教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

長崎市の認定こども園にプロペラ機なぜ? 世界に数機「幻の機体」ダブ

2019年09月22日 17時28分53秒 | まち歩き

長崎市の認定こども園にプロペラ機なぜ? 世界に数機「幻の機体」ダブ
2019/09/22 06:00西日本新聞


関東地方で運航していたころの写真。「海王星」と名付けられていた=1957年撮影(インターネット航空雑誌ヒコーキ雲提供)今年のフェスタの遊覧飛行参加者たち。後方がORCの保有機客室乗務員(CA)手作りの地図。就航先の見どころや、飛行ルートから確認できる構造物などを紹介している
 長崎市から国道206号を北上すると、大きなプロペラ機が目に飛び込んでくる。認定こども園「中央こども園」(長崎市琴海戸根町)の敷地内。なぜこんな場所に飛行機が? 歴史をひもとくと、戦後の国内ローカル線の草創期を支えた旅客機で、世界に数機しか残っていない「幻の機体」だった。引退後は複数の所有者の元を渡って、ここにたどり着いていた。

 英国にあった航空機メーカー・デハビランド社の双発プロペラ機「DH−104 Dove」。両翼約18メートル、全長12・5メートル、高さ4メートル。通称は「ダブ」。英語でハトを意味する。いまどきのシャープな形ではなく、丸っこさが愛らしい。

 500機超が生産、国内には1950年代に9機が輸入された。60年代後半まで全国各地で本土と離島を結ぶ航路や遊覧飛行で活躍した。

 長崎の機体もその一つ。関東の航空会社が運航し、長崎航空(2001年、オリエンタルエアブリッジに社名変更)が62年に購入。旧大村空港(現在の海上自衛隊大村航空基地)と福江空港(五島市)を結ぶ県内初の離島定期航路などを担った。ただ、最大11人という客席数の少なさから、より大きな機体に取って代わられた。

 引退後の68年、旧長崎水族館に“再就職”。多くの人に親しまれたといい、当時職員だった楠田幸雄さん(66)=現在の長崎ペンギン水族館館長=は「ペンギンにも劣らない人気だった」と振り返る。

 旧水族館は経営難で98年に閉館。2001年に長崎ペンギン水族館として再スタートを切ったが、機体は“お役御免”に。長崎市で農業をしていた飛行機好きの西浦源蔵さん(故人)が買い取り、大村湾に面した自宅敷地に約20年間飾っていた。近隣では「謎のモニュメント」として知られた存在だったという。西浦さんが死去後は息子が管理していた。

 今年3月、こども園の改装をきっかけに、理事長の渡辺力さん(63)が「園の目玉にしたい。譲ってほしい」と持ち掛け、園に移送。一部が破損しているものの、塗装することで往時の輝きを取り戻した。今後は内装も整え、子どもたちが機上体験をできるようにしたいという。渡辺さんは「離島の多い長崎を支えた機体であることを、子どもたちに知ってほしい」と語る。

 長い旅をした「ダブ」は今、外の世界に羽ばたく子どもたちを地上で見守る。(華山哲幸)

オリエンタルエア、今も離島航路支え

 「ダブ」を運航したオリエンタルエアブリッジ(ORC)は現在も、1975年にできた世界初の海上空港・長崎空港と、壱岐や対馬など離島を結ぶ。機体の故障で欠航が多いのが難点だが、離島には欠かせない生活の足。座席には客室乗務員(CA)手作りの観光案内マップも置かれ、「おもてなし感」が満載だ。

 各地の空港では空に親しみを感じてもらおうと例年、空の日(9月20日)にちなんだ「空の日フェスタ」が開かれており、長崎では7日に開催。同社は3年前から遊覧飛行を行っており、今年も実施。日頃は離島を行き来するボンバルディアDHC8−201型機に15組30人の親子を乗せ、長崎市方面へ飛行。乗客たちは長崎半島西側にある端島(軍艦島)などにくぎ付けになった。

 ORCはほかにも地元の企業と連携し、就航地五島の特産品、かんころもちをせんべいにした菓子を期間限定で機内で配布。宿泊と往復航空券、現地体験クーポンがついたパック商品を販売するなど、観光客を離島へ呼び込む取り組みを続けている。(坪井映里香)』
大切に保管して、欲しいと思います。
飛行機にも作った人の魂しいが、入っていますよ。
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HOME天木直人のブログなぜ山本太郎は野党共闘の足を引っ張り続けるのか

2019年09月22日 15時28分11秒 | 国際・政治



なぜ山本太郎は野党共闘の足を引っ張り続けるのか

2019-09-22


 今の政治で何が一番問題なのか。

 それは安倍1強があまりにも長く続いたため、政治が機能しなくなってしまったことだ。

 それを阻止するには、もう一度野党がひとつになって、安倍1強に代る選択肢を国民(有権者)に提供しなけれないけない。

 それが野党共闘だ。

 いくら元の民主党がダメだからと言って、やり直すしかない。

 ところが野党の一員であるはずの山本太郎は、野党共闘の足を引っ張る事ばかりしている。

 まず、野党共闘に最も熱心だった小沢一郎と組んでおきながら、その小沢を参院選の直前に見捨てて新党をつくり、結果として野党第一党の立憲民主党の票を食ったことがそれだ。。

 そして、つぎは、よりによって共産党と真っ先に組んで、そこから野党共闘を始めようとしていることだ。

 これでは、できるものもできなくなる。

 かつて国会で、野党共闘は野党第一党の立憲民主党に結集して行おうと演説していたのは山本太郎ではなかったか。

 極めつけは消費税へのこだわりだ。

 消費税を廃止せよと叫ぶ。

 最低でも5%に減税することが、れいわ新選組が野党共闘に加わる条件だという。

 こんな条件に固執していては野党共闘は出来ない。

 しかも、最近の世論調査では、世論の半数は少子化対策や高齢化対策に財源は必要だと思っていることがわかった。

 もはや消費税増税問題は政治の主要争点にはならないのだ。

 辛口評論家の佐高信がいみじくも喝破していた。

 自分が目立つようなことばかりやっている山本太郎の政党は信用できないと。

 まさしくその通りだ。

 きょう9月22日の東京新聞のインタビューで山本太郎はこう語っている。

 これから埼玉参院補選や東京都知事選や衆院選など、いろいろな選挙があると。

 山本太郎と言うカードを最大限に生かせる選択肢を選びたいと。

 これ以上ない思い上がった言葉だ。

 政治家を6年間やってきて、政治家の権力に酔いしれてしまった証拠である(了)

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