われる石川ミリオンスターズ公式戦の始球式に臨む。4歳で右目を失明しプレーは断念したが、鶴来中時代は野球部マネジャーを経験した。人生初のマウンドを「光栄なこと。作曲より緊張する」と話し、連日猛特訓している。
 2月に球団からオファーを受けて以来、室内では丸めた新聞紙やおしぼりを投げ込んできた。26日は公式球で50球の投げ込みも行い「ようやく真っすぐ飛ぶようになった」と手応えを口にする。
 幼少期から左目も視力が弱く、スポーツをすることをあきらめた。中学時代にのど自慢大会が流行すると「目が見えなくても関係ない。これしかない」と歌の世界に飛び込み、歌手・作曲家として生きてきた。自作には松井秀喜さんの応援歌があり、王貞治さんとも親交を持つ。
 当日は午後1時の試合開始前に登場し、始球式と国歌斉唱を行う。歌謡教室の教え子や仲間が大勢駆けつける予定で、乙田さんは「プレーする夢がかなう。元気なピッチングを見せたい」と一球入魂を誓った。』
眼が、ご不自由で一球入魂で、ストライクです。
長嶋茂雄さんは、バッターボックスで、精神を集中して息を止めていると投手の投げた球
が、止まって見えたと言われています。
お体を大切にされて、がんばってください。
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