教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』政治の動きと分析 専門知の死:無知礼賛と民主主義【書評】

2019年09月26日 11時22分02秒 | 国際・政治

ホーム山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』政治の動きと分析
専門知の死:無知礼賛と民主主義【書評】
2019年 09月25日
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専門知と民主主義の関係は、政治学の重要なテーマです。世界で広がるポピュリズムや反知性主義の動きを見ると、きわめて現代的なテーマです。トム・ニコルズ著「専門知は、もういらないのか:無知礼賛と民主主義」という本を読んで考えさせられました。

原書のタイトルは「The Death of Expertise」なので、直訳すると「専門知の死」という感じです。原書の副題には「The Campaign against Established Knowledge and Why it Matters」とあり、それも直訳だと「確立された知識への攻撃となぜそれが問題か」という感じでしょうか。*英語の「campaign」には「軍事行動」とか「作戦」という意味もあります。

著者のトム・ニコルズは、ロシアや核戦略の専門家で、米国海軍大学校の教授です。大学で教えていることもあり、米国の大学教育の現状もよくわかっています。トランプ大統領に象徴される米国の反知性主義の現状を嘆いています。

サブタイトルの「無知礼賛」の背景には、インターネットの普及と大学教育の大衆化とサービス産業化があると著者は言います。インターネットの世界では、その道何十年の研究者や実務者の専門的提言も、素人の短絡的コメントも、平等に扱われる傾向があります。むしろ素人の歯切れのよい意見の方が、正しく見えることもあります。

専門家(特に謙虚で優秀な専門家)は、あまり断定的な意見をいいません。さまざまな事例や例外を知っているために、留保付きの慎重な意見をいう傾向があります。他方、専門外の素人(特に謙虚さに欠ける素人)は、よく知らないテーマに関しても、きっぱりと断定的な意見をいう傾向があります。

専門家が複雑な事象について複雑で正確な説明をするよりも、短絡的で歯切れのよい印象論の方がインパクトがあり、第三者から見ると説得力を持つことがあります。日本でも「はい、論破」みたいな論法がもてはやされる傾向があります。日本にも自らの無知さ加減を知らないのに歯切れのよい「論客」がたくさんいます。あるいは無知だから歯切れがよいのかもしれません。

最近人気のユーチューバーやワイドショーのコメンテーターは、自分の専門外の安全保障政策や外交政策などについても歯切れよく断定的に発言し、それがウケている風潮があります。ネットの世界では、その道の権威の専門家も素人も「平等化」されてしまいます。

そしてネットでは、まったくの専門外の素人でも自由に発信できます。本を出版するのも、新聞や雑誌に投稿するのも、かなりハードルが高いです。プロの編集者が内容をチェックし、校正者が原稿を再チェックし、一定の水準以上の文章しか出版されません。ところがネットではノーチェックで自由に発信できます。

専門家と素人では知識量や経験値が圧倒的に違うのに、平等に扱われるのは逆に不平等な気がしますが、そういう感覚は時代遅れなのかもしれません。ネットの世界で人気者になろうとしたら、知的な謙虚さは邪魔にしかならないのかもしれません。

イタリアでは人気コメディアンが五つ星運動という政党をつくり、国政で大きな影響力を発揮しています。五つ星運動は、専門知を軽視したポピュリズム的政策と、インターネットを使った直接民主主義的手法を駆使して、一気に躍進しました。五つ星運動に関する論文を読んだことがありますが、インターネットを使った直接民主主義的な手法は有権者に「ウケる」一方で、欠点も多くて危険だと感じました。

ウクライナでもコメディアンの大統領が誕生して話題になりました。政権を打倒することまではできるかもしれませんが、政権を運営できるのかあやしいものです。アメリカで俳優が大統領になったことはありましたが、大統領を支える共和党系のブレーンやシンクタンクなどが充実していたし、カリフォルニア州知事の経験があったので、ウクライナのコメディアン大統領とは比較になりません。政権を運営する能力(統治能力)は、暗黙知みたいなところも多く、専門家や官僚機構のサポートなしに政権を運営するのは難しいと思います。

また、著者は米国の大学教育の「サービス産業化」が反知性主義の背景にあると指摘します。日本も似たような状況かもしれません。かつての大学教育はエリートを養成する意味合いが強く、大学教授や知識への尊敬が見られました。しかし、大学教育の大衆化が進むと、「とりあえず大学に行く」学生が増え、大学も乱立し、入学者の獲得合戦が激しくなります。大学は学生を「お客様」と見なし、スポーツ施設や学生寮を充実し、授業内容や評価を甘くする傾向が強まりました。学生も教授に敬意を払うのではなく、教授をサービスの提供者と見なす傾向が強まります。

教授をサービス提供者だと見なす学生は、教授と自分が対等だと勘違いします。先生への敬意のないところに、知への尊敬の念は生まれません。大学の先生の言うことよりも、グーグルで調べた情報の方が価値があると思う学生が増えれば、大学教育の意義も薄れ、知的な発達は進みません。体系的に知識を身につけるのに大学以上に適した場所はあまりありません。その大学教育の質が変化していると著者は言います。

著者によると、専門知を軽視する人たちは、批判的思考は身についていない一方で、自分が信じることしか受け入れず、根拠のない自信を持つ傾向があると言います。カエサルの言葉に「人は見たいと思う現実しか見ない」とあり、ローマ時代からそういう傾向はあったのでしょう。しかし、適切な学問的トレーニングを受けていない人ほど、その傾向は強まるようです。

著者はロシアの専門家ですが、旧ソ連政治の研究からスタートし、優れた研究者の指導を受けながら、大量のロシア語の新聞や資料を精査して分析し、長い時間をかけて専門家になりました。そういう専門家と、ちょっと本を読んだ程度の生半可な素人との区別がなされないのが、現代の米国社会の問題だと著者は言います。

たとえば、日本には韓国の専門家はたくさんいます。韓国政治の専門家、韓国の防衛政策の専門家、日韓関係史の専門家など、いろんな韓国の専門家がいます。彼らは大学や大学院で韓国について研究し、韓国語を学び、大量の韓国語文献を読んだり、インタビューしたりして、専門家になります。

しかし、テレビのワイドショーを見ていると、長年研究してきた専門家の意見よりも、国際弁護士とか落語家とか「コメンテーター」の意見の方がよく流れる印象を受けます。そして、素人の短絡的な意見は、歯切れがよくわかりやすいので、世論に影響を与えやすいのだと思います。

専門家の複雑な説明を理解するには一定の知識(リテラシー)が必要です。しかし、素人の意見は誰でも理解できます。専門的でかつ健全な意見より、短絡的でわかりやすく過激な素人の意見の方が、テレビやネットの世界ではウケます。

米国では専門家への信頼が低下し、トランプ大統領に見られるように専門家を蔑視し、無知であることを隠そうともしない政治家が人気を博するようになりました。専門家の助言なしには、複雑な公共政策の立案や実施は難しいはずです。

トランプ大統領の外交を見ていると、不動産業界の交渉術があれば、世界各国の首脳と渡り合い米国の国益を増進できると勘違いしているように見受けられます。トランプ大統領になって、長年かけて築かれた米国への信頼や尊敬が低下し、米国のソフトパワーは大幅に低下しています。中国やロシアがアグレッシブになっているのも、トランプ外交で米国の影響力が低下している証拠です。トランプ大統領に決定的に欠けているのは、専門家や専門知への信頼です。外交に限らず、トランプ政権の機能不全は誰の目にも明らかです。

著者は次のように述べます。

専門家と政府は、とくに民主主義国家においては互いに依存し合う関係だ。人々の幸福を確保するための技術的または経済的発展には労働分担が必要であり、そのために職業(プロフェッション)が生みだされる。プロ意識(プロフェッショナリズム)が専門家に、全力でクライアントに仕え、おのれの境界を守り、他の人々にも境界を守るように求めさせる。そういったことすべてが、専門家の最大のクライアント、つまり社会全体に対するサービスの一環なのだ。

(中略)民主主義社会では、専門家の国民全体へのサービスは社会契約の一部だ。市民はさまざまな問題の決定権を、選挙で選ばれた代表者と彼らに助言する専門家に委任し、専門家は、知識を身につけて合理的判断ができる市民に対して、専門家の仕事を誠実に受けとめるように求める。

専門家と市民の関係は、民主主義国家のほとんどすべての関係と同様に、信頼という土台の上に築かれている。信頼が崩壊すれば、専門家と一般の人々の対立が生じる。そして民主主義自体が死のスパイラルに突入し、たちまち衆愚政治か、エリート支配によるテクノクラシーに陥りかねない。いずれも権威主義的な結末であり、現在のアメリカにはその両方の影が忍びよっている。

専門家と市民間の関係崩壊は民主主義そのものの機能不全だというのはそういう理由だ。あらゆる問題の土台に、政治および一般的なことがらに関するアメリカ国民のリテラシー(基礎能力)の低さがある。その土壌にあらゆる機能不全が根を張って繁茂している。2016年の大統領選はそのもっとも最近の表出例でしかない。

無知礼賛の典型がトランプ大統領であり、民主主義の危機を招いています。ポピュリズム政治家は、専門家(=エリート)を批判し、専門知を無視する傾向が世界共通に見られます。

安倍政権の大学政策や科学技術政策にもそういう傾向が見られます。基礎科学を軽視し、すぐ実用化できる応用技術や軍事技術を重視する傾向。あるいは、国立大学の理工系を重視し、人文科学系学部を削減してリベラルアーツ的な学問を軽視する傾向。研究に競争を持ち込み、研究者の非正規化を進める傾向。専門家を尊重せず、政治が大学教育や科学技術研究を主導しようという姿勢は危ういと思います。

日本でも「専門知の死」が少しずつ進行しているのかもしれません。ワイドショー政治、そして短期的(刹那的)な世論調査政治が、長期の国益より目先の内閣支持率を狙う政治を招いています。「専門知」を殺さず、専門家と政治家や市民との建設的で健全なコミュニケーションが求められます。

ところで著者も「専門家が万能だ」とは言ってません。専門家が間違うことについて1章をさいて説明しています。ちなみに私は何の専門家を自称できるだろうかと考えてみると、いちおう十年以上衆議院議員をやっているから「政治の専門家」くらいは言ってもバチは当たらないと思いたいと思います。それ以外の分野について発言する時は気をつけなくては、、、、、

*参考文献:トム・ニコルズ、2019年『専門知は、もういらないのか』みすず書房


専門知は、もういらないのか:みすず書房
『専門知は、もういらないのか』の書誌情報:電子書籍もあります20世紀初頭まで、政治や知的活動への参加は一部の特権階級に限られていたが、後の社会変化で門戸は大きく開かれた。それは人びとのリテラシーを高め、新たな啓蒙の時代を招来するはずだった。ところが今、これほ ...

www.msz.co.jp】
2019年 09月25日
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専門知と民主主義の関係は、政治学の重要なテーマです。世界で広がるポピュリズムや反知性主義の動きを見ると、きわめて現代的なテーマです。トム・ニコルズ著「専門知は、もういらないのか:無知礼賛と民主主義」という本を読んで考えさせられました。

原書のタイトルは「The Death of Expertise」なので、直訳すると「専門知の死」という感じです。原書の副題には「The Campaign against Established Knowledge and Why it Matters」とあり、それも直訳だと「確立された知識への攻撃となぜそれが問題か」という感じでしょうか。*英語の「campaign」には「軍事行動」とか「作戦」という意味もあります。

著者のトム・ニコルズは、ロシアや核戦略の専門家で、米国海軍大学校の教授です。大学で教えていることもあり、米国の大学教育の現状もよくわかっています。トランプ大統領に象徴される米国の反知性主義の現状を嘆いています。

サブタイトルの「無知礼賛」の背景には、インターネットの普及と大学教育の大衆化とサービス産業化があると著者は言います。インターネットの世界では、その道何十年の研究者や実務者の専門的提言も、素人の短絡的コメントも、平等に扱われる傾向があります。むしろ素人の歯切れのよい意見の方が、正しく見えることもあります。

専門家(特に謙虚で優秀な専門家)は、あまり断定的な意見をいいません。さまざまな事例や例外を知っているために、留保付きの慎重な意見をいう傾向があります。他方、専門外の素人(特に謙虚さに欠ける素人)は、よく知らないテーマに関しても、きっぱりと断定的な意見をいう傾向があります。

専門家が複雑な事象について複雑で正確な説明をするよりも、短絡的で歯切れのよい印象論の方がインパクトがあり、第三者から見ると説得力を持つことがあります。日本でも「はい、論破」みたいな論法がもてはやされる傾向があります。日本にも自らの無知さ加減を知らないのに歯切れのよい「論客」がたくさんいます。あるいは無知だから歯切れがよいのかもしれません。

最近人気のユーチューバーやワイドショーのコメンテーターは、自分の専門外の安全保障政策や外交政策などについても歯切れよく断定的に発言し、それがウケている風潮があります。ネットの世界では、その道の権威の専門家も素人も「平等化」されてしまいます。

そしてネットでは、まったくの専門外の素人でも自由に発信できます。本を出版するのも、新聞や雑誌に投稿するのも、かなりハードルが高いです。プロの編集者が内容をチェックし、校正者が原稿を再チェックし、一定の水準以上の文章しか出版されません。ところがネットではノーチェックで自由に発信できます。

専門家と素人では知識量や経験値が圧倒的に違うのに、平等に扱われるのは逆に不平等な気がしますが、そういう感覚は時代遅れなのかもしれません。ネットの世界で人気者になろうとしたら、知的な謙虚さは邪魔にしかならないのかもしれません。

イタリアでは人気コメディアンが五つ星運動という政党をつくり、国政で大きな影響力を発揮しています。五つ星運動は、専門知を軽視したポピュリズム的政策と、インターネットを使った直接民主主義的手法を駆使して、一気に躍進しました。五つ星運動に関する論文を読んだことがありますが、インターネットを使った直接民主主義的な手法は有権者に「ウケる」一方で、欠点も多くて危険だと感じました。

ウクライナでもコメディアンの大統領が誕生して話題になりました。政権を打倒することまではできるかもしれませんが、政権を運営できるのかあやしいものです。アメリカで俳優が大統領になったことはありましたが、大統領を支える共和党系のブレーンやシンクタンクなどが充実していたし、カリフォルニア州知事の経験があったので、ウクライナのコメディアン大統領とは比較になりません。政権を運営する能力(統治能力)は、暗黙知みたいなところも多く、専門家や官僚機構のサポートなしに政権を運営するのは難しいと思います。

また、著者は米国の大学教育の「サービス産業化」が反知性主義の背景にあると指摘します。日本も似たような状況かもしれません。かつての大学教育はエリートを養成する意味合いが強く、大学教授や知識への尊敬が見られました。しかし、大学教育の大衆化が進むと、「とりあえず大学に行く」学生が増え、大学も乱立し、入学者の獲得合戦が激しくなります。大学は学生を「お客様」と見なし、スポーツ施設や学生寮を充実し、授業内容や評価を甘くする傾向が強まりました。学生も教授に敬意を払うのではなく、教授をサービスの提供者と見なす傾向が強まります。

教授をサービス提供者だと見なす学生は、教授と自分が対等だと勘違いします。先生への敬意のないところに、知への尊敬の念は生まれません。大学の先生の言うことよりも、グーグルで調べた情報の方が価値があると思う学生が増えれば、大学教育の意義も薄れ、知的な発達は進みません。体系的に知識を身につけるのに大学以上に適した場所はあまりありません。その大学教育の質が変化していると著者は言います。

著者によると、専門知を軽視する人たちは、批判的思考は身についていない一方で、自分が信じることしか受け入れず、根拠のない自信を持つ傾向があると言います。カエサルの言葉に「人は見たいと思う現実しか見ない」とあり、ローマ時代からそういう傾向はあったのでしょう。しかし、適切な学問的トレーニングを受けていない人ほど、その傾向は強まるようです。

著者はロシアの専門家ですが、旧ソ連政治の研究からスタートし、優れた研究者の指導を受けながら、大量のロシア語の新聞や資料を精査して分析し、長い時間をかけて専門家になりました。そういう専門家と、ちょっと本を読んだ程度の生半可な素人との区別がなされないのが、現代の米国社会の問題だと著者は言います。

たとえば、日本には韓国の専門家はたくさんいます。韓国政治の専門家、韓国の防衛政策の専門家、日韓関係史の専門家など、いろんな韓国の専門家がいます。彼らは大学や大学院で韓国について研究し、韓国語を学び、大量の韓国語文献を読んだり、インタビューしたりして、専門家になります。

しかし、テレビのワイドショーを見ていると、長年研究してきた専門家の意見よりも、国際弁護士とか落語家とか「コメンテーター」の意見の方がよく流れる印象を受けます。そして、素人の短絡的な意見は、歯切れがよくわかりやすいので、世論に影響を与えやすいのだと思います。

専門家の複雑な説明を理解するには一定の知識(リテラシー)が必要です。しかし、素人の意見は誰でも理解できます。専門的でかつ健全な意見より、短絡的でわかりやすく過激な素人の意見の方が、テレビやネットの世界ではウケます。

米国では専門家への信頼が低下し、トランプ大統領に見られるように専門家を蔑視し、無知であることを隠そうともしない政治家が人気を博するようになりました。専門家の助言なしには、複雑な公共政策の立案や実施は難しいはずです。

トランプ大統領の外交を見ていると、不動産業界の交渉術があれば、世界各国の首脳と渡り合い米国の国益を増進できると勘違いしているように見受けられます。トランプ大統領になって、長年かけて築かれた米国への信頼や尊敬が低下し、米国のソフトパワーは大幅に低下しています。中国やロシアがアグレッシブになっているのも、トランプ外交で米国の影響力が低下している証拠です。トランプ大統領に決定的に欠けているのは、専門家や専門知への信頼です。外交に限らず、トランプ政権の機能不全は誰の目にも明らかです。

著者は次のように述べます。

専門家と政府は、とくに民主主義国家においては互いに依存し合う関係だ。人々の幸福を確保するための技術的または経済的発展には労働分担が必要であり、そのために職業(プロフェッション)が生みだされる。プロ意識(プロフェッショナリズム)が専門家に、全力でクライアントに仕え、おのれの境界を守り、他の人々にも境界を守るように求めさせる。そういったことすべてが、専門家の最大のクライアント、つまり社会全体に対するサービスの一環なのだ。

(中略)民主主義社会では、専門家の国民全体へのサービスは社会契約の一部だ。市民はさまざまな問題の決定権を、選挙で選ばれた代表者と彼らに助言する専門家に委任し、専門家は、知識を身につけて合理的判断ができる市民に対して、専門家の仕事を誠実に受けとめるように求める。

専門家と市民の関係は、民主主義国家のほとんどすべての関係と同様に、信頼という土台の上に築かれている。信頼が崩壊すれば、専門家と一般の人々の対立が生じる。そして民主主義自体が死のスパイラルに突入し、たちまち衆愚政治か、エリート支配によるテクノクラシーに陥りかねない。いずれも権威主義的な結末であり、現在のアメリカにはその両方の影が忍びよっている。

専門家と市民間の関係崩壊は民主主義そのものの機能不全だというのはそういう理由だ。あらゆる問題の土台に、政治および一般的なことがらに関するアメリカ国民のリテラシー(基礎能力)の低さがある。その土壌にあらゆる機能不全が根を張って繁茂している。2016年の大統領選はそのもっとも最近の表出例でしかない。

無知礼賛の典型がトランプ大統領であり、民主主義の危機を招いています。ポピュリズム政治家は、専門家(=エリート)を批判し、専門知を無視する傾向が世界共通に見られます。

安倍政権の大学政策や科学技術政策にもそういう傾向が見られます。基礎科学を軽視し、すぐ実用化できる応用技術や軍事技術を重視する傾向。あるいは、国立大学の理工系を重視し、人文科学系学部を削減してリベラルアーツ的な学問を軽視する傾向。研究に競争を持ち込み、研究者の非正規化を進める傾向。専門家を尊重せず、政治が大学教育や科学技術研究を主導しようという姿勢は危ういと思います。

日本でも「専門知の死」が少しずつ進行しているのかもしれません。ワイドショー政治、そして短期的(刹那的)な世論調査政治が、長期の国益より目先の内閣支持率を狙う政治を招いています。「専門知」を殺さず、専門家と政治家や市民との建設的で健全なコミュニケーションが求められます。

ところで著者も「専門家が万能だ」とは言ってません。専門家が間違うことについて1章をさいて説明しています。ちなみに私は何の専門家を自称できるだろうかと考えてみると、いちおう十年以上衆議院議員をやっているから「政治の専門家」くらいは言ってもバチは当たらないと思いたいと思います。それ以外の分野について発言する時は気をつけなくては、、、、、

*参考文献:トム・ニコルズ、2019年『専門知は、もういらないのか』みすず書房


専門知は、もういらないのか:みすず書房
『専門知は、もういらないのか』の書誌情報:電子書籍もあります20世紀初頭まで、政治や知的活動への参加は一部の特権階級に限られていたが、後の社会変化で門戸は大きく開かれた。それは人びとのリテラシーを高め、新たな啓蒙の時代を招来するはずだった。ところが今、これほ ...

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「東京オリンピックもこのままいくと、カネがなくて開催できなくなる」森喜朗会長が、「MSA資金」をアテにして、上皇陛下の側近F氏に面会を求めてきたけれど、結局、何も言わずそのまま帰っていった

2019年09月26日 10時39分08秒 | 国際・政治


板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
~ニュースにブログ~
「東京オリンピックもこのままいくと、カネがなくて開催できなくなる」森喜朗会長が、「MSA資金」をアテにして、上皇陛下の側近F氏に面会を求めてきたけれど、結局、何も言わずそのまま帰っていった
2019年09月26日 08時19分52秒 | 政治
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
「東京オリンピックもこのままいくと、カネがなくて開催できなくなる」森喜朗会長が、「MSA資金」をアテにして、上皇陛下の側近F氏に面会を求めてきたけれど、結局、何も言わずそのまま帰っていった

◆〔特別情報1〕
 「東京オリンピックもこのままいくと、カネがなくて開催できなくなる」-東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長(元首相)が9月21日、上皇陛下の側近F氏に面会を求めてきた。側近たちが陣取っている東京都内の事務所である。森喜朗会長の横には、少し離れて小沢一郎衆院議員が座っていた。F氏は、A氏、吉備太秦とともに、上皇陛下と小沢一郎衆院議員に委ねられている「MSA資金」運用益について、管理・シェアなどの実務を担当している。2016年リオデジャネイロオリンピック開催のとき、開催までに資金が足りなくなったため、最後には、MSA資金運用益から不足分の資金を出して、助けた。2020年東京オリンピック開催資金が不足しているので、森喜朗会長は、「資金調達の無心」にきたのは、明らかだった。森喜朗会長は、旧知のO氏に懇願しようとして訪れたところ、O氏は、すでに退任していたので、アテが外れたのか、F氏に会った瞬間にビビッた様子で、結局、何も言わずそのまま帰っていってしまった。面会時間は、5分もなかったという。2015年春に肺がん宣告を受け、抗がん剤治療を続けてきたせいか、物凄く痩せていて、かつての迫力もオーラも感じられず覇気もなく、太っていた頃のスーツをそのまま着ているのかダボダボで、いまにも死ぬんじゃないかというほどの感じだったという。新たにキューバ行が確定した人物も浮上。吉備太秦は、以下のように語っている。

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南北首脳会談から米朝会談を経て南北統一へ、そして中国の民主化のシナリオが書かれています。このときから始まっていました。必読です。


クリエーター情報なし 日本の覚悟 イルミナティ解体 「新機軸」発動 人類補完計画 この一大事に世界を救う盟主となる
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ヒカルランド


板垣 英憲 中国4分割と韓国消滅 ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン 金塊大国日本が《NEW大東亜共栄圏》の核になる (超☆はらはら)
板垣 英憲
ヒカルランド


その改訂版がこれ。併せてお読み頂きたい。

クリエーター情報なし [新装完全版]ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン 米国とイスラエルの力を借りて皇国の理念「NEW八紘一宇とNEW大東亜共栄圏」の実現へと向かうNIPPON!
クリエーター情報なし
ヒカルランド


【『一由倶楽部 鉄板会』】
令和元年9月28日 (土)13時~16時
会 場 都内某所
参加費 5,000円

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オフレコ懇談会
2019年10月5日(土)13時~16時
元毎日新聞記者・政治経済評論家歴45年!
板垣英憲が伝授する「必勝!」のための情報キャッチ術・情勢判断学~情報4重層「表・裏・陰・闇」とジレンマ情勢予測秘術
会 場 都内某所
参加費 5,000円



第95回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
2019年10月12日 (土)
13時30分~16時45分
「トランプと正恩『おっさんずラブ』が世界を救う
~朝鮮戦争終結宣言協定締結へ」
会 場 小石川後楽園内「涵徳亭」 (広間)
参加費 2,000円
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HOME天木直人のブログ共同声明の署名でごまかした日米貿易合意の全面降伏

2019年09月26日 10時34分41秒 | 国際・政治

共同声明の署名でごまかした日米貿易合意の全面降伏
2019-09-26




 安倍首相とトランプ大統領による日米首脳会談で日米貿易交渉の最終決着はどうなったのか。

 きょうの各紙を見ても、何もわからない。

 時差の関係で日米首脳会談の結果が間に合わなかったためだ。

 しかし、日米首脳会談の結果を見るまでもない。

 すでにシナリオは出来上がっていたからだ。

 日米貿易交渉の結果がトランプ大統領の一方的な要求を全面的に飲まされるものになる事は、すでに5月27日のトランプ訪日の時に決まっていた。

 あの時、今度は、自分がトランプ大統領の再選に協力する番だ、と約束していたからだ。

 それをどう協定にごまかして書くか。

 それが、茂木大臣とライトハイザ―米通商代表の間で続けられた交渉だったのだ。

 しかし、協定を急ぐトランプ大統領と、いくら再選に協力すると約束したからといっても、農産品も自動車もすべて全面譲歩はできない、とする日本側との間で、協議が長引いたのだ。

 そしてついに9月25日の首脳会談までにはまとまらなかった。

 しかしまとまった形にしないと、首脳会談でもまとまらなかったとなる。

 これではまずい。

 そこで思いついたのが共同声明の署名だ。

 このごまかしを思いついた茂木大臣が論功行賞で外務大臣に抜擢され、再びライトハイザーと協議して、これで本当に最終合意したと胸を張った。

 共同声明には何が書かれているのか。

 継続協議になった自動車関税と輸入数量規制についての確認だ。

 なぜ数量規制なのか。

 関税で合意しても、トランプ大統領は、効果がなければ数量規制を言い出す。

 いくら何でも関税と数量規制を同時に要求してくれるな、どうせ要求するならタイミングをずらして欲しい、それを共同声明で確認したのだ。

 これを要するに、安倍首相は、自由貿易の原則を一方的に破るトランプ大統領に、全面譲歩したのだ。

 そんな不公平な日米貿易協定の最終的が国会に提出されるのは、まだ先だ。

 10月4日から始まる国会で野党が追及しようとしても、最終案ができるまで審議は出来ないと安倍政権は逃げる。

 そして、最終案が国会に提出されたとたん、まともな審議の時間もないまま、あっという間に承認されることになる。

 今度の国会で承認されないなら、日米同盟関係が損なわれる、それでもいいのか。

 そういう殺し文句を安倍首相に吐かれたら、それに反対する勇気は、野党にはないからだ。

 全面譲歩せざるを得なかった安倍首相だが、いまテレビでうつしだされている記者会見では、見事なウソをついている。

 日米は自由貿易の原則を尊重したと。

 ウィンウィンの協定であると。

 両国の生産者、消費者、雇用、すべてに利益をもたらすものになると。

 ちなみにこの記者会見にはトランプ大統領は同席していない。

 同席すれば勝手な事を言い出すからだ。

 何もかも茶番だ。

 果たして明日の朝刊各紙は、日米貿易交渉の結果をどのように解説するつもりだろうか(了)
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複数女児にわいせつ疑いで逮捕の小学校教諭 事件前にも被害の情報 兵庫・尼崎

2019年09月26日 09時55分14秒 | 受験・学校・学問



2019/09/26 06:05



尼崎市役所=尼崎市東七松町1

(神戸新聞)

 兵庫県の尼崎市立小学校教諭の男が、自然学校に引率した女子児童4人にわいせつ行為をした疑いで逮捕された事件で、男(32)が出発の数日前、女児の体を触ったとして保護者から学校へ通報があったことが25日、市教育委員会への取材で分かった。

 男は18日夜〜19日早朝、兵庫県香美町の宿泊・自然体験施設で、就寝中の小学5年の女子児童4人にわいせつな行為をした疑いで兵庫県警に逮捕された。容疑を認めているという。

 市教委によると、出発の数日前に保護者から「(男が)女子児童に抱きついている」と通報があった。13日に学校が本人に確認すると「抱きついたのではなく、両肘を両肩に乗せただけ。男女の区別なくしている行為」と説明したため、わいせつ事案に当たらないと判断。児童との距離が近すぎると注意した上で、16〜20日の自然学校に行かせたとしている。』

児童は、先生の所有物では有りませんし、性的欲求を満たす為に身近にいるのでは有りません。
保護者に信頼されて、学校が、預かっていると言うことを忘れています。
義務教育の教育者として、節度と思慮分別を持つべきです。

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