教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

「〇〇京極」がいっぱい、京都特有の商店街名 なんで「△△銀座」ちゃうの?

2021年09月21日 15時45分00秒 | まち歩き
 

「〇〇京極」がいっぱい、京都特有の商店街名 なんで「△△銀座」ちゃうの?

「〇〇京極」がいっぱい、京都特有の商店街名 なんで「△△銀座」ちゃうの?

「〇〇京極」がいっぱい、京都特有の商店街名 なんで「△△銀座」ちゃうの?

(まいどなニュース)

 新京極、寺町京極…。京都市内には「京極」と付く商店街がいくつもある。全国的には「〜銀座」と呼ばれる商店街が多数存在するが、京都は「京極」。なぜだろう。各商店街や専門家に由来を聞くと、京都特有の事情が見えてきた。

■そもそもは…

 日本地名研究所の会員で、三重大名誉教授の鏡味明克さん(85)=名古屋市=によると、そもそも「京極」というのは、平安京の端という意味。平安時代、東と西の端に東京極大路と西京極大路があったことが起源という。後に、豊臣秀吉が天正18(1590)年、東京極大路を寺町通と改称。西京極大路は、通りはないが、地名として定着した。

 「京極」を通り名に使い始めたのは、明治5(1872)年の「新京極通」。新京極商店街振興組合によると、元祖の寺町通と区別する意味を込めて「新」と名付けたという。当時、東京の浅草、大阪の千日前と並び「三大盛り場」と呼ばれるほどのにぎわいだったといい、現在まで京都を代表する繁華街と称されている。

■あやかりたかったんや

 その新京極にいち早く影響を受けたのが、「松原京極」。少なくとも明治半ばには、松原通の一部で使われていたようだ。創業150年の井上漬物店の井上富成さん(70)によると、「京都松原京極」と書かれた明治期の包装紙がかつて自宅にあったという。「松原通は当時、京の南端で、新京極の繁栄にあやかる願いがあったのでは」と推測する。現存していないが、明治には「堀川京極」(現在の堀川商店街=上京区)もあり、大正末期には「壬生京極」(中京区)も生まれたという。

 戦後になり、再び「京極」と付く商店街が登場する。「寺町京極」が誕生したのは、1951年。同振興組合によると、それまで「寺町センター街」だったが、組合を設立する際、元祖「京極」の名を復活させた。

 「西陣京極」ができたのもこの頃。同商店会の高村諄一前会長(75)によると「新京極より発展するぞという気概をこめて名付けたと聞く」。他にも、「山科京極」(山科区)が53年ごろ、「田中京極」(左京区)も63年にできている。一方、「西京極」は、82年に商店街をつくる際、地域に根付いた地名を付けたという。

■「〜銀座」は何個あった?

 「東京・銀座のにぎわいにあやかり、全国に『〜銀座』という商店街があるように、多くが京都の代表格である『新京極』を模倣した」と鏡味さんは解説する。調査では、全国に「〜銀座」は500以上あったといい、「京極は、銀座のように爆発的に広まることなく、ほぼ京都にとどまったようだ」としている。

(まいどなニュース/京都新聞)

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閑話休題<本澤二郎の「日本の風景」(4211)

2021年09月21日 15時42分51秒 | 国際・政治

閑話休題<本澤二郎の「日本の風景」(4211)

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閑話休題?<本澤二郎の「日本の風景」(4211)

<旧暦8月15日(9月21日)は中秋節=中国古代の農暦に驚く>

  春秋の筆法をもってすれば、世は麻のごとく乱れている、21世紀の天下大乱 期なのであろう。的を射た究極の「島津レポート」に腰を抜かしている暇はないのだが、昨日は敬老の日。秋晴れだ。久しぶりに、亡き妻と次男のための仏壇の埃を払った。近くの両親の眠る墓にも詣でて、線香を上げた。雑草まみれの隣の墓が気になって、草取りをした。 そういえば、昨夜と今朝に未明のFAX音にたたき起こされて睡眠不足、右翼の嫌がらせ行為が始まったらしい。「島津レポート」の威力 に違いない。

 

 市民運動家らが注意を促してきた。そういえば、あと1か月で衆院議員の任期が終わる。総選挙目前の鬼が棲む永田町では、自民党総裁選真っ最中だ。水面下の金品まみれの様子を窺える。案の定、自宅前をヤクザの倅の街宣車が、騒音をまき散らして走り去った。

 

 近くの友人が「山林が産廃場になり、放射能汚染が確認できた。無許可の産廃場に汚染物資が投棄された可能性が高い」と連絡してきた。

 

 21世紀の戦国時代は、人々の精神・頭脳が変わる。日刊ゲンダイの有能な女性記者は「右翼化している自民党員」のことを心配して、昨夜電話してきた。そういえば無党派・中道ジャーナリストを「反日」「左翼」と非難されて久しい。偉くなったものだ。

 

 人も自然も危ない日本列島では、依然として311のフクシマ東電原発の放射能と汚染水が放出している。廃炉100年どころか、100万年と分析する物理学者が現れた。それでも原発利権推進派の右翼が、必死で総裁選を勝ち抜こうとして、テレビを掌握したままだ。ネットの世界でも右翼が乱舞、それはYoutubeでも見られる。

 

 鬼は永田町から、日本の頭脳である霞が関さえも支配している。原子力ムラに滅ぼされる自然と人間でいいのか。

 

 それでも、天体は温暖化による気候変動にもかかわらず、本日十五夜を迎える。旧暦8月15日、彼岸の中日だ。月の輝きは、明日が最高という。

 気が付くと、彼岸花が真っ赤に燃えて、咲き誇っているではないか。

 

 「暑さ寒さも彼岸まで」は真実である。「北京秋天」でもある。中国・古代に完結した「農暦」のすごさに圧倒される。天文学を確立していたのだ。

 

 

<田園詩人・蘇東坡伝=昔の中国も梅は塩漬け>

 恩師・宇都宮徳馬さんにせかされて中国には、数えきれないほど出かけて、中国の学者や学生らと交流、各地の大学に寝泊まりしてきた。「中国は深い。勉強しても尽きない思想が眠っている。誠実に付き合えば、いい友人が出来る」と声をかけてくれたものだ。

 

 悲しいかな中国語も思想も学ばないまま、寝て過ごしてしまった。したがって、

かの国の田園詩人・蘇東坡の偉大過ぎる実績も知らない。上辺でしかないが、彼の著作の中に「塩梅」が登場する。

 唐代の詩人を評する中で「梅は酸に止まり、塩は感(心はない)に止まる」、すなわち「飲食には塩梅を欠かしてはいかん、その妙味は常に感酸の外にある」と述べている。梅と塩の威力である。

 

 どういうことかというと、中国を旅するようになって、日本と異なる味付けに戸惑うことがあったが、その一つが砂糖漬けの梅である。紹興酒に入れて飲むのだ。台湾で流行したようだが、今の中国人は塩でつけた梅干と縁がない。実際は、日本の塩梅は中国から伝来したものなのだ。

 

 蘇東坡の詩の中に、長江(揚子江)に舟を浮かべて、友人と酒を酌み交わしながら談笑する場面がある。三国志演義の諸葛孔明が活躍した「赤壁の戦い」の現場か。軍師・孔明は、天文学の大家・気象学の大家でもあった。戦いに勝利したことは言うまでもない。「戦わずして勝つ」が軍師らしい軍師なのだ。

 

 羅針盤(コンパス)や火薬、印刷術などの発明は、中国の偉大な科学者によって生まれた。欧米科学者は核に手を出し、地球・自然を破壊している。原発を止めようとしない。ドイツは賢い。止めた。日本も止めてアジアの模範生にならなければ、人類も地球もあと100年もつかどうか。

 

<中秋の名月は9月21日!明日は見事な名月に>

 昨夜の月も美しかったが、今日の満月、明日の名月が秋の夜空を照らす。人生は一瞬である。

 

 武器弾薬にうつつを抜かし、利権アサリの政治屋と官僚どもが跋扈する、21世紀の戦国時代を、1日も早く卒業させる為政者が、この地球の小さすぎる日本列島に誕生させることが出来るのか。ひとえに主権者・国民の良心にかかっている。

 

  見事な名月を咲かせる日本でありたい。美しい心の人間を増やすしかない。

 

<彼岸花(曼殊沙華)が燃えている!=暑さ寒さも彼岸まで>

 いま近くを散策すると、ぷーんという臭いが鼻を突く。金木犀である。満月に合わせて咲くのであろう。ふと足元の土手を眺めると、彼岸花だ。曼殊沙華とも呼ぶ。

 

 地中に球根がついている。水分・栄養を吸い上げると、茎がまっすぐに伸び、満月に一斉に燃えるように真っ赤に咲いている。月に誘われて飛び出すのだ。この不思議な天体と地球を知ると、人間の愚かすぎる野望と悪しき名誉など糞くらえではないだろうか。

 

 暑さ寒さも彼岸までという。これまた正確に時を刻んでくれている。自然こそが宝で、それを破壊する核は悪魔そのもの、鬼である。永田町と霞が関の鬼退治が、日本人の最後の戦いとなろうか。

 

<いいニュース=伊藤詩織さんは元気だった!>

本澤先生、東京新聞デジタルに伊藤詩織さんの記事が掲載)されました。貼り付けます。 八千代、青柳

https://www.tokyo-np.co.jp/article/32302 

<朝鮮の花・木槿(むくげ)も安らぎの美しい花!>

 最近まで気付かなかったのだが、淡いピンクの花を咲かせてくれる木槿

 のことを知った。丸っぽい蕾を膨らませて開花する。それが次から次へと夏から秋へと咲き続けてくれる。朝鮮半島の花という。

 

 さし木で簡単につくのだ。このあたりでは、垣根に用いているが、それだと木槿の美しさが分からない。庭に小さく咲かせるのがいい。

 

 東京新聞が、TBS山口強姦魔の被害者・伊藤詩織さんの美しい清純な顔写真を載せて、元気な様子を報道してくれた。これは国民を元気にさせてくれるいい記事である。

2021年9月21日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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創価学会を除名された野原善正氏が明かす 長く閉ざされてきた選挙運動の壮絶実態

2021年09月21日 10時41分33秒 | 国際・政治

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創価学会を除名された野原善正氏が明かす 長く閉ざされてきた選挙運動の壮絶実態

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野原善正(元創価学会員)

「ポスト菅」を決める自民党総裁選の先には衆院選が控えている。各党、既に臨戦態勢だが、ここへきて所属議員の事務所に検察の捜査が入るなど、不祥事が目立つのが公明党だ。支持母体の創価学会員はどう支援するのか。学会員でありながら、2019年参院選で「れいわ新選組」から出馬し、公明党を鋭く批判していたのが野原善正氏。今年1月に除名されるまで、40年近く現場で選挙運動を続けてきた。その閉ざされた実態を語る。

■「会の秩序を乱す」と突然の除名通知

 ――創価学会に入信したのは1984年。37年も経った今年、除名されるとは、何があったのですか。

 学会から届いた通知書には、除名の理由として、SNSなどでの私の批判的発言が「会の秩序を乱す行為」と記されていました。ただ、私は2年前に「れいわ新選組」から参院選に出馬した際、公明党、学会批判を前面に打ち出しましたから、この時の一件が除名の最大の原因だったのでしょう。長年、組織の中で筋を通して活動してきたのに、恩を仇で返されたような思いでした。

 ――なぜ、「れいわ」から出馬したのですか。

 選挙前に、都内の友人から「れいわの関係者に携帯番号を教えていい?」と連絡があり、承諾しました。18年の沖縄県知事選でも玉城デニー候補を応援したので、「また、それかな」と思ったら、公示直前に代表の山本太郎さんから直接電話があり、出馬を打診されたのです。驚きましたし、自分には無理だと感じ、逃げようとも考えましたが、同じ学会員で昔からの大親友に相談すると「出るべき」と即答。「公明党がおかしくなってきていると世論に訴える絶好のチャンスだ」と言うのです。親友の言う通りだと思い決断しました。でも、結果は落選。その後、党(れいわ)の方針とソリが合わず、昨年、離党しました。

 ――そもそも学会入信のきっかけは?

 私は84年当時、複数の病気を患っていました。両親も借金を抱えていて、自宅を手放さなければいけない状況だった。人生に行き詰まり、思い悩んでいたところに、親戚の女性会員から入信の勧誘を受けた。学会の教えがストンと胸に落ち、入信を決めたのです。

 ――選挙では、創価学会は強固な組織力を背景に、公明党のみならず自民党候補の支援も行っている。現場ではどんな活動を行うのですか。

 選挙が近づくと、地域の学会支部の幹部からの指示を受け、学会員でない友人や親戚らに対面や電話で「お願いします」と一人一人しらみつぶしに投票依頼します。有名な「F活動」です。Fは「フレンド」。いわゆる「F票」を集めるため、電話や対面などで1対1でお願いするわけです。選挙で頑張れば「功徳(御利益)がある」「宿命転換できる」などと、信仰心に訴えて幹部は活動を求めてきます。

 ――友人や親戚からはどんなリアクションが返ってくるのですか。

 相手が親戚だと大目にみてくれるのですが、友人レベルだと「あー、また来たか」みたいに嫌な顔をされます。だいたいネガティブな反応ですね。

 ――精神的にキツいですよね……。

 ですね。相手によっては「僕は自民党支持だから」とか「バリバリの共産党支持なので」と断られるケースもある。それを幹部に伝えても「何言ってんだ」「腹を決めてまたお願いしに行くんだ」とハッパをかけられるんです。その上、電話でなく「直接会って膝詰めで話してこい」という。ですから、場合によってはバナナとかミカン、お菓子などといった手土産を自腹で持参し、お願いしたこともあった。

■異論には「信心が足りない」と罵声が

 ――1回の国政選挙で、アプローチはどのくらいの人数に?

 私の場合、選挙前の1カ月間で50~60人ほど。多い人は約1000人でしたね。これらの“成績”は定期的に開かれる会合で報告し合うことになる。おのおのの“成績”はグラフにして張り出されるので、数が少ない人は肩身が狭いんですよ。

 ――シビアですね。

 入信当初は、どうして選挙支援をしなければいけないのかと思ったこともありました。でも、世の中にはセーフティーネットから漏れ、苦しんでいる人がいる。そういう人を誰が救うのか。宗教者として個人の幸福を追求するだけではいけない。「世の中を良くするために公明党は設立された」などと先輩から教えられ、勉強もした。公明党を応援すれば、庶民が救われ、正直者がバカを見ない世の中になる――。そう信じて一生懸命やっていました。

 ――不自然だと思いませんでしたか。

 入信して4~5年ほど経ったころから、おかしいと思うようになりました。選挙の候補者について「誰がどうやって選んだんですか?」と聞いても、「人柄を見て幹部が決めている」などと言うだけでハッキリと教えてもらえない。今にして思えば、要するに、学会や公明党幹部の言うとおりに動くイエスマンを選んでいたわけです。

 ――幹部の指示には反発できない?

 疑義を訴えると、「おまえは信心が足りない」などと言われます。選挙活動は、平日は仕事終わりを含め空いている時間に行い、休日は一日中ぶっ通し。いくらシンドくても幹部は「これも仏道修行だ」という調子です。最終的には「(3代目会長の)池田大作先生がおっしゃっているのだから」と言われる。学会内で池田先生は戦前戦中の天皇陛下のような存在と言えばいいのか、カリスマ的な人物です。「池田先生の意思」と言われると皆、思考停止して従うしかないのです。幹部は自分の都合のいいように池田先生をカリスマとして利用するところがあります。

「公明党を正すには学会員が目を覚ますしかない」

 ――上層部の意思に抵抗するのは困難ですね。

 抵抗すると「村八分」。自営業の人は商売にならないこともある。学会系の企業団体から仕事を請け負っている人は仕事が回ってこなくなる。生活がかかっていると、おかしいと思っていても声を上げるのは難しいのです。

 ――そういった縛りのキツさが選挙での組織力の強さにつながっているのでしょうね。

 昨春、コロナ対策として、困窮世帯限定で1世帯当たり30万円の現金給付を含む補正予算案を閣議決定したのに、公明党の要望で急きょ国民一律10万円給付に変更。補正を組み替える異例の事態になりました。発言力の強い学会婦人部が「このままでは生活がままならない」などと、上層部を突き上げた結果でしょう。婦人部を敵に回すと集票活動に支障をきたし、その集票力には自民党も頼っています。だから、誰も逆らえません。

■「戦争3法」に加担して組織力が低下

 ――そうした組織力に陰りが見えてきています。17年の衆院比例区で公明党の獲得票数は初めて700万票を割った。今年の都議選も前回から約10万票も減らしています。

 そうですね。理由は学会員の高齢化。40~50年前に入信した人は、ただでさえ行動力が落ちている上、コロナ禍で対面での集会はやりづらい。オンライン集会では、スマホの使い方が分からない高齢者は参加できない。公明党の山口那津男代表は、衆院選の時期について「総裁選後が望ましい」と発言していました。ワクチン接種が進み、少しでも集会を開きやすい時期に選挙をやって欲しいとメッセージを送ったわけです。

 ――低迷の原因は、高齢化だけでしょうか。

 学会員の心も離れてきていると思います。13年に特定秘密保護法が、15年は安保法、17年には共謀罪法が成立しました。いわゆる「戦争3法」ですが、その成立過程で、公明党はずっと賛成してきたわけです。私はこの時に「公明党は終わった」と感じました。他にもマトモな学会員が落胆し、離れていったのでしょう。

 ――米軍普天間飛行場の辺野古移設に関しても、公明党は推進派候補を地元首長選挙で応援。都政では「小池旋風」が吹いた時期は自民党とたもとを分かっていたのに、今は“復縁”しています。生き残るためには「何でもアリ」のように見えます。

 公明党は立党の精神として、〈大衆と共に語り、大衆と共に戦い、大衆の中に死んでいく〉と掲げています。それが今や、権力を握る自民党と共に語り、大衆を敵に回している。百八十度間違った方向を正せるのは、学会員だけです。一日も早く目覚めて欲しい。そうすれば、きっと日本は変わりますよ。

(聞き手=小幡元太/日刊ゲンダイ)

▽野原善正(のはら・よしまさ)1960年1月、沖縄県浦添市生まれ。琉球大法文学部英文科卒、同大大学院修士課程(アメリカ文学専攻)修了。84年、沖縄創価学会入り。塾や予備校の講師として働く。2019年の参院選(東京選挙区)に「れいわ新選組」から「反公明党」を掲げて初出馬。落選したものの、21万4438票を集めた

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2年ぶりに神様の結婚式 高知・四万十市

2021年09月21日 09時32分25秒 | まち歩き

2年ぶりに神様の結婚式 高知・四万十市

2年ぶりに神様の結婚式 高知・四万十市

 

(KUTVテレビ高知)

高知県四万十市の不破八幡宮できのう、2年ぶりに伝統の儀式、「神様の結婚式」が行われました。

「神様の結婚式」は四万十市の四万十川沿いにある不破八幡宮の秋の大祭です。室町時代に、関白の一條教房が結婚の厳粛さを示すため始めたとされていて、地元の住民に受け継がれている儀式です。去年は新型コロナの影響で中止となりましたが、今年はマスクや手と指の消毒、抗体検査キットなどで感染防止対策を取って行われました。八幡宮の男の神様の今年の結婚相手は四万十川河口にある一宮神社の、“平和や豊作をつかさどる”とされる女の神様「徳益御前」です。儀式は簡素化され神輿の担ぎ棒を突き合わせる“こし合わせ”だけが境内で行なわれました。

この後、中村幼稚園の園児が太鼓の演奏や歌を披露し、祭りに華を添えました。

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尊い!海外からは、絵に描きたいとの声も絵に描きたいとの声も

2021年09月21日 09時20分47秒 | デジタル・インターネット
 

尊ほ!海外からは、絵に描きたいとの声も絵に描きたいとの声も

 

尊い…!聖母みたいなウサギさんの写真に世界中から大反響!!海外からは、絵に描きたいとの声も

尊い…!聖母みたいなウサギさんの写真に世界中から大反響!!海外からは、絵に描きたいとの声も

(まいどなニュース)

 被りものをした額の下の瞳は無垢な輝きをたたえ、その敬虔な面(おもて)は見るものの心に喜びとやすらぎをもたらし…。清らかなウサギさんの写真が世界中から「尊い…!」と反響を呼びました。まさに聖母様ともいうべき佇まいに心打たれた人たちから「後光が差してきそうですね…」との声も寄せられています。

 今回話題になったウサギさんは実は男の子で名まえは、あめくんといいます。ネザーランドドワーフという品種のウサギさんで今年の6月末に1歳の誕生日を迎えました。うさぎのあめ(@amenochiusagi)くんの飼い主さんに写真を撮影した時のことをお聞きしました。

――1歳のお誕生日おめでとうございます。1年間見守ってきて、あめくんはどんな変化や成長がありましたか?

 ありがとうございます!1歳を超えた今も、変わらず元気にすくすくと成長してくれています。へやんぽ(お部屋の中をお散歩)中には全力で駆け回り、よく飛び跳ねて遊んでいます。最近では食欲も旺盛で、びっくりするくらいよく食べてくれます。また、ナデナデの催促が多くなったり、以前と比べて甘えてくれることが多くなりました。

――元気に育っておられるようで何よりです。ところで今回のお写真であめくんは、何を被っているのですか?

 被っているのはあめ専用のブランケットです。あめがまだ小さい頃から使っているお気に入りのブランケットで、よくホリホリして遊んだりするのですが、この日は自分からもぞもぞとブランケットに潜り込み、その中から外の様子を見渡してかくれんぼをしていたようです。

――投稿に大きな反響があり、海外からもコメントが来ています。

 予想以上の反響を頂き、とても驚いています。たくさんのコメントも頂き、全て嬉しい気持ちで読ませて頂いていたのですが、中でも海外の方からぜひ絵を描かせてほしいと連絡を頂いたときは本当に驚きました。さらに描き上げて頂いた絵がこれまた素晴らしくて…。本当に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。その他にもシンプルに「かわいい」や「神々しい」といったコメントも、表現したかったあめの魅力を伝えることができたと実感できて嬉しかったです。

――アカウントのプロフィールによるとご夫婦であめくんを育てていらっしゃるそうですね。

 あめと暮らす前と後で一番の変化は、家族での時間が増えたことです。それまではとくに共通の趣味を持たない私たちでしたが、あめと暮らすようになってからは、たびたび、あめのことについて話すようになり、夫婦間の会話がとても増えました。また、夫婦間での価値観・優先順位もまずはあめの健康が第一と変わりました。私たちと暮らす中で、あめにはずっと幸せな生涯を送ってほしいと強く思っています。

   ◇   ◇

 さらに「まだまだコロナ禍も収束せずステイホームが続いておりますが、あめの元気いっぱいな姿を見るだけで、我が家では笑顔の絶えない幸せなおうち時間を過ごせています」とも話す飼い主さん。アカウントには健やかに育ち、愛情に包まれて日々を送る、あめくんの楽しそうな様子が投稿されています。癒やしを与えてくれるその姿をぜひ見にいってみてくださいね。

(まいどなニュース特約・山本 明)

 

新型コロナウイルスの感染拡大で、心が荒び癒やされることをみなさんが望んでいるからたと思います。

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